②の続きから・・・
パニック発作で苦しんでいるときに実は私の妹が
同じような状況に電車に乗っているときになるよ~と
打ち明けてくれたとき・・
どんなにか心強く思ったことか・・・
自分しか分からないし、誰にもわかってもらえない感をますます
強めていた私にとって妹の存在は本当にありがたかったです・・・
美容院へ行けなくなっていた私に家に来て髪を染めてくれたり
洗髪の時に家にいてもらい飛び出したくなる私を抑えてもらったり
(実際、居るだけでも我慢が出来るぐらいに安心できました)工夫しながら
毎日を子供の命は相変わらず見張りながら過ごしていました。
そして、私は大丈夫だから子供を・・・!ということでこの頃も病院で
色々なカウンセリングを受けたり、子供の症状に強い先生を全国から探して
有名な方へ見てもらいたく駆け回っていました。
もう、毎日が命がギリギリの状況でしたから有名な方だとすぐに良くなりそうな
気がして突き動かされていました。
本当にこれは元気でしていたのではなく今思えば躁状態です。
子供のケア100%でした。
自分ケアはゼロです・・・なぜならば『私は大丈夫。あの子さえラクになれば・・・』
が当たり前だったので・・・
注)当事者は自分がどんな状態かなんてまず気づくのは難しいです。
ましてや大切な家族が辛い状況だと自分ケアはすっ飛んでいます。
今思えば一番見た方がいいのはまずは『親である私』なのですがその当時は
そんなこと言う先生に会えば『この人は当てにならない・・・』そんな風に
感じたでしょう。
でも、子供の方もカウンセリングを受けてもどんな有名なお医者様に診せても
坂を転げ落ちるように状態は悪化し、高校3年生までの間に沢山の入退院、
などの経験を繰り返しました・・・
結局は行政、警察が間に入り共依存になっていた共倒れ直前の状態の
親子関係を距離を置くことで息を吹き返す始まりになりました。
この時までは私は自分から離婚後、一人で育てると決意したのに我が子
を手放してしまうことへの物凄い罪悪感で
絶対に自分が許せずに許可が下りませんでしたが
『行政が、警察が』といった何かのせいにすることで
ようやく自分でも離れる決心がついたのでした。
言い訳が必要だったんですね・・・(これも今だからよ~くわかります♪)
この何かのせいにする・・・これものちのちセッションや心の仕組みである
インテグレイテッド心理学で学ぶことになります。
インテグレイテッド心理学は私の心のバイブルで今でも毎年欠かさずに
師匠の溝口あゆかさんから習っています。
ちなみに、本当に副産物としてですが⇒心の仕組みから見ると自然なことですが
子供は今は自立し、仕事をとても頑張っていて、人を指導する
ポジションに付き、結婚しています・・・
離れた当初は勿論荒れて大変でしたが自分の中の本来の力を
距離を置くことでゆっくり回復していき、自分が自分を信じる力が
顔を出してきたように思います。
私も今でこそ本当に親子はいつもそばにいて手取り足取りすべて
やるべきから【遠くから見守る愛もある】と心から思えるように
なりました⇒これは時間がかかりました。
最初はずっとそんなのは言い訳で逃げだと、自分を責めていましたが・・・
子供と初めて距離を取ることから、【初めて自分へ目が向いた私】が
体験した変化について続きに書きますね~☆
④に続く
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私がセラピストになったわけ③
masumi