おはようございます
今朝はどんな朝をお迎えでしょうか?
今日はいつも書いている『気付く』ことと
『考える』ことの違いについて
みなさんと分かち合いたいと思います。
********
考えているとは?
例えば
今日はこれから◯◯さんと会って、ミーティングだ。
あ、その前に、彼にもコーヒー買っていこう。
あそこのコーヒーは格段に美味しいし。
彼には色々迷惑かけているから、
せめて自分がこのぐらいは気を遣わなきゃ。
急ごう〜
これはただの考え。
なんだか自分なりに彼に気を遣っているから疲れるよね、とか、
この仕事自体がわたしには荷が重いとか、
正当な考えのようですがただ思考レベルで考えているだけ。
最もらしさや分析も入り、いかにも「考えている」と
思考が感じる状態。
通常の私たちはこの状態です。
私もセッション以外では勿論これがメイン。
では、「気づくってなに?」
=========
私たちは悩んでいる時こそ、苦しみがある時こそ
実は色々考えているように感じますが
これこそ、上記のような思考の言葉の羅列の中で
一生懸命答え探しをしています。
これはその自分がイメージした世界の中に
どハマりしていて、客観視ができていない
同化しきっている状態です。
これが悪いとか、いけないと言う話ではなく
私も苦しみを感じている時には
もれなくこの状態になっています。
溺れていて、救命胴衣や浮き輪を懸命に探したり
大声で助けて〜と叫んでいて
パニックです。
そんな時はまさしく感情の渦にはまっています。
「どうして気づいてくれないの?」
「どうしてそんなひどいことをできるの?」
「私、悪いことした?」
頭の中は静かなベッドの中でも嵐です。
では【気づく】とは?
*私は40歳になってもう子供を産めないかも・・・
このまま一人でずっと孤独で最後は孤独死なんだ・・・
家庭を持って愛する人と共に寝起きして、その人々のために
食事を作り、家族で出かけ、そんな人生を送りたかったのに・・・
こんな風に展開する頭の中のストーリーは誰にでも
1度や2度は経験ありますよね。
このままでは「考えているのみ」なのでこの渦から永遠に出れません。
忘れるために、感じなくて済むための逃避行動を
続けるしかないですよね。
では【気づく、振り返る】とは。。。
*40歳は子供がもう永遠に産めないと私が感じているんだな
*このままずっと一人が続いていくと私は感じているのね
*一人暮らしは絶対に孤独死になると思っているんだ・・私って!
*家庭を持つ=愛する人との寝起きを共にすることと
感じているのね、私って人は・・・なるほど。
*私は愛する人に食事を作る、出かけることが人生の望みなのね・・そうなのね。
最初の「考える」時は思いと感情が自分とくっついている状態。
イコールになっています。
この時にどんな崇高な言葉が流れていたとしても
ただ「同化」して苦しみと
離れることは難しいでしょう・・・
では「振り返れる時、気づいている状態の時」は
どうでしょう・・・?
自分と出来事、感情、思いと距離ができているのは
わかりましたか?
「同化=感情と思いそのものになっている」時
まさに、悩んでいる時に改めて自分が同化しているか
立ち止まって確認できたら・・・
そこから少し風が通り、なにかしらの息抜きができるでしょう。
ハマりきっている・・・(同化しきっている)
それは悪いことではないのですが
苦しい時ほど、ここに気づけると早く楽になれます。
いつも応援、ありがとうございますm(_ _)m
励みになります♡