おはようございます♩
今朝はどんな朝をお迎えでしょうか?
今日は自分が相手や何かを批判している時
無意識ですが「私が正しい」とか
「◯◯するべき、そうあるべき」になっていませんか?
当たり前ですが、自分が正しくなかったら
相手を責められないんです・・・
この心の仕組みの構造を
みなさんとシェアできたらと思います。
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何気なく使っている「べき」ですが
→この時にこの「べき」を守っていない人や状況を
想像しながら思考が出てきていますが
これを言っている時には無意識に
「それが正しい、当たり前、常識」がくっついていませんか?
例えば「普通さ〜、お弁当にそれは入れないでしょ?」
「あの人常識ないよね。ここであの服着る??」
「上司なら当然これぐらい気づくべき。できないなら人の上に立つな」
などなど
ちょっとした誰かの悪口から社会のニュースなどを
批判していることまで全部です。
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例えば私の場合は極端な例ですが
子供が学校に行けなくなり
不登校になって引きこもってしまった時に
リストカットから始まり
自殺企図を繰り返したりしていたので
本当は耐えがたい恐怖で気が狂いそうでしたが
温かく優しい強い母親であるべきと
夜中でも話に付き合い励まし続けて
6年間過ごしていました。
私自身もその間、摂食障害、パニック障害、躁状態で過活動の状態、
交感神経優位で頑張り続けてはいたものの
本当は限界をとうに超えていました。
でも頑張る私でいたら
【離婚した責任を果たしている最低限の母親】でいられる…
この姿でいたら社会的にも許されるし、
自分が自分を許せると(こうなったのは私のせい)
自分の「べき」を命を削って果たし続けていました。
結果、より拗れまくって傷をお互いに深めるという
当たり前の結果になってしまいました。
そして・・・
自分の正しさで行動してしまったらそれを
「正当化」するしかなくなります。
「私が絶対に正しいの」を続ける必要が出てきます。
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自然なナチュラルに◯◯してあげたいな…の衝動から
義務感として◯◯するべきになってしまう行動は
いくら自分や社会的な通念で正しそうでも
いつかは破綻して、
相手や周りや自分自身を攻撃する行動。
自分を動かし支えているエネルギーが
どう言う仕組みから来ているものかを
自分が理解して受容していくことが鍵です。
先ずは自分から優しくはそういった意味でも
間違いではないでしょう♡
→飛行機の中で、酸素マスクをまずは親がつけてから
子供に付けることを勧めているのもなるほど…です。
自分が苦しいのに他者へ優しくは
そもそも無理ですよね。
ここへくるまでに相当な回り道をしましたが
これでもか・・という遠回り体験から実感へが一番でした(笑!)
いつも応援ありがとうございますm(_ _)m
励みになります♡