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ハートの声とは

おはようございます♪
今朝はどのような朝をお迎えでしょうか?
 
良く色々な本や、ネットでの記事や
誰かのブログなどでも書かれてるハートの声ですが
 
ハートの声で生きていきたいけれど良くつかめない・・・
これが本当のハートの声かどうか分からない・・・
ハートの声だと思って選んだら、結構困難だ・・・
ハートの声に従っているつもりだけれど一向に人生が好転しない・・・
などなど・・・
 
実は私自身の経験からも「ハートの声」と
「思考の声」は非常に見分けが難しく
一見「ハートのしたい♡」のようでも実は
下で支えていたのが「思考の〇〇べき」だったり
➤これを「たい」のふりをした「べき」と呼びます
 
そもそも、ハートの声は大人になればなるほど
純粋に感じることが難しいなぁと思うのです。
 
では「思考の声」ってなんでしょう・・・
 
一見、「私はこれをするときにハートが開いた感じがある」
「これをしている時にはワクワクする」など
こんな基準って結構私の経験では多かったのですが
 
勿論そのエネルギーも確かにあるものの・・・
その下に隠れていた声が
「それをしたらこうなって・・・ああなって・・・」
「これを見つけた自分、持っている自分は
△△だ・・・」とか
「ハートの声に従って生きれば良いことが起こる」
などなど・・・
 
何か意味付けがそのあとにくっついていることが
多かったような気がします。
 
またはハートの声に従っていない自分はダメだとか・・
人生を楽しんでいないとか・・・
 
何か理由があっての「ハートの声」だった気がします。
 
現代人は私を含め思考の上に立とうとするのは当たり前。
なので思考優位の思考が守ってくれる「ハートの声」が
選ばれることが多いのも頷きます。
 
一番ナチュラルなハートの声を選んでいる時は
例えば砂場で無心に遊んでいる子供など・・・
この砂で〇〇を作ったら△△だ・・・とか
これが出来る自分は〇〇だからやらねば・・・とか
 
そんな意識は全くなくて
「今、自分が真に望んでいることを無心にしているだけ」
もしかしたら「損」に見える事もあり得ます。
 
ある意味生命の衝動にそのまま身を任せて
やりたいことをしているだけ。
 
その後にどうなることはあまり考えていない感じ。
それを続けるための困難は「困った、どうしよう」から
「大変だけど続けるにはどうしよう」のような
「べき」から「ナチュラルなしたい」へ感じるので
 
 
困難が困難ではなくなって
違う感覚でそれを感じているのではないでしょうか・・・
例えば続けるための楽しみとして見ているとか・・・
 
大人になるにつけ、ハートの声で動けなくなっている
私たち。
まずはどちらの声でもいいので何が起こっているかを
自分が知ってあげることが自己愛ですよね♡
大人代表より。
 
いつもありがとうございます♪
励みになります♡
 

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