心の仕組み

究極の「ラク」はどこにある?

おはようございます♪
今朝はどんな朝をお迎えでしょうか?
 
今日は「究極のラクさ」について
読んでくださっている皆様と分かち合えたら‥と思います。
いつもブログを書いている時は
どんな方がこれを読んでくださっているのかな・・とか
どんな方がどんな表情で自分事として
感じているのかな・・・とか
 
妄想が広がります~笑
 
その目には見えないけれども誰かと
繋がっている感覚が私は好きです。
 
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私たちが苦しい時・・・
例えばもし、障害を持った子供が生まれたとき・・・
交通事故などで片足を失った時・・・
認知症で自分の事を全く忘れた親を見ている時・・・
 
どんな時でもいいのですが
こんな時には持って行き場のないような
苦しいエネルギーに包まれて、世界は真っ暗だったり
悲しみ一色になったり
全然明るい未来が見えずに閉ざされたようになったり・・・
 
そんな気持ちになりますよね。
 
どうしてこんなに重たいエネルギーがくっついて
苦しくなるのかと言えば
そこには目の前のその人がいる状態から
沢山のストーリーを同時にくっつけて見ているから。
 
例えば、子供が障害を持って生まれて来たら
事実は「目の前に〇〇ちゃんがいる」
それ以上でもないし、それ以下でもない。
 
実はいつだって事実は「苦しみや悲しみや辛さがない」状態。
➤私はこれに気づくまで相当な年月が掛かりました。
 
 
この事実に色々なストーリーが同時にくっついているからこそ
私たちに様々な思いや感情が沸き上がります。
 
*この子は将来苦労するんだ・・・
*人並みの幸せはこの子は得られないんだ・・・
*私はこんな風にこの子を産んで罪深い・・・
*私たちが死んでしまったらこの子は生きていけない・・・
などなど・・・
 
これらは全て「事実」ではなく
自分から生み出された「意味付け」「解釈」の部分です。
 
実はこれがあるからこそ、本当に身体で感じる
苦しさが出てきます。
そしてそれはとても「リアル」です。
➤身体の感覚、感情がよりリアルさを加速させます。
そしていつの間にかこちらが絶対的な事実になります。
 
 
もし、目の前の我が子の「ありのままの姿」そのものを
リラックスして受け入れられていたらどうでしょうか・・・?
 
目の前の我が子はもしかしたら普通学級ではなくて
誰かの介助なしでは何もできなくて
食べることも着替えもままならなくて
ただいつも意味なく叫んだり、突然笑ったり・・・
 
自分の中ではこの姿を「何か意味付けして」
ダメなもの、変えたいもの、認めたくないものとして
反応している時に非常に苦しいですよね。
 
 
もし・・・
本当に突然の笑顔を「あぁ、笑っているんだね」
「何か喜んでいる瞬間なんだ」
 
そんな風に自分が感じられたら・・・
その瞬間に自分に苦しみはあるでしょうか?
 
 
いつも書いていますが「ありのまま」の事実、真実の場所に
自分が居るときは本当にラクです。
 
いつもこの場所に居ようとか、こう感じようという話ではなく
この場所から離れたときに苦しいよね・・というだけ。
 
私もすぐに「ありのままの場所」に居られるテーマと
絶対に抵抗感や受け入れがたい気持ちが頑固にどかない時と
色々です。
そこにもちゃんと訳がある。
➤この訳を抱えているイメージの私と対話が続きます
 
 
ただ・・・
少し想像してみてください。
もし、一切の何も解釈や意味を持たない
生まれたばかりの何も考えのない「ありのまましか見えない私」
この私として目の前の誰かを見たときに・・・
 
その風景はどんな風景?
 
ここはフォーカシングやセラピーを用いながらになるかもしれませんが
この静かで、温かくて、ずっと変わらないエネルギーの中で
少し休憩できると・・・
 
深い深い苦悩の中に居続けている場合は
随分ラクになれます。
 
頭で答えを出さずに・・・
直ぐに答えを出さずに・・・
まずは身体を通じてゆっくりと感じてみましょう。
1日3分でもOK.
 
一切の解釈や意味付けのない世界へようこそ♡
 
 
いつも応援ありがとうございます<m(__)m>
励みになります♡
 
 

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