みなさまこんにちは♩
家族との関係で生きることが辛く、依存症・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方とセッションをするまで変化した心理セラピストの浦松ますみです。
先に結論を言えば「被害者意識」が強い時ほど、人生が苦しくなる
自分は全く関係ない・・と思い込んでいた過去の私を含め、「〜〜された私」「搾取された感じ」「いつも損ばかりな感じ」「運が悪い感じ」「この人のせいで、世の中のせいで」と感じたことがある場合など
被害者意識が何を作り出していくかを一緒に見ていきましょう♩
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「私」は〜〜したことより、〜〜されたことを覚えている
私たちは、被害者側も、加害者側もどちらも経験しているのですが、どちらかと言えば、誰かを無意識に傷つけてしまったこと
◯◯しちゃったことよりも、△△されたことの方が記憶に残っていないでしょうか?
そしてその時に感じた感情や、2度と忘れない・・と誓った場面や、それをバネとして頑張って何かを得たこともあるでしょうし、逆に絶対にこの嫌なことは誰かにしないように誓ったかもしれません。
親から理解されずに、まずは最初に「お前がどうせ犯人」と決められたことが嫌だったならば、自分の子供や、大切な人には絶対に話を聞いてあげたいとか、母親のようにはならないと思ったり・・反面教師として自分の中に残しているかもしれません。
人生の中でよく出てくる「〜〜された」=「被害者意識」です。因みに被害者意識が悪い、ダメという事ではなく、どう言った心の仕組みになっているかの視点で進めていきます。
犠牲者意識は無力感・弱さ・小ささを生み出している
犠牲者意識はある意味、人類共通の意識であるとか、人の歴史が犠牲者意識とともに造られたと言っても過言ではないほど、どの人も「知っている」感覚ですよね。
もちろん、人は片方だけで居続けること自体が難しいですので、ずっと「加害者側」「〜〜している方」「ずっと強い・大きな力のある私」だけはナチュラルではありません。
そもそも、人は凸凹していますので、ある部分では「力がある」感覚がメイン、ある部分では「弱くて無力な自分」と言ったように、多面性を持っています。
もし、被害者意識が強いと「出来る」「得られる」「変えられる」「受け入れてもらえる」「理解される」「大丈夫」「安心・安全」な感覚が少ない自分になっているため、どうしても自分に厳しい世界を自分に見せて感じさせる場面が増えてきます。
「下に見られている」上に「コントロールもされている」状態
もう少し被害者意識という状態を観察してみましょう。
この状態は、相手が上で力があって・・・なので、当然ですが自分のことを無意識レベルでですが「相手より下」と感じ、力のない私になっているため
「コントロールされる側・無力な私」となっています。
ただ、この感覚も感じたくないし、認めたくもないですよね。それで何をするか・・というと、これは色々な形がありますが
例)「わざと虚勢を張って強く見せる」「怒りで相手を攻撃しているが、その攻撃は正しい」ものだと表現し続けるなど・・・
例)「諦めてしまって」心が閉じる方向に出て、引き篭もったり、笑顔も消えて感情も希薄になったりする出方もあると思います。
(その人の出方は場合・状況・状態で同一人物でも色々です)
こんな風に被害者意識は誰にでも大なり小なりありますが、色々な場面で出てきます。
不安・恐れから『自分を守りたい』
私たちは弱くて、無力で「されるしかない」自分を感じたくないので、当然ですが
今度は「守る必要」が出てきます。
自分の価値が下がることは気持ちが悪いし、とにかく感じたくない。そしてそれはナチュラルな健康的な循環から離れている状態でもあります。
「喜怒哀楽」全てをちゃんと健康的に感じられている状態。ポジティブだけの考え方も、ネガティブだけの考え方もバランス的には偏っています。全部、いい感じで自分の中に流れて、いい感じで去っていく感じはラクです。
「そんなこと言うあなたが悪い」「私をどうして苦しめるの?」「許さない」「認めない」などは自分を守る必要があるからこそ湧き上がる感情や思いですから、この言葉などが出てきたら
自分が何を恐れているのかを探してあげましょう
※最初は「私は何も、恐れてなんかいない」とか「そんな言葉、意味がわからない」など抵抗があっても普通です。そのぐらい、
私たちは「自分に恐れがあること」自体がとても恐怖です。
相手がパワフルから等身大へ・・・
癒しのポイントは「相手が大きくて、力があって、私をコントロールする」と言う(無意識の)見え方から、徐々に「私にも力があるし、等身大なんだ」へ自然にシフトする感じでしょうか?
もし、ここに「相手より大きくならなきゃ、やられてしまう」とか「同じ目に合わせてやりたい」など攻撃的なエネルギーがあったとしたら、自分の中の傷がまだ疼いているのでしょう・・・(決して悪いと言うことは全くなく、逆にここを気づいてあげることもポイントです)
もし、自分に力があって、余裕があって、リラックスしていたら、相手より優れている必要があるでしょうか?
相手よりパワフルでいる必要がどのぐらい必要なのかを検証してみましょう。
自分も含めてですが「自我の特徴」としてデフォルトが「何か欠けている・足りない」感じや「分離感・繋がりがない」なので、どうしても「優れている自分」でいたい・・・そうしないと安心や安全を感じにくいと言うのは知識の付箋として覚えておいてあげましょう。(そうなんだね・・わかってるよ)
自我の特性で「自分は今、こうして頑張って他者と比べて出来ているか」が大切なんだね・・と理解の眼差しで自分を眺めているのであれば、行動は実際に何かを得ようとしていたり、出来る自分、力を蓄えようとしている自分であっても大丈夫です。
自分が「心から」選んだ行動は自分が納得できる
被害者意識の状態は相手から「やらされた」感覚があるため、その自分の行動は被害者の行動となり、「あなたのせい」でこれをしなけれいけなかった状態のままですが
自分が選んで行動したことが、それが自分にとって苦しさや損な感覚を生み出したとしても「やらされた」感がなければナチュラルに自分の責任ですし、「自分で選んじゃったね」と他の誰のものでもないところに落ち着くでしょう。
私たちが健康的に責任を取りたい(取らなきゃ)と思える場合は、唯一、「誰かに選ばされた」感覚がない時だけです。
被害者意識がある状態では健康的な判断や、理解は難しくて当たり前です。まずは自分がどんな状態なのかを気づいてあげるところも大きな自分への愛情=自己愛ですよね。
自分に力を取り戻した時、初めて他者を助けられる
自分が被害者意識で、実は無意識には誰かを攻撃していたり、怒りがあるのに、誰かをナチュラルに助けることは難しいですよね。
自分の中に平和やゆとりがあって、健康的なエネルギーの循環があるときに、初めて理由はどうであれ、人間として「助けてあげたい」衝動が湧いてくるのではないでしょうか?
誰がみても批判されるような行動の結果、その人が窮地に追い込まれてしまったとしても、まずは「人として、助けよう」が出てきて、その後に【怒りや攻撃ではない対処】でその人と接するでしょう。
言葉上は厳しい言葉かもしてませんが、ベースに流れているものは同じ人としての思いやりだったり、心配からのものだったり、どこかに優しさや温かさがあると思います。そしてそれは不思議ですが相手にも伝わると思います。
被害者意識って自分で気付くのは難しいのは「正統性」をどうしても掲げたくなるから・・でもそれを含め、人間の愛らしさ・情動が愛しいなと感じます。
※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています。
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