おはようございます♪
今日は雨・・・いかがお過ごしでしょうか?
今から少し身体を動かして来ますがその前に書き留めたくなりました。
あるクライアントさんとのセッションで(長いお付き合いの方です)
フィードバックに書いてあった言葉から・・・
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セッションの冒頭で、最近の自分の状態~安心できなくて、
いろんな情報に過敏で大変だ、疲れちゃう~とお話しさせてもらったのだが、
その安心していない自分に同化していた!!ということを問いかけで気づかせてもらい
全く気付けていなかったことに驚いた。
デフォルトの自分―
『本当は安心したいけど、安心せずいつでも警戒して見張っていることで、
安心しようとしている自分』―をよく理解し自覚して、
この自分にとどまって日常を見てみるということが、
とても大切なんだと教えてもらいました。
デフォルトの自分を理解することで、『この自分だから、親に腹が立つ』など
出てきているのだ・・・
『最近は、結構自分のこと観察できてるしぃー』とか思っていたところだったので、
またまた同化してる自分に気付くことへの難しさを再認識できた。
安心していないそのものの自分からしか世界を見れていない。
本当の意味で出来ていなくて、
『安心したらダメだぁぁ~』という声が出てくる。
私=苦しみ になっちゃってるから、外していく練習をしていけばいいだけなんだなーと。
わたしの表面に出てくる感情や想いに、より共感することができ、
自分への理解や自己愛が深まるのがわかります。
実践して、とどまることの大切さをふかく体験したいと思います。
あゆかさんの講座のお話しから境界線についても学ぶことが出来た。
他者と境界線を引くときに発せられる言葉そのものだけが大切なんじゃなくて、
その言葉をどういうまなざしで自分が言っているか、ということを、
ますみさんは常にチェックしていると聞き、とても勉強になった。
『境界線』という盾をつかって、自分を守るために発言していたことがあったことを思い出した。
それを言っているときの自分の感情は恐れや怒りだった。
境界線という名の防御だったなーと気づけた。
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私たちは無意識に自分が感じている「感情=自分そのもの」になっていること
良くあります。
例えば「怒りを感じている自分」からいつの間にか
「怒りの塊」として相手を見つめている自分とか・・・
そして境界線の話ですが私も耳が痛い話。
本当にすっかり感情に乗っ取られていると相手を「悪者」として
境界線を「正当な理由」として大義名分で全く気付いていない自分が居たり・・・
良かれと思って相手の領域にいつの間にか入っていたり・・・
表面上では良い事していて頑張っている自分だったり・・・
それに自分の正しさがないと、
私たちは相手を責めたり、行動そのものが出来ませんよね。
自分を本当に間違っていると思っていたら・・・
想像してみてください。
その時の自分を動かすエネルギーはきっと弱まってしまう。
思いっきり相手を攻撃するときは
信念を通すときは「自分に正しさが必要」
だから・・・
いつも心に留めておくのは私が相手に何か言いたいとき・・・
「私はどんな眼差しで相手を見ているの?」
「相手の事が嫌いで?相手が赦せなくて?怖いから?」
これをじっくりと探ってみます。
自分の中に本当に本当に恐れがない時の「相手に伝える言葉」は
それが結構強烈だったとしても・・・
そこに愛があるときは、優しさがあるときは大抵上手く伝わります。
逆もしかり。
きつい事言われたなぁと感じたとしても
それが愛情からだと思うと全然痛みがない。
*優しい言葉でもそれが冷たさや批判から来ていると
とても痛みがあります。
相手の姿や行動のすべてが優しく自分に映る・・・この不思議さ。
境界線を「盾」として守りで引いているか
愛情いっぱいの温かさで引いているか・・・
私もいつも気をつけたいぞ~と改めて思ったのと同時に
いつもクライアントさんに素敵な気づきを同時に貰っている。
分かっているつもり・・・から体験の「分かった」へ・・
知識や情報を超えた体感へ・・・
幸せ・・・♡
その境界線はどんなエネルギー・・・?
masumi