皆さまこんにちは♩
人間関係、家族などとの関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方のお悩みを聞く側に自然に変化した心理セラピストの浦松ますみです。
今日は自分が何か落ち着かない、不安、自信がない、どう生きていったらわからないなど、心地良くないときに、
そこに「愛があるか、ないか」という視点で自分を改めて見てみませんか?
これは「状況、行動」ではなく、「今の自分がどの場所からテーマを見ているか」という視点です。
苦しいときには大抵が、かなり愛から離れた場所に自分が存在してしまっていることに気づきませんか?
そこに愛があるとき
もし、大切な誰かが亡くなったり、育てて行きたかった事業が潰れてしまったり、予定では受けれる融資や遺産などが手に入らなかったり、健康上に深刻な問題が見つかった時など・・
私たちはどんな思いに陥るでしょうか?
もちろん、自然に湧き上がってくる悲しみや恐怖、不安、未来への絶望、過去の自分へのバッシング・・そして助けてくれない社会や、友人や親兄弟の目など・・
いろいろな想いが湧き上がり、感情は収まることを知らないかの生き物ように自分を支配するでしょう・・・これが、ある程度、静かに一時でもなった時に、もう一度、起きている事象を冷静に眺めることは可能でしょうか?
終わりなき頭の中の考えも、繰り返す声も・・・少し、横におき、どうしてこうなったかの経緯を落ち着いた目線でジャッジなしで眺めてみます。
起きた出来事は変わりませんが、そこに自分への労いや、周りへの感謝や、そうなったことへの自分の解釈は少し優しく(否定から肯定に)なっていますか?頑張った自分を認めるエネルギーがあるでしょうか?
優しいものへ少しでも変わっている時には、そこには確かに「愛」があります。自分への労いや、相手や、状況に温かさがあれば・・そこには「愛」があるし、愛の視点から出来事を見ている自分がいる・・と言って良いでしょう・・(状況が良くなっていなくとも)
そこに愛がない時
ある方は自分が小さい時からずっと親からは「あなたの為に」と言われてきましたが、怒り方が「そんな変なことばかりしていたら、いつか誰にも相手にされないよ」とか「どんな言い訳するか見ものだわ」とか「本当にあなたはオカシイ」など言われてばかりだったそうです。
しかも、親が怒る時には、親の機嫌によりけりで、ある時には「見逃したり」機嫌が悪い時には突っ掛かられて、逃げ場がないほどに追い詰められたり・・・
そこには教育と言う名のもとに、自分は感情の吐口にされた・・と言う気持ちがどうしても残り、この母親の教育は本人が言うには「愛情」だと言うのですが
どうしてもそこに愛なんか見出せない・・と仰っている方がいました。
子供心にも親が「本当に自分を憎んでいるだけか」「叩きながらお母さんも悲しいんだ」とかなんとなく伝わったり、「お母さんにこんな気持ちにさせてごめんなさい」など自分から出てくる時には、折檻自体は厳しくても、時間が掛かっても、必ずそこに「愛」があったことをどこかで覚えています。
行動レベルでは「こんなことをされた事実」は同じでも、そこに愛があるかないかで私たちは全く違う刷り込みを自分自身や相手や状況にするでしょう・・
とても悲しい別れだったとしても、その思い出や存在に感謝が沸き起こる悲しいお別れと、自分が早く縁を切りたい、忘れたいと思っている人との別れでは「今生、二度と会わない状態」は同じでも、全く心の中は違います。
愛に立ているか、愛から離れた状態しか経験できないか・・といえば
自分の心のベースが健康的な状態か、そうではないかに大きく影響されます。
心の中が不健康な時、自分の土台が不安定な時には何が起きているのでしょうか?
常に被害者意識から抜けられない時
私たちは自分が被害者だと思っている時には、必ず相手が悪者で、相手がひどい人で、世の中が悪くて・・と何かや誰かが「悪い」ことにしておかずにはいられません。
そうでないと「被害者」として存在できませんし、「私のせいじゃない」「私は悪くない」状況がないと、自分が正しくない人になってしまいます。(仕組み的には全く正常な反応であり、全員が多かれ少なかれ持っているし、経験していることでしょう)
私たちはベースは「良い人」でいたいため、他者優先や、相手の気持ちを察したり、傷つけないように気を配ったりもしますが
被害者意識が強いと、だんだんと「どうして私ばかりが我慢する側?」「今度は私を満たして」「私に合わせて」「これじゃ足りない、もっと」が当たり前のように正当化した理由と共に強く出てきます。
本人は「被害者」なので、自分がどう言った状態かは見えにくく、こう言う場合は一旦気持ちが満たされて、静かになってから(お腹が空きすぎていたら、一旦、食事を済ませて落ち着いてから)、自分が何を求めていたかを見ていく順番になります。
トラウマや傷つけられた記憶は、身体レベルで身体が覚えていますし、フィールドにもありますし、なかなか抜けれませんが、繰り返し、満たすこと、ニーズの声を探し、本当に寄り添って対話し続けることで、初めて糸口が見えてきたりします。
ここでも対話の中にベースが「愛があるか」「愛がないか」で大きく進展や方向が違ってきます。
この愛とは、いわゆるただ優しいとか、なんでも許すではなく、絶対にジャッジしないよ、あなたがどんなあなたでもそうなった理由があるはずだから教えて・・と言った目線で、その会話のスペースを作っていくことです。
最初は傷ついた自分を、自分自身が嫌っていることや、無くしたい、消したいと思っていることもよくあります。
だからこそ、トラウマなのですし、どうすることも出来ないままずっと切り離された孤独な私なのです。
トラウマの癒しは孤独で、ずっと一人で、でも一人ではどうすることも出来ず、ずっと無力感を感じるしかなかったジャーニーになるため、癒し手側もある程度健康的になるまでサポートしてあげてから、始まるケースもそれなりにあります。
癒し手側だって、ずっと大変だった場合もあります。(このケースは良く見受けられます)
愛が持てる=それなりに癒しが進んできている自分である目安にもなると思います。
※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。
あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。
提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)
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