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私たちは躍動そのもの

おはようございます♪
お盆の真っ最中ですね・・
都内はなんだか電車や道路がすいている感じです。
 
でもちょっと行楽地に行けば夏休みという事で
この時期特有の光景が織りなしています。
 
私もご先祖様に日ごろの感謝をしつつ
想いをはせています・・・
 
「今の私で大丈夫?」
 
そうです・・・
何か聞いてみたくなったり、頼ってみたくなったり
または褒めてもらいたいのかもしれませんし
甘えて見たいのかもしれませんね・・・
 
そんな存在が、自分も他者も精一杯生きているからこその
「大丈夫?」なので愛しさがこみ上げます。
 
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あるセッションで感じたことでした。
いわゆるCPTSD(コンプレックストラウマ)、愛着障害、
家族機能不全・・・などなど色々な呼び名はありますが
そのレッテルが大事なのではなく、何がその方に起こっているのか・・
 
これをひたすら観察していくと、
そこにはいつも感動があります。
 
母親からの過干渉がずっと続いたとしたら
例えばそのご飯の食べ方がおかしい
その友達と仲良くするのはおかしい
その学校を受験するのはおかしい
その部活を選ぶなんておかしい
その笑い方おかしい
こんなに成績が落ちて普通にしているあなたはおかしい
 
「あなたはおかしい」
 
言い続けられたらどうなりますか?
 
 
母親の不安は全て私が源だからと自分は母親の「加害者」という
罪を背負って生き続ける人がいました。
(逆に自分は被害者だと感じる場合ももちろんあります)
 
今回は「加害者」の私があまりにも刷り込まれていた場合の話です。
いくら「大変だった」と頭では理解しても
自分が悪くなかったと大人の自分が感じても
 
心の奥では「自分が辛かったんだ」という思いを持つこと自体が
とても罪だったりします・・・
 
そんな時には色々な声が交差します・・・
 
「あれはずべてなかった事」として封印することで生きてこられた場合などは
「すべてあれはなかったね」と一度ここを十分に分かってあげれないと
とてもその先の声が聞こえてきません。
 
「全てあれはなかったこと」をまずはこの声を十分受容した後に
「本当はそれがあったんだよ」
「なかったことにしないで!」の声がやっと出てきます・・・
 
 
そしてやっとそこにくっついていた感情達・・・
怖さ、悲しさ、辛さ・・・苦しさ・・・が顔を出します。
 
が、そこの奥を探ろうとすると「全部嘘でした」と・・・。
 
こうやってまた自分が嘘の記憶を出しているとある意味抑圧してきます。
 
そして「嘘だ」ということにしないと生きてこれない状況を
充分に待って待って受容してきたときに聞こえてきたのは
「なかったことにしないで」というか細い小さな消え入りそうな声・・・
 
 
本当は母親に監視しないで!私に寄り添って!私をコントロールしないで!
本当の真の私を見てほしいという声が出てきました。
 
そしてとても望んでいたのは静かな誰にも邪魔されないけれど
大切にされる場所に「保管」してほしいという切なる願い・・・
 
長い長い間ずっとこうして抑えてきた声は「大切な保管」を望む場合も
あるのだなぁと私も涙が出てきます・・・
 
自分の中のエネルギーの望みは本当に計り知れないけれど
どれもが精一杯生きている生命の動きそのもの・・・
 
この動き方や輝き方に優劣や正しさがあるのではなく
躍動の力が美しいと感じます。
 
私たちは躍動そのもの・・・
 
「私は正しく生きている?私はこれで大丈夫?」といった
この私も躍動そのもの・・・
 
今日も自動的なこの躍動の中で生命を感じていきたいと思います。