おはようございます♪
今朝はどんな朝をお迎えでしょうか?
今日はFree Hugsについて…
皆さまと何かシェア出来たらと思います。
2019/10/23に渋谷のスクランブル交差点で
韓国の方のスヨンさんが
Free Hugs@東京として行いました。
行ってきましたよ〜♡
そもそもFree Hugsが今、どんな人も
割と気軽にしていて
内容も、社会性に訴えるものから
個人的な願いでハグを求めるものもあるらしく
→例えば「僕と結婚して」とか、記事を見ました!(驚!)
ある日の渋谷などは隣同士が数メートル以内みたいに
沢山の人が行なっている…
そうなんだーと改めて知りました。
では、私は何故惹かれるのかな…
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ハグをすることで「何を感じることが出来る?」
ハグを通じて、「(私からは)何を伝えたいの?」
私にとって、ハグとは?
これらがない人生とは?
生きていく上で私は何が大切?
どう在りたいの?
この辺りを考えれば、どんなハグでも大好きというよりは
今回は「国同士が政治的には仲良し状態ではないけれど
人間同士としては愛がベースだから繋がっているよね」
そんなメッセージ性に惹かれたのです。
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自分を見つめてよく出てくるのが
最初のテーマや悩みの表層は毎回違えども
最終的にとても私が感じたくないものは
「繋がっていない感覚」「分離感」などで
ここから孤独や悲しみが尽きることなく出てきてしまう感じです。
こんなにも「繋がれていない」事が私にとって苦しみの元にあるものなんだ・・
毎回、確認させられています・・
そして逆に困難があっても、得たいものが結果、得られなくても
「繋がり」の中でだと
それを受け入れられる自分がいたり・・
例えばある闘病中の女性がいてどうしても身体の機能が
元の自分に戻らなくて苦しんでいたとします・・
「これができない私は必要とされない人になってしまうかも」
「誰かに迷惑をかける私はきっといつかはお荷物になってしまう」
「自信が持てない・・将来は真っ暗・・」
「私、命は助かったけれど、これで幸せ?」などなど・・
彼女はなぜその身体の機能が必要だと思っていたのでしょうか?
よくよく聞いてみると心の深い部分では
それができていたら、家族から、会社から、友人から
「必要な人」「助けてくれる人」として
受け入れられるから・・
そんな思いが出てきました。
なのでそれがない私は「役に立たない私」「必要じゃない私」に
なる訳です・・・
もし、自分自身がそれが出来なくとも
「必要とされて、愛されていて、受け入れられている」かも・・と
どこかで感じている人ならば、
この悩み自体があまり出てこない感じなのです。
→出てきてもこんなには大きくないし、重くない。
自分にとって大切な外せないものって何でしょうね。
それこそ、個体差があり過ぎて書ききれませんが
自分の心の構造が見えてきた時に
あぁ、これのためにこんなに頑張っている私がいるね・・
そんな私を見つけて私が自分をhugしてあげませんか?
今日も優しい温かな1日をお過ごしくださいね。
いつも応援ありがとうございますm(_ _)m
励みになります♡