おはようございます♪
今朝はどんな朝をお迎えでしょうか?
今日は自分と相手、または状況、社会・・・
この関係性と、ここから無意識に生まれている
感情や思いを見つめていきたいと思います。
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もし、相手が自分より上だと感じている場合は
大抵、嫌な気持ちになることが多くないでしょうか?
でも自分が優位だと感じている時には
挨拶されなかったとか返事がなかったとかあっても
「あれ、機嫌が悪いのかな?」みたいに
少し余裕がありませんか?
逆に無意識に相手より自分はできない、劣っている
下にいる感覚が強ければ強いほど
「それを感じさせないで」とか
「負けたくない」とか
「自分への牽制?」など被害を受けているような
何か嫌な感覚、感情がそこに出て来やすくないですか?
同じように返事がなかったら
「バカにされた」「見下された」
「軽んじられた」などなど・・
随分、想いや感情も違うものがくっついて来ませんか?
自分が弱い側、される側=被害者になっている時
ここにネガティブなエネルギーが当然出て来ますよね。
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本当はAさんがいる、私がいる。以上。マル。なのに
『Aさんは◯◯な人』といったレッテル(解釈、意味付け)が
乗ることで本来のその人そのものは全く隠れています・・
私たちはこちらの意味づけ、解釈に反応しているので
もし、相手が下の立場で自分が上になった時に
嫌な事が起こると
「◯◯するべきなのに」と相手を責めたくなります。
→ここで被害者意識が登場します。「される側」の意識です。
例えばお店の店員さんが(下側)お客さんの自分に対して(上側)
尊大な態度を取ったように感じると
え〜〜〜っと思いませんか?
恋愛も同じで自分が弱い方(自分が惚れている側)だと
相手に尽くしている時に
「なんで察してくれないの?気づいてくれないの?」とか
または常に「嫌われる側」になっていて
「相手を嫌う側」ではなくなっていませんか?
されちゃう側の被害者意識に陥りがちです。
対等に「したいからする。以上。マル。」では
なくなっています・・・
では平和でいられるときはどんな時?
立場上の上下関係はあっても役職が上でも下でも・・
「心からの尊重」がある時・・・
そこには人間同士の対等さ、同じ人間だよね・・・の視点が
必ずあります。
力関係が平等。
「私がいる。目の前の人がいる。以上。マル」
これだけです。
もし、役職が下の人が上の人をこの視点で感じていたら
「被害者意識」が薄らいでいませんか?
やはり「同じ人間として」見ています。感じています。
この時にはどうでしょう・・・
少しエネルギーが柔らかくなりませんか?
相手を小さくもなく、大きくでもなく
役割やレッテルを超えて「尊重関係・対等」にある時
共感が活きてくるでしょう・・・
自分の言いたいことも攻撃チックな伝え方というより
言いたいことをそのまま素直に言えている感じしませんか?
→同時に相手の気持ちも受け取れる自分がいる感覚
こんな視点にいつも立ちましょうという話でもなく
こういった視点が持てるとなにかラクで自由な感じがしませんか?
私も練習中です(笑)
いつも応援ありがとうございますm(_ _)m
励みになります♡
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相手との上下関係と「被害者意識」について
masumi