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他者との比較で苦しんでいるあなたへ

みなさま、おはようございます♪
今朝も温かい太陽が昇る朝日の中これを書いています。

=写真は最近少し変えたセッションルーム=
 
最近のセッション通じ、自分の過去の体験を通じ
『他者、状況などを比べて苦しんでいる時』について
書いて見たいと思います。
 
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自分がそれが出来ていないと感じる時
知っていないと感じる時
それをみんなは感じていて自分は感じられていないと思う時
私は持っていない、みんなは持っているのにと感じる時
 
上記のようなことって日常的によくあることですよね。
 
*例えば講座などをでみんなが理解しているように感じる時に
私だけ置いて行かれる感覚を持ったり…
 
*ヨガの教室でみんなが上手にグラウディングできているように見えるけれど
自分もできているよと見せようとしてしまったり
 
*みんなが共感していることを本当は持ちきれていないのに
自分が間違っていてみんなが正しい、そっちに自分も行かないと・・・と感じたり
 
*自分はありのまま、そのままを見せたいけれど
そうしたら見たくないものを見せられた、、、と感じた人に攻撃されるかもと感じたり・・・
 
もしかしたら「そんなもの見せないで!」と相手や状況を
攻撃したくなる時もあるでしょう。
 
 
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私にもよくあります。
本当は違うと感じていてもみんなの方に入った方が良いのだ・・・
私が間違っているんだ。
 
ハートの声は◯◯と叫んでいても
みんなが喜ぶ方が正しいような気がして本当の声は瞬時に抑圧してしまう・・・
 
本当は正直に生きていたいと思うのに
生き抜くためにはみんながいる方が隠れられたり、
ぼかすことができて守られる安全な場所なんだという自分の中の解釈・・・
 
いじめを見たとしても、それを止めたい自分の声があっても
みんなの方側にいないと生き抜くことが出来ないという感覚・・・
 
これは私たちがもう、生まれた時から自然に持ち合わせている
二つの自我のサバイバルですよね。
 
そう、一つは以前のブログにも書いてありますが
肉体のサバイバル
もう一つは精神のサバイバル。
インテグレイテッド心理学基礎講座より
 
いかに他者と比べて自分は上手くやれているかとか
受け入れられているかとか
安全だろうかとか、権威に守られているかとか、、、
 
全員もれなく自我が持っているものです。
 
生き抜くためには正直になったら存在できない・・・
本当の声は抑圧しなければ存在できない・・・
 
本当は誰かに守ってもらいたいけれどこんな罪を持っている私は
幸せになったらいけない、そんな資格なんてない・・・
 
本当はずっと前からわかり合いたいと思っていたけれど
絶対に無理だからこの不安と悲しみは永遠になくならないんだ…
 
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こんな時にまた深いところにうずくまっている自分と
対話してみませんか?
 
『どうしたの?なぜそんな姿でそこにいるの?教えて』
 
もしかしたら何にも答えてくれないかもしれません…
無言でずっと無表情かもしれません…
 
『ずっとこんなに長い間、1人でそこにいたんだね。
辛かったね…』
 
ひたすら何かを引き出そうという自分の焦りや早く良くしようという
下心は全部捨てましょう。
 
とことん寄り添います。
これが何日も続いたり、時にはテーマによっては年単位かも知れません。
 
ところが本当に寄り添えてもらった感がその存在に伝わった時に
きっとそれが起こるでしょう。
とても自然に…
 
『本当はね、◯◯が欲しかった…』
『本当はね、ただ◯◯を感じたかった…』
 
ずっと抱えていた『不安や悲しみや憎しみ、怒り』などは
どんな役割があったの?
 
もし、それがなくなったら
その問題を手放した気にならない自分になっちゃう…
 
これがもし、親子の問題だとしたら
ずっと親子間で憎しみや悲しみの感情を持っていたとしたら
これは言い換えれば
『親子の絆を繋げてくれるもの』
『母を、父を忘れないで済む愛情そのもの』
 
親子の愛の証は絶対に手放したくない・・・
 
そんな感情のエネルギーでもあるんです。
 
必ず私たちはそれを手放さない時には訳や理由があります。
 
その声を、本当の声を聞いた時に
氷河期の氷がゆっくり溶けていくような安堵感が広がります♡
 
あぁ、最初から全てが本当に愛情そのものの中で起こっている…
 
いつも行き着くところはそこです。
 
素敵な1日をお過ごしください♪