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「普通」とか「みんな」を使う時

みなさまこんにちは♪
最近、
本当に晴天続きですね~
でも体調を崩されている方も多いですし、まだまだ
インフルエンザなどの影響も大きいなと感じています。
 
さて、今日は「普通」とか「みんな」という言葉を使う時の
私たちの心の様相を書いてみますね。
 
とても軽やかで全くいい感覚で楽に使っている時はある意味
どんな言葉でもOKなのですが
自分の心の中で・・・誰かとのおしゃべりの中で
「普通はね・・・〇〇だよね」
「みんな△△なのが当たり前なのに・・・」
とか、流れている時・・・
 
自分の中で無意識ですが誰かや何かと「比べた状態」で
そこを判断してこの声が出ている・・・と思います。
 
昨日、セッションの合間に「グレイテスト ショーマン」という
ヒュー ジャックマン主演のミュージカル映画を見てきました。
*音が出るのでご注意ください♪
 
この映画で何度も涙が溢れるのはいかに私自身も他者や状況、
世間のこうあるべきという常識などに囚われていて
本当の感じている「これが私自身なんだ」という肯定感よりも
「普通」「みんな」というものに巻き込まれているのか・・・
 
セッションでも同じです。
自分のユニークさで苦しんでいらっしゃる方々が走馬灯のように
頭に浮かびました・・・。
 
これを何度も違う角度から見せられて・・・
 
「私がユニークな私自身を認める」
「私が私を赦す」
「私が私に誇りを持つ」
 
素晴らしさと深さと温かさと安堵感に包まれた時間でした。
 
自分が自分を肯定したい気持ちはもちろんあるのですが
これを貫こうとしたときに立ちはだかる壁が様々な形で
襲い掛かってくるのです・・・
 
でも・・・
 
やっぱり「私」しかいないんだ・・・
ベタですが私が私を受け入れ愛する事こそが無敵であるし
そこには愛がベースなのでどんな脅威や弱さがあっても
溶けていくのです・・・
 
惨めでどうしようもなくダメな自分も・・・
勇敢な力のある自分も・・・
どちらも本当の私なのだ・・・
 
私もあなたも・・・
 
それを知っている・・・
 
自分が作った、他者から教えられた、社会が持っている
「普通」をもう一度自分の中の恐れや不安から見つめてみる時間でした。
 
相田みつをさんの詩もふと思い出されましたね。
 
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ぐちをこぼしたっていいがな
弱音を吐いたっていいがな
人間だもの
たまには涙をみせたっていいがな
生きているんだもの
- 相田みつを -
 
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うわぁ~~んと泣きたい気分です♡
そしてうわ~~んと泣きたい人をそっと抱きしめたい気分♡
わかるわかる・・・。