おはようございます♩
今朝はどんな朝をお迎えでしょうか?
爽やかですが日中はクーラーが欲しくなります。
部屋の中が暑い?のでしょうか・・?(笑)
今日は沢山今まで勉強したり
講座に出かけて修了証を持っていたり
一生懸命、自分の思考上ではその原因を突き止めて
「きっとこう言うわけに違いない」
ここまで見つけているのに
感情的にスッキリしなかったり
何か刺激があると、すぐに反応がやっぱり出てしまう・・・
そんな経験のある方とシェアしていきたいと思います。
→私ももちろん、経験者です
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どうしてでしょう・・
もし、本当にそれが解決されていて
そこにあった未消化の感情や
自分が抱えていた問題がスッキリしていたら
→そこになかったら
刺激が周りにあっても「反応は起こりません」よね。
何故ならば「ない」からです。
ないものは反応もないし、別の反応が出てくる感覚です。
もし、一見収まっていても
何かの刺激で疼いていたらそれは「そこにまだある」証拠。
あるから「現れる」と言うシンプルな構造。
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知識や情報、理論は必要ですが
結局は満たされるのは顕在意識の全体の4〜5%。
残り、95〜96%は潜在意識の中にあって
そこは「気づけないエリア」なのです。
綱引きしたらどちらが力があるでしょう・・・
そして「理論」とはなんでしょう・・・
巷で溢れている「◯◯理論」は確かに興味深いし
私たちに色々な理解を生みますが
→なるほどね〜と唸らせてくれたり、今までの学びが
繋がったりします。
が・・・
理論は人が生きることについての説明であり
なんらかの法則性であり、理(ことわり)に基づいて
論じることであり、もっともなことではあれど・・
「生きること」は理論についてではない・・・
こんなことがある方のコラムに書いてありました。
本当にその通り!と感じました。
この還元できない「生きる、と言うこと」が
まさに「生きている実感そのもの」であり
これは目の前のその人に「何が起きているの?」そのものです。
この純粋な観察の視点と、何が苦しみを作っているのか・・
この目線でご本人に聞いて行って
初めて現れてくる「その方の人生そのもの」です。
人生は理論に全て還元して説明できないところが
ユニークな魅力だと感じます・・。
思考はどうしても「説明」「理由」で安心や
着地点を欲しがりますが
この見えない、気づけないものと、じっくり会話すること自体が
「生きている実感」をもたらしている・・・
セッション通じ、つくづく感じています。
そして潜在意識の隠されていた真実の声は
本当に理論よりも「腑に落ちて」辻褄が合います。
それも「自分の中での辻褄として」です。
→あぁ、そういう訳だったのね・・
自分への本当の理解がここにあります。
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