皆さまこんにちは♩
人間関係、家族との関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など、ドン底6年間から抜け出て、長年の職業も変わり、年間1000名の方のお悩みを聞く側に自然に変化した心理セラピストの浦松ますみです。
今日は自分への信頼、自分への共感、自分への愛情・・がどのぐらいベースにあるかという視点で色々書いていきたいと思います。
もし、ここの部分がかなり豊かにあれば・・想像してみてください・・そもそも境界線のことをすごく意識したり、自分が被害者になったりする確率はどうでしょうか・・?
自立しなきゃとか、依存はダメだ・・とか、こう言った発想がどのぐらい出てくるか、またどのぐらい力を持って自分に影響がくるか・・
言葉では簡単だけれど、実は意外に難しい自分への信頼や愛についてみていきましょう♩
境界線とは線引きのことではない
境界線の概念や、知識は色々なところに書かれていますし、皆さんもよく知っていると思います。
線引きについて「超えた」「超えられた」の部分はいわゆる自分の反応の部分。
観ていきたいのはどうしてこの反応が自分の中から出てくるかという、仕組みの根本的な根っこに着目すると、必ずそこには「その反応が必要」な構造があります。
自分が本来はしなければいけない所をいつの間にか「相手に期待する」「頼ってしまう」ことは勿論、それ自体は悪くはないのですが、自分がどう言った自分だから相手に期待が必要になっているか、知らず知らずに頼って、その相手次第で自分の幸せが決まるのか・・
ここをまずはしっかりと押さえていきます。
物理的な依存と精神的な依存
物理的依存の例
今日の勉強会で子供を預けるところがないので、スタッフのどなたかに子供を観てもらいたい。
→本来は自分で自分の状態をどうにかするものですが、他者に当然のように頼んでしまう。自分でしなければいけなこと、出来ることを頼っていることに気づけない。(ここに相手が行動自体を選んでいいいことが分かっていたら断られても、被害者意識にならないのでOK)
精神的依存の例
今日の課題、出来た?と聞くと「そういうこと言われると、私、ドキドキするから言わないで!」
→自分の感情の責任を他者に背負ってもらおうとする。ドキドキすることを相手のせいにしている。自分の安心を自分で守れないから「やめて!ドキドキさせたあなたが悪い」となってしまう・・。どんな自分だからの反応かは気づけていない。
自分がどのぐらい自立しているか、どのぐらい他者に期待しているか・・期待が叶わない時にどんな私になってしまうか、どのぐらい被害者意識になりやすいか・・
ジャッジではなく(自立できていない私はダメ、期待して頼る私はダメ)、善悪で見るのではなく、自分をフラットに眺めると、きっと大丈夫な部分もありますし、結構傷つきにくいケースもあるでしょう・・
でもどうしても願いが叶わない、想いをわかってくれない時にここは被害者になりやすい、相手を恨んでしまう、相手を嫌いになる、怒りを持ってしまう・・
そんなところが自分の場合はどこなのかを探します。(あっていいもの。そこに理由が必ずあります)
人間関係はほぼスペシャルリレーションシップ
人間関係は「やってあげる」「やってもらう」「満たしてあげる」「満たしてもらう」的な関係が多かったり、お互いのニーズを満たし合うケースがかなり多いことにお気づきでしょうか?
たわいもない小さなことから、大きな自分のサバイバルに関わるものまでミックスされています。
人間関係がドラマチックなのはお互いがお互いに知らないうちに境界線越えをしていたり、自分が無力で不安だったらどうしたらサバイバルが保てるか・・・がメインになっているからで、当然です。
お互いが違う投影を持った生き物ですからすれ違いだらけで当然。
片方が良かれでも相手にとっては「どうしてそんなこと言うの?」になりますし、ニーズを満たし合うこと自体が自分自身が自分を信頼して、大丈夫感がどのぐらいある?と疑問を持つことがポイントです。
しかも、境界線にルールはないですし、ケースバイケースになってOKですし、要は自分がしてあげる側の時には被害者意識になっているか、自分んがしてもらう側の時に本当は無力な自分がどのぐらいいるか・・に気づいていたらかなりOKです。
自分の過去の傷を癒そうとしている
(全員がお互いにしている)投影は自分が経験したことを相手に重ねることでもあります。
これ自体が悪い、間違っているのではなく、自分の投影にどのぐらい気付けるかが自分への愛、信頼につながります。
例)
自分が小さい時に忙しい両親に放っておかれた、いつも寂しかった、テレビやYouTubeを観てずっと両親の帰宅を待った・・夕食も、おやつもお金が置いてあった・・などの経験を持った人がいたとします。
子供には出来るだけ手作りの食事を与えなきゃ、宿題は一緒に見てあげなきゃ、いつも話は聞いてあげなきゃ、だって可哀想、今、寂しいに決まっている・・とどうしても妹の子供を見て、そうに決まっていると反応してしまい、妹に対してもどかしさや、怒りを持ってしまう・・妹自身だって寂しかったって言っていたのに、あの人はもう自分のことは忘れ、子供に自分がしていることに気づけない人だ。(とまで断定してしまう)投影は勝手に一人歩きして大きくなっていきます。
私たちは自分の投影が絶対正しいになっているので、すぐにどっちが正しいか、間違っているかになりがちです。でも・・もし・・自分が正しかったにしてもどこかでスッキリしないのは・・自分の中に愛の飢えが残ってるから・・
だから妹の子に対して凄く関わりたくなって「寂しい子」として対応してしまいます。勿論、相手が完全に気づいていないことはちゃんと批判、攻める気持ちでなく伝えることはOKですが、その前に「自分のどこに愛が足りてない?」と見てあげましょう。
解決には最終的にいつも「愛」がそこにあるか、欠如しているかなんだとしみじみ感じます。
相手を許す・・相手を見過ごすのではなく(これは抑圧になりがち)自分の中の愛の足りていないところ、まだ傷か痛む所を癒していく・・これが本当に素敵で感動を伴うジャーニーだとしみじみ感じます。
※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。
あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。
提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)
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