母との関係

【母親が嫌い】好きになりたいのに好きになれない

 

みなさまこんにちは♩

心理カウンセラー・セラピストの浦松ますみです。今日は「母親」について、「母親と上手く行かない」「母親が苦手」「どうしても衝突してしまう・・」など母親を好きになれないあなたと、このテーマを色々な角度から解説していきたいと思います。

日々のご相談の中でも実に多くの方が抱えているこのテーマを、心の仕組みから一緒に見ていきましょう。

 

私の中の母親を好きになれない理由

その原因はどこから来ているかを探る

実は何歳になっても、私たちは母親(父親)という存在は特別な存在です。この世にオギャーと生まれた瞬間から一番最初に触れ合う「人」が親ですし、家族です。特に母親は産後から授乳、おむつ、沐浴・・・自分の生命を維持するための様々な世話をしてくれる存在であることが多いため、触れ合いが濃くなっています。

私たちは母親(親)を通じて、この世の中を知り、どうやってサバイバルしていくのか・・・どうしたら安全で安心を得ることができるかを学んでいきますよね。

目がまだよく見えない状態から、首が座らない、ハイハイ、お座り、立っちができるようになり、なんとなく子宮の中から外の世界に順応してきつつ、一番身近な人(母親・親)はどんな風に私と接してくれていたでしょう・・・?

 

母親はどんなタイプ?

 

「実は、母親が苦手なんです」、「母の目が気になって、何をしていても母の顔色をうかがってしまいます」、「自分に自信がもてないのは、あの母のせい?」など様々な声がありますが、お母さんはどんなタイプだったでしょうか?そして、それを受け取る私自身も、どんな受け取り方をしてきたかを見てみましょう。

子供の人生をコントロールするタイプ

子供の頃は、遊びたい友達も全部母親が決めていました。もちろん、いきたい学校も全部母が決めました。私は「母親の許可が降りている範囲」からは選ぶことが許されましたが、全部、何をどうするか、報告しなければ、母は不機嫌になってしまい、無視したり、おやつを兄には与え、私には少なくするなど明らかに差をつけてきます。

友達に話をする内容も「これは絶対に誰かに話したらダメよ」「恥ずかしいことなのよ」「あなたのためよ」と言われ続け、それが当たり前に「我が家の習慣」としてあるので、こんなものかと思い込んでいました。

反抗期が遅く、本格的に反抗したのは高校生ぐらいからでしょうか?机の上に置いてあったコンサートのチケットを見れば、「いつ誰といくの?」「ママその話きいてたっけ?行っていいって言った?」と、まるで娘の行動はすべて母親の許可が必要ではあるかのような言い方。

買い置きしてあったお菓子を見つけては、「あんなもの食べて!体に悪いでしょ。ママが捨てておいたから。」と娘を支配しないと気がすまない母親。一番の口癖は「ママの言う通りにしていればいいの!」一見、世話好きで、過保護。単に子離れできない母親かもしれません。でも、実は、娘の人生をとことん支配し、自分の思うままにコントロールしようとする支配者のような母親なのです。

見るからにひどい親とは世間的にも見られず、むしろ「真面目な心配症」の良い親に映ると思います。でも、親の正論を常に受け入れ続け、世間体を優先し続け、親自身の恐れを受け入れ続けているのです。親自身も良い親、頑張って子育てしていると感じています。

 

自分の夢を子供に託すタイプ

 

ある日、新聞の折込チラシの中にピアノがあり、そこから今思えば母の夢が託されたのかもしれません。「◯◯ちゃんがもし、買って欲しいなら、パパに頼んであげる」「一度、やるって決めたら絶対に諦めちゃダメよ」。この頃、習い事で人気があったのはバレー、ピアノが華でした。実は母の家は経済的にも厳しかったため、ピアノなんて夢のまた夢。どうしても娘が生まれたら「ピアノを習わせてあげる」ことが小さい頃からの念願だったようです。

妹たちも一緒に近くのピアノ教室に行きましたが、結局辞めてしまい、残ったのは長女のKちゃんでした。ピアノを買ったのは私のせいだ・・・とまで感じていた彼女は、好きではなかったし、自分に才能があるとも思えなかったのですが、母親が喜ぶ姿をみて、そしていつも母親に支配されていたのがデフォルトになっていたので、そのまま音大の付属へ。

しかし、当然、全国から「目指して」来ている人と混ざれば、彼女は学年で下の順位。勉強は頑張りましたがどうしても「ピアノ」では上位には行けず、学校は楽しくない生活でした。ところが、父親の事業が失敗し、音大の付属を急に辞めることに。「うちにはお金がないから、もう、ピアノは諦めてね」「ママはもう、大変だから手をかけさせないでね」「あなたは賢いから、全部分かるわよね」

こうして、いつも母親に振り回されているのが当たり前の状態です。

 

「あなたのために」の印籠を突きつけるタイプ

父親の稼ぎが少ないので、母親も一緒に働いて、それは私たちを懸命に育ててくれました・・。そういう話をしてくれたのは40代のFさん。病弱な父はいつも家にいて、母が父親のようだったと回想します。私たち子供も、それぞれに家庭を持ち、母もやっと悠々自適な生活を送っていて、一見うまくいっているように外からは見えますが、実は母からの電話やLINEが負担です。

初めは「どう?元気?」とたわいもない話から、次第に、今の母親の友人関係の愚痴へ。そして他界した父親への不満や、いかに自分が苦労してあなたたちを育てたか、の苦労話へ必ずいくのです。いかに辛い中、頑張ってきたか、そして恨みの話を流石に100回以上聞くと、思わず「それは分かるけど、今更、お父さんの悪口言っても・・・」とつい言ってしまったら大変です。

「あなたは本当に冷たい娘だ」「お母さんがどんな思いで人生を過ごしてきたか、全部犠牲にしてあなたたちだけを思って育ててきたのに」と泣かれます・・。自分は食べるものも切り詰めて、友人も切って、全部家族のために尽くしたのに・・・と犠牲者をアピールし、やっぱりこの人とは本当の意味では何も話せないな・・・と冷めてしまう・・・そんな悩みを聞きました。友人の母親の話を聞くと、どうしても比べてしまい、羨ましさ、寂しさを感じるそうです・・・。

 

一度も褒めてくれない母親

とにかく、しつけに厳しく、ある意味本人も完璧な母親でした・・・そう話すのは30代後半のMさん。母親は塾を経営し、勉強はかなり出来て優秀な成績と学位を持っています。そして外見も他のママたちと比べても確かに自慢の母親。でも・・・同時に何をやっても母を超えることは不可能ですし、「本当はもっと、できるでしょ?」「私の子供なのだからそんなはずはない」「絶対にあなたの方が間違っている」

どんなに頑張っても褒められた記憶がなく、「今度こそ・・!」とドキドキしながら自分的にはよくできたと思っていたテストの点数を見せたときにも「あ、そう」とスルー。忙しかったから?そうだよね?

唯一、母は料理が苦手。私は趣味も兼ねて色々な学校で製菓や料理を習得し、やっと大人になってから「Mちゃんの作るお料理、美味しいね」と褒められました。そうなんです・・・もちろん、料理やお菓子作りは大好きですが、本当は何かで母親に褒めてもらいたかったのかもしれませんね・・・。料理で褒めてもらえた私は、もっと褒めて欲しかった気持ちが逆に溢れてきてしまっているようです・・・。

 

過保護・過干渉・・・うまく母親と関われずに大人になったあなたへ

 

もう、今は大人で、あれは過去のことと思っていたけれど

 

これは私自身の話ですが、ある記事を読んで、急に泣きたい気持ちが溢れてきました。この中で、泣きたくなったのはこの1行。

「『大人になるって、とても素敵なこと。歳を重ねるごとに人生の喜びは増えるのよ』と(母から)聞かされて育ちました」

私にとって、これは何を意味したか?

散々、母親とのワークもしてきましたし、昔よりもずっと深い話もできるようになりましたし、感謝も持てるようになっていて、一見順調な親子関係が保てていると感じていました。過去のことは全部精算できて、「あぁ、良かった〜」とほっとしていたのに・・・です。

私の反応は「私も、こんな風に言われたかった。こんな風に導いて欲しかった。こんな風に安心して自分はこのままで順調なんだと感じたかった」「こんな母が欲しかった」などなど・・・言い換えれば、まだ心の飢えがこんなにあるんだと感じながら、自分を観察していました。

同時にまだ、私の中にあったのは「私にはこう言った母親をどんなに求めても得られない悲しみがある」・・・そうです。凄く悲しみを抱えた私がまだまだ居たのね・・・。ありのままの私を全部丸ごと「大丈夫、それでいい」と受け入れて欲しかった私が居たのです。欲しいものがないということは実は大きな「痛み」なのです。

自分が自分を受け入れているつもりでも、「母親から受け入れられたい」という特別な私のニーズは、傷としてまだありますが、実は、この悲しみの正体はなんでしょうか?

 

悲しみの正体は?

どうして、私たちは母親を愛せないことが辛いのでしょうか?普段の生活の中では、大人になって、自分の人生もそれなりに忙しく充実して、実際には母親のコントロールからは子供の時とは違い、自由になっています。

もう、あの時の私じゃないし、どんどん親も歳をとって、今度は自分たちがサポートする場面も増えてきて、立場が逆転する場合もあるでしょう。でも、心の底から「大好き」じゃないときに、ふと怒りが出てきたり、悲しみが出てきたり、いまだに罪悪感が出てきたり・・・

もし、本当にどうでもいい存在であればそんなに引きづられることもないかもしれませんが、私たちは引きずるぐらいにその人が特別なのです。特別に繋がりたい存在なのです。それだけ愛したいし、愛されたい存在なのですね。どうして愛してくれないの?愛させてくれるあなたで居てくれないの?そんな声が聞こえてきます。

たくさん愛を注ぎたいのに、そんなあなただから愛せない・・・その時に怒りや悲しみなど出てきませんか?これも一つの愛の形です。「愛がゆえ」の感情たちです。

 

まとめ

 

 

親子関係、とりわけ母親との関係は色々な意味からも複雑で、やはり「〜〜だからこうすれば良い」という言い切りができないのですが、見つめていきたいのは、自分の中にどんな声があるかということ。

本当はどうして欲しかった?本当は(私が母に対して)どうありたかった?何がしたかった?こんな声をとことん聞いてあげること。きっと母娘は無数のエピソードがてんこ盛りすぎて書き切れないほどでしょうが、未消化の感情を探し、そこにあった声を拾い、セラピーなどで緩めていく方法は非常に有効です。

 

 

セラピーを使わなくても、(これには専門家の手が必要になるので)まずは自分でできる事として、あの時の私、この時の私の気持ちをノートに書き出して、できたらそこにある感情も探ってみましょう。ポイントは身体を通じて「よく感じる事」。頭だけで書くよりは身体を通じて感じた言葉や感情を拾えるようになれば、かなりの上級者編です。

イメージの中の自分に「今の自分」が話しかけてあげましょう。「どうしたの?何を感じているの?教えて」

こじれていたり、積年のものはプロに任せるとしても、上手にできるようになれば、未消化だった感情が流れてくれて楽になることもあるでしょう。日常に「自分の心の声を聞く」ことがカジュアルに広まったらいいなと感じます。

 

そして、心に興味があるあなたとの繋がりが何よりも宝物。いつもありがとうございます♡

 


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