皆さまこんにちは♩
人間関係、自分と自分との関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方とセッションをするまで変化した心理セラピストの浦松ますみです。
今日は「〜〜すればラクになる」「△△すればこうなる」など自我が大喜びする情報とは真逆の方向から苦しみを見ていきませんか?
だって・・
どんなに頑張っても、努力しても・・安心したことが少ない、足りない・・としたら、じゃあ本当に気付きたい視点ってなんだろう・・
こんな感じで進めて参りますね。
そもそも「私=この人」ってどんな人?
クライアントさんとは別に、これをお読みになっている方と直接にお会いしてお話しする機会は少ないかもしれませんが「あなたって、どのぐらい自分のこと知っていますか?」
これ、実は私が私に毎日問いかけている言葉でもあるのです。
「私、浦松ますみは自分のことを=この人のことをどのぐらい知り尽くしている?」
知っているつもり、分かっているつもり、さんざんセッションも受けてきて(200回以上は有に超えています)自己ワークもほぼ毎日ちょこちょこしながら・・
人のセッションもさせていただく生活でかなり「観ているつもり」ですが、とんでもない、実は度々「え〜〜〜〜、こんな側面を持っていたんだ」「あぁ、この言葉の下にはこんな感情が隠されていたのね」と
自分でも驚くほど豊かで、緻密で、すごい心の構造を持っているんです。(私だけではなく皆さん同じです)
例)
A:子供に(家を出て、立派な成人済みの大人!笑)会うたびにスーパー、デパ地下などで色々本人のものを買う。
表面では「もう、いい加減、今度は母親に買ってくれるような息子でいてほしい」「私は自分の親にこんな風に甘えられなかったな」「この子、この先大丈夫だといいな」などなど・・
感情も子供がこうして甘えてくれる喜び・・自分が買ってあげられる力がある喜び・・他の母親をしている人からは「いつも息子が私を守ってくれるのよ、心配してくれて・・」と聞けば「あぁ、私はついてない、ハズレ?(不安・悲しみ)」「親にたかれる逞しさを持った子に育っているから大丈夫かな(安心)」など・・
Aという行動・風景から色々な思いが流れていますが、これが相手が違えば、私の反応も違ってきます。
例えば友人などで、会うたびに自分の方が多くお金を出していたり、ご馳走する側になりがちだったらきっと「払える力があって嬉しい」とは思えませんし、「私は払ってくれる人と見られている、悲しいとか、怒りとか」
それぞれに潜在意識の中にその反応がなぜ出てくるかは、また本当に理由があるのです。
理由とは「原因探し」と意味が違う
私たちは苦しい時、原因探しをよくしませんか?
原因が分かっても少し、思考が落ち着きますが・・・
「どうしたらいいか?」ではなく、「どうしてそれが起こったか」「どうしてその自分になっていたか」という理由を「知ってあげたい」「理解してあげたい」自分への共感を増やして受容していきたい・・ここです。
例えば、過去に万引きをした子がいたとします。
「万引き」という行動そのもにくっついているイメージがそれぞれあると思いますが、「やってはいけないこと」「すごく悪いこと」という解釈=投影があれば、「悪い子」としてその子を見るでしょうし、自分自身であれば「悪い私」として感じてしまいますよね。
もちろん、行動を正当化しているのではありません。
「どんな理由があって万引きという行動が必要になったか」を本人の気持ちにより近く、理解してあげることが「癒し」の一つだと思います。
①A君は自分の家庭環境を恥ずかしく思っていて、万引きで持ち物を揃えることで「恥ずかしくない自分」「豊かな自分」「愛されると人から見られる自分」を感じたかった。
→万引きの緊張や恐怖、バレた時のことを考えるよりも「持っていない自分」を感じたくなかったら、心の仕組み的には非常にやってしまう辻褄が合いますよね。持っていない自分には様々な感情があります。
②B君はこの店の主人が自分の母親に常に横柄な態度をとっていたのが許せなくて、報復の意味で万引きをしていました。裕福なお客様には全く態度が違うように感じていました。(母にあんなことするのが許せない)
③C君は補導されたら、家族が自分に注意を向けてくれる、話を聞いてくれるなど・・・
どうしたら万引きを今後この子がしないようになるか。そのためにはどうしたらいか。から→万引きという行為そのものに、この子がどんな意味づけを持っていたかを探して、そこをしっかり対話しながらこの子そのものと繋がりを持とうとする。否定から入らない=否定は自分の解釈。
どんなテーマでも、その下には自分が気づかなかったような、思いも寄らない「理由」が実はあったり、大きな大きな重たい感情が隠れていたりします。
理由・原因は大切にしてあげたいもの
上記の例で書いたA君、B君、C君がもし、目の前にいたら・・・行動はとても良いものではないし、ここはしっかりと各自がした行為をそれぞれが気づくことは大切ですが
この子達のそれぞれの理由が見えてくると・・どうしてあげたい気持ちが湧き上がってくるでしょうか・・・
どこにも行き場のない感情、本人も気づいていなかったけれど、傷ついていたものがあるとしたら、この傷をケアせずに行為だけを直させる、罰することにあまり意味がないことが見えてくると思います。
これは全ての悩みや苦しみにも当てはまり、自分がセッションを受けたり、自己ワークするときにも「この状態を改善したい」という目線100%から、どうして私はこう感じるの?どうして相手が、この状況がこう見えるんだろう・・へ・・。
自分ではない第三者の目線で(保健室の先生の目線、躾は大切だけれど親より少し甘い祖父母の目線などなど・・)自分の悩みを解いていけると、少し同化から外れやすいと思います。
自分に優しくしませんか?
※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。
あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。
提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)
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