【お客様の声:テーマ】
【年齢:職業】30代前半・会社員
今の彼とは約5年間お付き合いしていますが、もう、別れないとダメだということは頭では分かっていても、どうしても別れられないのです。本やネットからの情報で、どうやら私は精神的DVを受けているらしいのですが、彼の反省している姿や、彼の人付き合いが不器用な姿や、本当は頑張っている一面を見ると、どうしても切り離す事ができません。
一方で親も心配し、結婚もしたいし、でも彼とはうまくいくはずもなく・・・自分がよく分からなくなっています。
私は彼の保護者のような気分になっている時もありますが、時々彼がいなくなれば良いとか、大きな怒りが衝動的に出てしまい、彼は私の人生の邪魔をしている存在にさえ感じてしまいます。憎しみと愛が混乱し、自分を整理したいのです。
【セッションを終えて】
彼との関係だけをみていけば良いと感じていましたが、もう、自分自身の内側をみざるを得ない事が人生で現れていたとは、驚きました。
私は彼の被害者で、彼が悪い、彼が変化するべき、彼が気づいて直すべきだと思っていましたが、セッション自体は全く違う方向へ進んで行きました。(最初はどうしたらいいでしょうか?の連呼でしたね。笑)
どうして私が彼と別れられないかの視点を深く潜在意識から掘り下げて見つめると、複数の「私の声」がそこにあり、このビリーフやセルフイメージが行動として「別れない」状態に現れていただけで、見つめていくのはこの自分の心の構造そのものでした。
彼の姿をかわいそうな人、弱い人、一人では生きていけない人と見ている事自体が「自分の世界からの景色」であり、事実は「彼がいる以上。」だったことは脱力さえ感じました。→この彼を見捨てることは大きな罪という私特有の解釈がありました。
彼を見捨てると解釈していたのも私のからの世界の言葉。私は酷い人というのも私の世界から生まれる言葉。
彼の姿が自分そのものと重なっていたとは・・です。→彼と別れる=自分を見捨てるになっていたとは・・
全部私の世界からの解釈でしか、目の前の現れている状況をつかめていないなんて、当たり前すぎますが、ここに留まって何が起きているかをじっくりと身体を通じてセラピーで体感して行きました。
そしてそこにあった感情の声を聞いていくことで、自然と過去のあるシーンが出てきたり、過去の傷ついていた私の癒しを進めていくうちに、彼は何も変わっていないのに、「私の世界が変化」してきました。
「見捨てること」「見捨てられること」についてこんなに自分の中で大きな意味を持っていたとは、全く気づかなかったことですし、ここに沢山の感情があったので、
セラピーのなかで自分と対話していくと、ここの解釈も変化し、彼をありのままに見る事が少しづつできるようになりました。過去のずっと忘れていたけれど勝手に出てきたシーンの癒しが大きかったですね。(頑張ってそう見なくても自然にそう感じることができる)
感情のリリースが私を苦しい世界から自由にシフトさせてくれました。いかに感情に支配されているか実感です。
私は私を見捨てる・・と「私の解釈の世界」で苦しんでいたのですね。
私と別れても彼は大丈夫だとも気づきました(笑)
逆に言えば、彼は私と別れたら死んでしまうのではという恐怖があったとは、いくら私の世界とは言え、凄い世界の中で私は生きていたんだと今は振り返る事ができますが・・・わかる筈もなく・・・。
自分にお疲れ様と心から寄り添えて、大きな荷物を下ろしたようなホッとした安堵がここにあります。
彼との関係は入り口でした。自分を深く理解して、自然な寄り添いにシフトして行くことが、セッションの中での一番嬉しい事です。これがあれば何があっても大丈夫な感覚です。
そこに一切の「頑張り」「〜〜べき」がないことがこんなにラクだということを実感しました。