おはようございます♪
今朝はどんな朝をお迎えでしょうか?
今日は題名にも書いた通り
「自分に自分が優しくできた分だけ
他者にも優しくなれる」について
皆さんとシェアできたらいいなぁと思います。
この言葉って他にも表しかたがあるとしたら
【自分を許した分しか他者も許せない】
【自分を愛した分しか他者も愛せない】
これは本当だろうか…と自問と体験を振り返ってみます。
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私はこう見えても(実際にお会いして話したことがある人しか分かりにくいですよね)
多分、優しい。
子供とも色々あったし、パートナーとも色々ありすぎた…
離婚やシングルマザーで一人で育てなきゃいけないプレッシャーがあり
そんな自分への否定感が強く
それを感じないために頑張り続けて
誰かに認めて受け入れて欲しかった。
で、実際に人に優しさを届けていたし
頑張ってそうしなきゃと努力していた
→
こう言った場合は自然と優しくしたいといった感じよりは
優しくするべきといった
無自覚での頑張りで作る優しさがベース。
しかも相手に喜ばれると本当に自分の頑張りは
全く気付かずにむしろハッピーだったりする状態。
これがダメとか悪いと言うわけではなく
もちろん良いのですが
このパターンはいつかは破綻しがち。
頑張って続けているものは身体が疲れたり
余裕がない時に更に相手が欲しがったりすると、
怒りが爆発しがち。
私こんなに(無理して)頑張っているのにもうあげれない。
なんで分かってくれないの?
まだ欲しいの?
当たり前じゃないんだよ〜
こんな風にひどい場合は相手に怒りが向いたり、
攻撃に転じやすい。
一番分かってあげたいのは
自分自身が何を感じているからこそ
優しくしようとしているのか…
そうしなかったら何を感じるから?
自分が大変なのに誰かを助けようとしていたら
ちゃんと立ち止まって自分に聞いてみる。
そこに出てくる声は一つ残らず全部聞いてあげよう・・
大切な理由や訳を携えていたからこそ
そうして頑張ってきた私がここにいる。
上記は「まずは自分から」という意味でもあります。
自分の土台や安定なしに
他者を救い続けることやナチュラルな
愛を届け続けることは難しいですよね。
*その自分でい続ける=
やり続けることだから・・・
飛行機の緊急時に酸素マスクも
まずは子供連れの母親に
「最初に母親が装着し、次に子供へ」の
インフォもそれと同じ。
母親が無酸素で子供は救えないし
母親がしっかりした状態で初めて子供を守れますよね。
どうしても初めに「私より相手」となりがちな時
ここに留まり自分の声を聞いてみませんか?
今日も同じ空の下、どこかで繋がっているあなたと
ファイティン♡
応援ありがとうございますm(_ _)m
励みになります♡