おはようございます♪
今朝はどんな朝をお迎えでしょうか?
最近、若い子育て真っ最中のママたちに
会うことがあり
そんな場ででてくることは子育ての悩み…
うちの子はちゃんと決めたことを守らないんです…
習い事を始めても
練習しなくてすぐに次のレッスンが来てしまうんです…
好奇心旺盛なのでほぼ毎日のように習い事に明け暮れているけれど
いつかこの子がパンクしてしまうのではないか…心配です…
いわゆる出来ていても、出来ていないことでも、
心配が尽きない子育てですよね。
何が一番、気になっているんだろう…
何が一番嫌なんだろう…
つい、子供をどうしたら良いのかとか
どうしたら気分の切り替えが出来るのかを考えてしまうけれど…
気になることがあるのに気持ちを切り替えてしまえば、
そこに本当は感じて反応している私を
抑えていなかったことにしてしまいます…
反応はそこに「たしかにある」のです。
なぜその感情や思いがでているのかを
分かってあげたいですよね。
========
子供にピアノを習わせているとします。
通い始めた教室の先生は優しくて、
娘が練習嫌いなのも知っていて
「ここで一緒に練習すればいいのよ」と言ってくれるのですが
我が子の練習嫌いが気になってしまい
毎日やきもきしている・・
そんなお母さんがいたとします。
→私もそうだったな〜(遠い目)
「いつやるの?」
「もう、ゲームやさせないよ」
「じゃ〜、ピアノやめる?そのほうがママはずっと楽!」
どうしても目線やっていない怠けている子供に向かい
ヤキモキ、イライラ。
気持ちを切り替えるために自分が他の用事をしたりしているけれど
それは実は逆に自分を追い詰めています。
本当は今、無理にでもピアノに向かわせたいのですから・・
=======
何が起こっているのでしょう・・
私は何を本当は感じているからこんな毎日を過ごしているの?
彼女の場合は、自分たち親子が先生に
「この親子はやる気ない親子」だと思われたくない。
先生に対して申し訳ない感じ・・
「先生に対して」の気持ちが彼女のヤキモキとイライラを
作り出していました。
もし、先生が本気100%で「本当にここで練習すればいい」ならば
子供が練習しないで次のレッスンでも
(上手にはならないけれど)ヤキモキ度は減っていました。
子供をどうにかしたい気持ちの下には
自分が感じたくないこと、否定していたり、嫌だと思っている
そんな訳がこうしてあるのです。
そして先生の優しい言葉が「あぁ、だらしない親子の認定だ」とまで
解釈が自分の中で起こってくるのです・・
自分の中の感情や感覚、思いは
必ず自分特有の、「辻褄のあった理由」があり
それは思考ですぐに考えて答えが出せるものとは
「しっくり感」「腑に落ちる感覚」が違います。
そしてそこにある感情はセラピーで対話して動かしていきます。
→辻褄だけ見つけてもすっきりしないのは
「感情」がそこにくっついているため
私だけの大切な辻褄の合う理由
そこにずっとあった叫び、出せなかった声を
一緒に見つけ出して救出するのが癒しであり受容。
自分への愛の一つの形・・
今日も素敵な1日をお過ごしくださいね♡
応援ありがとうございますm(_ _)m
励みになります♡