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もう分かっている時の落とし穴

おはようございます♪
今朝はどんな朝をお迎えでしょうか?
暖かな光と爽やかな秋晴れですね~
 
いつもなんですが「しょうか?」と打つと
「消化?」となるのがおかしくて一人で笑いが出ます~
→暇人ですね・・・笑
 
========
 
さて、今日書いてみたいことは・・
 
私たちって基本的に
「出来ている自分」
「分かっている自分」
「解決した自分」
「乗り越えた自分」って好きですよね。
気持ちがいいし、なんか清々しかったり
自分を誇りに思ったり・・・
 
しかも、やっとそうなった‥と思った時は
特に気持ち良いので手放したくないと思いませんか?
 
例えば・・・
ずっとできなかった数学の問題があったとして・・・
それがやっと「出来た~、分かった~」となりましょう。
分からなかったときは同じクラスの誰かと自分を比べて
「私はあの人より出来ない」
「みんなは理解している・・私だけバカなんだ」
「このクラスに居ることは恥ずかしい」
「私の事、みんな心の中で軽蔑している」
などなど・・・
 
エンドレスで「私はダメだストーリー」は爆走しています。
なので余計に「分かった、出来た」時は
グリコのゴールのイメージの様に(時代的にOK??)
もう、これに関しては一切「終わったこと」に
なるのは当たり前ですよね。
 
だって無意識にずっと分からなかった私が
「分かる自分」を求めていたのですから・・・
無理もありませんよね。
 
これ自体が悪いとか、いけないという話ではなく
何が言いたいかといえば
分かった自分になったことで
このままずっと行ってしまうのです・・・
→振り返りをしなくなる
 
これは同時に「ここで進まなくなります」
 
もし、分かったはずなのに、出来たはずなのに
何かが辻褄合わなくなったり、しっくりこない時
すっきりしない時には、もう一度本当に分かっているのかを
振り返れたら・・・
 
そこから見落としや、まだ見えていなかったところに
気づいたりできるのですが
通常、分かったとなったところは見なくなるので
「分かった自分視点」でしか物事が見れなくなります
再び分からない自分には戻りたくないですから・・・
 
ある一つの見方だけでそれを確定してしまったことで、
その人の本当の声が伝わらなかったり
自分の決めた枠で物事を解決しようとしている時の私は
結局、見えないまんまで行けば
そこどまりになってしまうのです・・・
 
なので・・・
「出来る、分かる」ことは思いっきり喜んでそこは
パーティー開きましょう♪
でも、辻褄が合わずにしっくりこない時は
「見落としているものはないか?」
 
この目線も出てくると随分自由になります♡
 
見えないまんまで進むよりも、ずっと実は
進みます♡
 
私もこういったことを繰り返しながら
痛い目や後悔を沢山身をもって体験しながら(笑)
常に学んでいます・・・
 
*全ては師匠の溝口あゆかさんからの
インテグレイテッド心理学より抜粋です
 
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