おはようございます♩
今朝はどんな朝をお迎えでしょうか?
今日は朝、寝坊できない・・と思いすぎて
4時台から2度寝ができず起きてしまいました〜
今夜は早めに休もう( ;∀;)
さて、「視野が狭くなっている」って
自分ではなかなか気づきにくいですよね。
自分はいつだって最善のつもりですし
色々な可能性を吟味しているつもり。
人のことは結構気付けるのですが
自分自身のことが実は一番見えにくいのが当たり前。
全体が見える=つながりや共感ができていて
苦しい時ほど視野が狭くなって
「自分一人劇場」に無意識でなっていることが多いです。
そして自分の一人芝居の中で本気で苦しんで
全部、頭の中の妄想ストーリーを走らせて
勝手に喜怒哀楽しているのが通常です。
→私ももれなく
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ストーリーから外れた自分・・・
自分の夢から目覚めている自分・・・
理解が進んだ自我。
いい意味での目線が上がっている自我。
もちろん、身体がある限りは「個=自我=私」感覚はあるけれど
全体を見渡せる視野ができてくるほど
「苦しみの渦」には巻き込まれにくくなります。
*お父さんが訳も聞かずに門限を破ったと
玄関でいきなりビンタした。
もう怒りと悲しみでいっぱい・・・
こんな例があったとします。
私たちはこの「怒りと悲しみ」に同化して
怒り=悲しみ=私そのものとして今までの父に対する思い出や
記憶の感情の波、嫌だったエピソードに巻き込まれているのですが
ここでポイントです。
このエピソードを「外側から見ている」私をイメージしてみましょう。
そして怒っている私に
「何が悲しい?」
「何が悔しい、」許せない(怒り)?」
「いきなりのビンタ」ってどういうこと?
私にとって、どんな意味があるんだろう・・・
こんな「目線」が持ててくると
感情の渦に巻き込まれずに、自分への理解の方向へ
向かっていきます。
出てきた感情は最大限にウエルカム。
そしてそこに隠されたどんな声があるんだろう・・・
こんな視線です。
もしかしたら「理解されなかったこと」かもしれないし
「大事にされなかったこと」かもしれないし
「父に叩かれる=愛されていない」と思ったことかもしれないし
→父に愛されたい自分がいるし
なんでしょうね・・・
ここが一人一人全く心の構造が違うため
ブログで答えを「こうです」って書くことができないのですが
見えていなかったここが顔を出して
初めてふっと緩んだり、辛さが減ったり
自分への理解が深まって優しい目線になれると
初めて他者へも同じ目線が向けれたりします。
自分が本当は物凄く怒っているのに
→怒りのストーリーの中で生きているのに
相手に親切にしたり、理解している振る舞いをすることは
自分を縛っていますよね。
縛りはいつか、爆発します。
どんなストーリーの中で苦しんでいるのか
まずは自分が見つけてあげるって自分への紛れもない愛。
自分への愛を増やす=他者への愛も増える
世界平和♡へつながりますよね。
優しい世界って住みやすいと思いませんか?
いつも応援ありがとうございますm(_ _)m
励みになります♡