お客様の声

子供の鬱をどうしたら救ってあげられますか?

 

【お客様の声:テーマ】

【年齢:職業】40代後半:会社員

娘のことで悩んでいます。高校生ぐらいから恋愛がきっかけで女の子同士の人間関係や、裏切りや仲間外れ、そして失恋となり、学校にもいけなくなって今、家に引きこもりでいます。もう成人したものの、これからの人生が長いのに、どうしたら良いかわからないのです。

毎晩、仕事が終わり家に戻った瞬間から彼女の話を聞く係。もちろん、私も母親として聞いてあげたいのですが、こんなに色々手を尽くしているのに自殺企図を数度繰り返し、生きた心地がしません。病院で治療はうけ、投薬・通院はしているものの、彼女の心は全く落ち込んだままです。いつかは娘を失う恐怖と、自分への負担と、無力さに私がおかしくなりそうなのです。どうしたら良いでしょうか?

夫とは死別しています。

 

【セッションを終えて】

 

自分がこんなにも「娘が死んでしまう恐怖」に取り込まれて、絶対にそれは避けたいと心底思っていたことが、セラピーの中で身体を通じて感じることができ、驚きました。

この感覚は頭で知っていたのとは別物の、身体を通じて反応している「リアル」な恐怖そのものでした。

頭では「もう、娘の人生だから・・・」とか「境界線を引かなきゃ」とか「自分はやれるだけやったからOKだよ」とか・・・

これは全部、ある意味、恐怖を感じなくて済むように、自分が自分の本当の心の中を感じたくなくて、【蓋をしていた言葉】だったと初めて感じました。

そして、自分は親だから絶対にどんなことがあったとしても、成人しているとはいえ娘なんだから、私の犠牲は常識的に当たり前で、これを放棄したら「責任から逃れる恥の行為」だし、「自分が自分を卑劣で許せない」と、自分責めもこんなに大きな量であったことに気づきました。

私ほど、娘の心配をしていない私の親も、同じように追い詰められていないように見えると、それに対しての怒りもありました。どうして助けようとしないの?と一人で奮闘していました。(この怒りが、私だけに感じさせないで!のSOSだったとはです)

非常に孤独だったのです・・・この孤独は耐えられなかったのです・・

 

でも、同時にこれも驚きましたが、私は「娘に対して怒っていた」とはです。

可哀想で、どうにかしてあげたいのに、私が悪い、力足らずとばかり思っていましたが「死にたい」とか「自殺の準備?」を感じる度に「こんな姿を私に見せるなんて」と

私が彼女にDVされているかのように怒っていましたね。私の中ではこれは【私が娘の被害者になっていました】

「私が怒りを感じたら、(ケアしなくなるから)娘が死ぬ」という私の中での解釈が、怒りを感じる=死の恐怖を感じることとなっていて、全てを抑圧していました。

ひたすら表面的には「良い母親」「優しい、理解ある母親」を作っていましたが、まずは自分がどんな世界観の中で生きていたのかを知ったことが、一息つけました。娘の被害者だったとは・・です。

本当の意味で、どんなに尽くしても、どんなに助けても、彼女の人生は私が決められないし、コントロール不可能なのですが、死の恐怖があるために一生懸命もがいていました。

こうして文章に書くと、「当たり前」のことなのに、セラピーの中で私自身の苦しみを感じてあげられることが大きな救いでした。

やっと「ママはあなたが死ぬのが怖い」と言えるようになることが、こんなにも深く呼吸ができる感じになるとはです。そして、怖がって良いし、逃げたいぐらいに「嫌なこと」だと初めて許してあげられた気がします。

ずっと怖いままで当たり前・・・初めて自分に優しくなれました。

これについては、まだまだ事件が起こる度に私が影響を受けるでしょうが、これ自体も今までのように拒否したくて力の入った私ではなくなりそうです。

似ている経験のあるますみさんが心強いです。

引き続き、私は私のケアをして行きたい気持ちになりました。よろしくお願いいたします。

 


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