心の仕組み

【保存版:投影の仕組み】現役カウンセラーが分かりやすく解説

 

みなさまこんにちは♩

心理カウンセラー・セラピストの浦松ますみです。今日は、既にみなさんご存知の方も多いとは思いますが、そもそも「投影」ってなんだろう・・・実際の生活の中で投影がどんなふうに現れているか、どんな風に影響や反応を作り出しているのかを、解説していきますね。

知識として、情報としてというよりは、「分かりやすく」「どんな風に私のそばにいつもあるものなのかという視点で伝えていきます♩

 

知識・情報としての「投影」について

英語ではprojection(プロジェクション)と言いいますが、どういった意味かといえば、映画館のプロジェクターのイメージです。映写機ですね。私たちはスクリーンを見て、ドラマを感じ、一喜一憂しますがスクリーン自体は何にも無い「ただの白い画面」。ここにプロジェクターの中のフィルムがありフィルムのストーリーがスクリーンに映ります。

どんなフィルムがあるかで、ドラマ、映画の内容も違ってきます。悲劇にも、喜劇にも、人情劇にも・・。しかし、私たちは本当は「観客側」ですが、あまりにも映画がリアルすぎると身体を通じて、感情が伴い、また、自分の中の経験も重なっていつの間にか「映画の中の主人公」になりきっていませんか?そして泣いたり、笑ったり、ドキドキしたり、怒ったり・・・スクリーンの中にどっぷり入り込んでいます。

本当は「映写機のフィルム」から湧き上がるドラマですが、いつの間にか、「私のもの」として一喜一憂を真剣にしているのです。「観客」のはずが→「映画の主人公」になりきって本気でそれを感じています。

投影は「自分の中の思い・感情など」を外に映し出していることですが、ポイントは「私のもの=私の投影」が「相手の投影=相手がそれを持っている」に、無意識にいつの間にか変化している(私たちが普通にしている)ことなのです。

投影の例

一緒に同じ学校に行こうと共に受験を支え合っていたA子ちゃん。私は合格したけれど、彼女の方が本当はできるはずなのに、実際は別々の学校へ。途中までは電車が一緒だからいつも通り一緒になるけれど、彼女のちょっとした言葉が引っかかる。この前は「そっちの制服、可愛いね」「全国の男子校投票で1位だったよね」と私が言ったら「そうでもないしー」と。前とは違うトゲをどうしても感じてしまう。友情はこうしてなくなっていくんですね・・・。

 

事実は何?私はどう解釈した?

まず、こういった話を聞いたら、私たちは普通にどんな反応をします?人それぞれの「自分の常識」「自分の中の当たり前」で聞いた言葉を解釈しますよね。

「投影=解釈=意味づけ」といっても良いかもしれません。私たちは「投影」なしで生活できません。全て、全てを自分の意味づけで判断し、行動や思いを、感情も生み出しているのです。

さて、どんな反応をするか、みなさん、自分の反応の言葉を書き出してみませんか?「あ〜本当に、A子ちゃん前と変わった」「もう、一緒の電車に乗らなくても良いんじゃない?仕方ないよ、あなたが悪いというよりは、もう、運命なんだよ」「友情はまた別の人と作れば良いんだよ」「A子ちゃん、中学生時代より変わった。私のこと嫌ってる?」などなど・・・

また、友人からのカフェトークで「A子ちゃん、彼氏できたんだよ」「向こうの学校では親しい人が結構いるらしいよ」など聞けば「私との関係は中学時代で終わったんだ」と感じてしまうかも・・

これ全部、それぞれの「憶測」で「きっとそうだ」→「アァ、そうなんだね、分かる〜」→「きっと◯◯に違いない、絶対そうだよね」と不動の決定した真実として自然に話は盛り上がります。

 

事実は・・・?

いつだって「事実」はいつの間にか吹っ飛んでいますが、あえていうなら・・・事実は

1:「私は〜〜学校に行っている」「A子ちゃんは△△学校に行っている」

2:「毎朝、◯◯時の電車に乗る」

3:「A子ちゃんと私は◯年◯月、◯歳の頃に出会った」

4:「中学受験の時に△△塾に通っていた」

5:私は「制服可愛いね」と言った。A子ちゃんは「そうでもないよー」と言った。など・・・

 

解釈・意味づけは?

解釈・意味づけは無数にありますが、あくまでも一例です。

1:「〜〜学校は優秀な学校」「△△学校は〜〜より下の学校・ランクが落ちる学校」など。偏差値の数字にも意味づけがついていますよね。社会全体や、人類共通の解釈も沢山あります。

2:この電車は彼女と仲良くしなきゃいけない時間だ。気を遣う時間だ・・・など。

3:こんなに長く、親友だと思っていたのに、仲良しだったのに・・・。ずっとこのままだと思っていたのに・・・悲しいなど・・。被害者側になっている。かわいそうな私になっている。

4:そもそも、同じ塾にしなければ良かったのかな・・。全ての試験を見せあって励まし合って、私の方がいつも助けてもらっていたのに、私は合格したから「嘘つき」になっているに違いない・・。私は恨まれているよなぁ・・。などなど

5:「そうでもないって、どうして?」雑誌でも男子校の生徒から一番可愛い制服で1位だったのに・・。アァ、怒っているなぁ・・。気まずい・・・。

私の中の思いは全部「私が考えた解釈・意味づけ・憶測」で、これが事実として自分の中では存在しています。

この世は全部投影(推測)から出来ている

当たり前すぎますよね。そうです、私たちは「解釈」が事実として捉えて、それに反応し、感情が伴い、リアルに泣いたり、笑ったり、怒ったり、嫉妬したり、後悔したり、心配したり・・・「真剣な一人芝居」とも言えるのですが、ここから大きな影響を受けています。

これ、全部「私の解釈」が作った私の中での絶対真実、真剣な一人芝居この世は全部が投影で、そしてそれは無意識にナチュラルな状態とも言えます。普通の私の状態です。投影が悪いわけでは全くありません。

 

自分に優しい投影が多いと生きるのがラクです。例えば、A子ちゃんの「そうでもないしー」は、私を気遣ってくれたのかな??とか、私の学校の制服は確かにランクで下から2番目だったし・・。とか、、これがA子ちゃんの中での事実かどうかではなく「私の解釈」がラクだと、「自分がラク」なのです。

1:A子ちゃんはずっと自分の方が点数良く、それで落ちたのに、逆に気を遣ってくれて、そしてこうして今でも電車で朝一緒だなんて、この子はこれからも信頼できる私の親友だと思う→これも全部、ただの自分の中での解釈

2:アァ、性格まで刺々しく、きつくなったな・・・。「そうでもないしー」って投げやりな言い方・・。私の立場も考えて嘘でも良いから「喜んでくれるべき」なのになぁ・・→これも全部、ただの自分の中での解釈

自分の解釈が「苦しい」か、「軽やかで平和か」は何が決めているでしょうか?そうです。私の映写機=心の仕組みです。映写機のフィルムの中身といっても良いでしょう。自分の映写機のフィルム=心の信念体系はどっちの傾向が多いでしょうか・・?

 

実は私たちはありのままを、一切見ていない

例えば、ここに一つの腕時計があるとします。

事実:◯◯デパートで購入し、ブランドは△△で〜〜円だった。

解釈:これを彼がくれた時には、世界で一番自分が大切にされている気がした。すごく私が欲しがっていたのを知り、内緒で貯金をして買ってくれたっけ。でも、実はこれは浮気の代償だったなんて・・・。彼とは辛すぎて会えないけれど、この時計を見るたびに胸が苦しくて、悲しすぎて、涙が止まらない。

解釈にはたくさんの感情や思いがくっついています。解釈が自分・他者への責めや辛い感情が多いほど、生きづらくなりますよね。事実はどうでしょうか?これだけだと、とても平和で何もネガティブな苦しさはないですよね。

しかし、話を聞いた私たちは一瞬で彼女のフィルムのストーリーに引き込まれて、一緒に泣いたり、彼に対して怒ったりします。(当たり前の通常の私たち)

これが悪い、ダメという話では全くないです。仕組みの話です。

いつも私たちは「事実」に何か「色を付けて=自分の中の解釈・事実を載せて」感じたり、判断しています。これが投影の一つの側面です。逆に、一切のレッテル、好き嫌い、思い込みなしに何かを見ることがあるでしょうか?振り返ってみましょう♩

 

一番難しい投影の側面

実は「感情が大きい時」ほど、または「当たり前すぎるもの」ほど「投影」に気づくことができない難しいポイントです。上記ですと「浮気の代償が腕時計」と断言して感じています。彼の本当の意図は誰にもわかりません。(彼しかわからない)

例:自分は実は仕事が遅いって分かっている。同僚の中でも一番数字を出せていないし、作業が遅いし、みんなの足を引っ張っているし、本当はここの職場で給料泥棒って思われているんだ・・。部下も影では自分の悪口、言っているだろうな・・。こんなBさんがいたとします。

⇧これは改めて声を大にして言いますが「この人自身の解釈」です=事実ではない

 

他人の気持ちは100%推測しかできない

自分が自分を「仕事ができない存在」「給料泥棒」「職場の迷惑ないてもいなくても良い存在」と感じているとしたら、Bさんは自分のフィルム=自分の信念体系でしか映画をスクリーンに映し出せないので、このフィルムではスクリーンの登場人物の「上司」「同僚」「部下」が自分をそう思っている・・・、絶対にそうだよねになっているのです。

自分のフィルムを「上司・同僚・部下」の真実のフィルムなのだと完全に無意識に思いこみ「自分をそんな風に感じているなんてひどい」とか「あまりにも理不尽だ」「いつも馬鹿にしている」と本気で反応しています。自分の思い=自分の投影を「相手もの」として完全なる、真剣で苦しい一人芝居を信じています。

振り返ると、人は私も含め、全員が完璧な自分のストーリーを本気で信じて生きています。これが悪いとか、直すというよりは、そもそもの心の仕組みという視点で観察してみます。

 

まとめ

投影は伝えることは文字でできるのですが、本当に理解して見破るところまでは時間がかかります。なんと言ってもこの完全一人芝居があまりにも完璧すぎるのです。投影が深いほど、厚みがあるほど、「当たり前」過ぎて全く気付かずに真実として感じ続けています。

グットニュースは、全てが「投影」で出来ているこの世の中なので、まずは自分が苦しい時には「どんな投影を自分が持っているか」を調べていけばOKなのです。(因みに、楽しくて、優しい投影はこのままで全くOKです)

私はこの風景をどうして苦しく感じているの?事実にどんな意味を載せてリアルに感じているの?

 

自分の中の「意味づけ探し」は自分を苦しい真剣な一人芝居から救ってくれる確実な方法でもありますし、深い催眠状態から目覚めさせてくれるものでもあります。楽しい夢はいっぱい見て良いですよね(楽しくて平和な投影)。悪夢はこうやって目覚める方法がちゃんとあります。

悪夢真っ最中の自分が夢の中で「目をパチパチ」しても目覚めないのと一緒で、実際にはまずは「事実」をとことん客観的に取り出し、そこへの意味づけを探します。

ラクになっていく=ありのままの真実が客観的に見えてくる感じです(セラピー併用は効果的。セラピーは感情を解いてくれるのです。逆に言えば、ありのままが見えない時=苦しい時は「真実」から遠く離れ、自分を激しく否定したり、愛の飢え感が強い時。

 

心の仕組みにご興味がある方との繋がりが嬉しいです♩いつもありがとうございますm(_ _)m

 

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