お客様の声

写真を撮られることが苦手です

 

【お客様の声:テーマ】

【年齢:職業】40代前半:会社員

前からだったのですが、特にこの頃はみんなが一斉にSNSをしていて、発信できるので、特に写真を撮られることが苦手です。前々から写真嫌いでしたが「自分の顔が嫌い」「浮いている感じ」「記憶に残したくない」などだと思っていました。

特に何かのイベントに本当は参加したいのですが、このイベントに参加している人や、主催者の事を好きじゃない人などにも知られてしまう・・・インスタやfbは苦手です。SNSには怖さがあるのでここを見ていきたいです。

【セッションを終えて】

 

今回は特にSNSに写真が乗ることに私が怖さを持っていることは分かりましたが、なんで怖いのか・・・ここを一緒に探していただきました。私は「こういうことが好きです。こういうことしています」と人に見せること、知られることがどうして嫌なのか・・・

用事を作って、参加費が無駄になっても辞めようとか、そこまでどうしてザワザワが出てくるかと言えば、今回で言えばある政党の方が主催だったので「そこに属している人」と見られることに抵抗があったのですね。私にとってその政党支持の人とは「浮いている感じ」「現実を美化している」「ありのままから逃避している人」と見えていて、イメージの世界で生きている人・・・そうんな風に解釈していたとは改めて気づきました。

人から嫌われるとか、去られる怖さも在りましたが、この先に「人を差別して見ている私」というのが出てきて、人を差別する人には絶対になりたくないと思っていたのに、自分がそれをしていることに愕然としました。この私は絶対に人に知られたくないし、見られたくない・・・こんな構造が見えてきました。

→実は自分が一番この自分を許してなかったのですね。

幼い頃、母は泣くと有無を言わさずに「泣くのをやめなさい!」と叩かれ、理由を聞いてもらった記憶がないほどです。機嫌が悪いからか、逆ギレする感じで、「泣き止め!」と言われるほどにビクッと体が反応して、怖さが身体の中に今も残っているとは・・。

自動的に出てきてしまう気持ちを「止めろ」と言われるけれど従うしかない・・・声を殺して泣くしかなかった悲しみや、自分のことを聞いてもらえない「母に対して」、「決めつけられることに対して」「差別に対して」悲しみがこんなにあったことを、初めて気づきました。そして悲しみを持っていることも叱られる私が悪いと、自分責めになっていました。

まずは「悲しみを持っている自分」「差別、決めつけ」に対して自分責めの気持ちがあったことを十分に理解し、感情と対話していく中で自分が解けて緩んでいくことができました。私が私をわかって欲しかったのですね。

色々なことの終着点が「全部私のせい」というワードも響きました。この悲しみも大きかったですが、ここを自分が深いところで理解と受け入れが出来たことで、息が深く吸えたようです。自分癒しは自分への理解と愛情ということが体を通じて感じられた時間でした。「全部私のせい」は人生の色々なところで出てきていたことでした。人はこうやって複雑に作られているのですね。こんな自分に初めて愛しさが感じられ感謝してます。

 


心理カウンセラーランキング