おはようございます♩
今朝はどんな朝をお迎えでしょうか?
朝が涼しいと身体がラクだなぁと感じます。
心の調子はいかがでしょうか?
さて、今日はみなさんと分かち合いたいのは
「現れては消えていくもの」=「思考」なのですが
この思考にいかに普段、囚われて
力を与えて、ここに巻き込まれて苦しんでいるか・・・
そんな入り口から
腰を据えて「思考の実態」を観察してみませんか?
「自我的にはつまらない」のですが
非常にラクになれるキモのお話です。
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この現れて、消えていって(または次から次へと流れている)
そして断定的なコメントや、最もらしい正しさや
説得力のある未来のストーリー(あぁなってこうなって・・・)を
作り出している「思考」ですが
この現れて、消えていく、または
次から次へと流れていくものが
本当に「全てを把握する」こと自体が可能でしょうか・・・?
でも思考なしでは立てないような
思考なしでは「自分」を表現できないし
それ無しではいられないのですが(使っていい)
本当はこの「全てを把握できない」ものが
いかに頼りなくて実体がないか・・・
本当は一つ、一つは現れては変化する
「文字」「ストーリー」にしか過ぎないのに
→しかし、リアルに体で感じるここに感情がくっついているので
力を与えているか・・・
そしてここを基準に「理解したつもり」になっているか・・・
改めて検証してみると
(ここは話をそのまま信じるのではなく
本当にそうかどうかを体験して見ないと
思考が増えるだけになってしまいますよね)
この思考中心で生きてしまうと本当の意味で
人生を安心して過ごせない・・と
感じませんか?
思考が「全部把握して分かりたい」のですが
結局この全部を把握できない流れたり消えたりするものは
それが出来ない・・
となると・・
究極に安心できるとしたら・・・
「全然把握できないし、分からない」ことの中で
存在していくこと・・・
→間髪入れず思考が「これこそ危険だよ」と
囁きませんか?笑
本当はこの強さ、この安心感は
崩れようがないのですが
自我はこれがとても怖いし、不安なので
激しく抵抗します。が・・・
その抵抗も自由にさせてあげましょう・・・
抑えようとしたり、大丈夫なふりをしたり
乗り越えた自分も作らずに・・・
思考を眺めるワークはやり方はいくつもあると思いますが
本当にオススメ。
例えば
頭の中に浮かんでくる思考を雲を眺めるように
あ〜、こんな雲がきたな・・
あれ、少し形が変わった・・細長くなったな
今度はハート形の雲があっちからきたな・・
あれ、さっきの雲は消えている・・
雲に感情や思いを乗せすぎると
こんな風に見れないはず。
→ハートの雲が細長くなって寂しいなどなど・・
寂しさへ引っ張られてしまう
思考を眺めるとは「ただ観察する」感じ。
リアルな意味づけなく「思考」自体を
雲のように眺め続けると・・・
同じぐらいの感覚感情を何時間持続できるだろう・・
例えば「私は嫌われている」という感覚感情の強さを
同じぐらいどのぐらい持ち続けられるでしょう・・
こんな遊び感覚の実験も体験してみると
面白いですよね。
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