依存症

競馬依存から見えてきたもの

おはようございます♪
今朝はどんな朝をお迎えでしょうか?
 
今日はいわゆる依存症ならばどんなものでもいのですが
そこには必ず「止められない理由」があり
それを見つけ、傷ついた声と対話し
自分が自分を受け入れられたり許した時に
初めて「依存が必要なくなる」例を
皆さんと分かち合えたらと思います。
 
 
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あるクライアントさんは50代。
独身の頃から当時付き合っていた彼には内緒で
競馬に狂っていた時がありました。
 
1週間の仕事が終わるや否や、すぐにいつも競馬場に・・。
あの場所特有のエネルギー、人々の色々な思惑・・・
全てに高揚感があり、実際にはお給料の殆どを使っていたし
時には借金までしてでもやめられなかった競馬。
 
50代の今は、どうにか抑えているものの
最近、行きたくてうずうずしていていつか爆発しそう・・・
旅行や趣味や、友人との飲み会などで
気持ちをどうにか誤魔化しているものの
自分でもおかしい・・・と
一度辞めたけれど、本当はやめていない気持ちにも気づいていて
私、どうなるのですか?とのお話から・・・
 
 
彼女は実は仕事がとてもできる人で責任ある部署を
任されています。
周りからは信頼も厚く、自分でも出来ない仕事などあると
果敢に努力して絶対に人から後ろ指刺されたくない・・・
そんなバックグラウンドがありました。
バカにされたくない、人から下に見られたくないなどの
伏線もありました。
 
競馬で何を満たしていたか・・・というと
自分で馬を選ぶ・・・
自分で騎手との相性も選ぶ・・・
人の流れや、「勝つ」ことは全てが
自分の選択で決まる・・・
勝つことが「自分が頑張ったことでやってやったぞ」という
気持ちになれて「優秀な出来る自分」を感じられる・・・
そんな事が見えてきました。
下に居る自分ではなく、上に立っていられる感覚が
何ともいい感じだったのです・・・
 
 
「私は出来るんだ」「私は負けない」
この感覚を味わいたくて、足繁く通っていたのです。
という事はある意味、ここに通っていない時には
常に緊張感の中、「私は出来ていないから」頑張り続けて
結果を出し続けなきゃ、負けるかもという恐怖の世界で
戦っていましたとしみじみ・・
 
私は「出来る人」ではなくて出来ない人だからこそ
戦い続ける必要があったなんて・・・!
ここが腑に落ちるまでも時間が掛かっています。
 
 
実は自分がコンプレックスの塊で
家庭環境も惨めで、人には知られたくない家族構成だったので
勉強だけは負けたくない・・・
そんな気持ちで学校だけは頑張り続けました。
 
母親は出ていく時に妹を連れて行ったのですが
「お前はここに残ってお父さんの面倒を見て」
この言葉も平然と受け入れていた自分がいましたが
落ちこむことさえフリーズして出来なかったのだと
50歳になって気づきました・・・
 
この場面は今でもしっかりと覚えています・・・
そうおっしゃっていました・・・
 
ご両親ともに亡くされていて今では
「もう過ぎたこと」とか
「死んだ人を恨んではいけない」とか
両親も仕方なかったのだ・・・などと思っていて
自分ではたいしたことではないはずでしたが
 
置いてきぼりにされた幼い私を癒すセラピーで
ココロの中に溜まっていた大声を出してあげる事で
自分がいかにここを抑えていたかを知りましたと
仰っていました。
➤声が出るまでも時間が掛かっています
 
 
見たくなかった・・・
なかったことにしたかった・・・
触りたくない・・・だって今は大丈夫だし
私はもう大人なんだから・・・
それに、私はちゃんとできる人で、部下もいて・・・
 
何度もここに来るまでに時間が掛かりましたが
ゆっくりと段々と氷河が溶けるように
変化されていきました。
➤複雑性トラウマもあって、徐々にでした。
 
 
 
今では競馬中継を見たり、馬券売り場の前を通っても
「懐かしい」気持ち、「愛おしい思い出」として
感じます・・・と変化。
 
ある方の競馬物語でした。
 
 
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