皆さまこんにちは♩
家族、人間関係などで生きることが辛く、依存症・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方とセッションをするまで変化した心理セラピストの浦松ますみです。
今日は前回と引き続き、「本質」「真実」と「自我の癒し」の親和性について、苦しんでいる時の自我の状態をどうしたらラクに導けるか・・この視点を一緒に見つめてみませんか?
みんながどこかで本当は知っている、揺るぎないもの=真実
ここの世界から見た「私の癒し」を一緒に感じてみませんか?
自我からの視点の限界とは?
通常のカウンセリングなどでは当たり前ですが
「自分」が「自分」を観察し、その自分がどうしたらラクになれるか、苦しみが消えるか・・対処できるかと日々頑張っています。
これはこれで私を救ってくれたり、安心感や平和を感じたり、愛を感じたりできるのでオススメですが、この「自我に視点から」ではどうにも消えない辛さはどうしたらいいでしょうか?
例えば「女性とは」とか「人間とは」とか、「社会とは」とか・・・
ずっと人類が持ち続けてきたような苦しみや繰り返されてきた連鎖の癒しはなかなか難しいものがあります。
自分を見つめることを続けてきた方などは、ほぼこういったテーマに直面したり、今度は自分そのものが変わってしまう恐怖とのワークになっていく事が多いでしょう・・・
ありとあらゆる「教え」「アファメーション」「やり方」は誰が作った?といえば「誰か」です。
その誰かの言葉で救われた経験が私もあるので、ここは否定は全くないですが、そもそもの私たちはあり得ないほどの、科学が追い付かないような神秘な存在であることを忘れていないでしょうか?
どうして、人間という精巧で緻密すぎて複雑な「物体」が誰にも教えてもらわずに「自然の力で」子宮から創られるの?
どうして誰かがコントロールしているわけではないのに自然界や人間がこうして長い間、命を繋げてきたの?
自然の力=生命の力=本質の力
ここから創られた私たちであり、この生命そのもの。
人間の努力で生み出したもので寿命が伸びたり、生活が便利になったり病気も治したり・・・もありますが、この大いなる生命の力、生命そのものは人間が作っているのものは敵わない・・・
まだまだ、科学でも解明されていない不思議が沢山ある「人体の神秘」「宇宙の神秘」があるように、心の中にも「私たちの人工的な力」で限界があるときに
「そう言えば・・・私たちってそもそも生命だった??」
この生命の力=本質の力の場へ戻って感じることは如何でしょうか?
そこはどんな場?
人間が考えた「何かの力」「やり方」「誰かの助け」でうまくいかない時には、一回「外側の力」を借りることを諦め、手放して「そもそも創られてきた場」に戻ってみることは如何でしょうか?
何にも考えを持っていない、何かを守る必要もない、何かより優れていなくていい、怖さや、一人ぼっち感や、無力感など必要のない、生まれる前に「私がまだいなかった頃」「私が消えた世界」があるとしたら
どんな世界をイメージできるでしょうか?
そこは「◯◯しないと生き残れない」「△△出来ないなんて恥ずかしい」「みんなあなたのことを重荷で邪魔」「お前はダメだ」などが全くない世界・・・
なぜなら・・
そもそもの「お前」「私」「あなた」「◯◯さん」「親」「パートナー」「友達」も何もない世界・・
この世界で優れている必要があるかどうか
この世界で何かが出来る必要があるか・・・だって「その私」がいないのに・・・
最初は目を開ければ激しく「私が存在」していてOKです。
目を閉じながら、少しだけこんな世界をイメージして、この世界のエネルギーを自分に充分に感じさせてあげることができると、少しだけ数分かもしれませんが身体が緩む感覚を思い出すかもしれません。→数分でも全くOK
本当はいつでもこの場に戻れる真実
もし、上記のワークができない時には何が起こっているかと言えば、この真実の場に行けないように引っ張っている逆のエネルギーがあるから。
そうです、「トラウマ的エネルギー」「真実とは真逆のエネルギー」
本来の生命のエネルギーと真逆のエネルギーに引っ張られている時です。
実は大きさや力はそれぞれですが、どなたにも大なり小なりのトラウマはありますし、とてもトラウマワークは大切です。
人類としてもトラウマがあるため人間である限り=「私」がいる限りは真実から遠ざける現象が起きて当たり前。
また真実の場に(私が)ずっといることがゴールでもなく(思考は求めますが)相変わらず「私」でいる限りは人生が続き、人生を創る必要もあり、ストーリーの中で生きる必要も出てきます。
非二元の視点と「個の癒し=私としての癒し」が実は深いところでは繋がっているのはこのためです。
真実はすでにこの場が一回も無くなったことが事がないのに、すっかりここから離れて、自分のサバイバルのために頑張りすぎて疲弊しすぎている私=自我を、この世界から出してあげることです。
「もう、この苦しい、終わりなき世界にいなくていいよ」
自我が消えた時、自分をやめた時・・いつでも真実を思い出し、感じる事が可能です。また、「うっすら自分感覚」が残っていても、充分近い感覚を感じることは可能です。
むしろ、最初は「うっすら自分感覚」もありつつ、真実を垣間見る、真実に寛ぐ事がオススメです。
セラピー(外の力)でラクになるのではない
よくセッションで「セラピーしてください」と頼まれる事が多いのですが、もちろんこれはこれで理解できますし、セラピーを求める=お薬くださいみたいな感覚も分かりますが
セラピーは「真実に目覚めていく」「生命そのものに戻る」=ラクになるためのお手伝いとして使っています。
セラピーでラクになるのではなく、「思い込み」「嘘」で縛ったエネルギー(感情・感覚)などを緩めたり、苦しんでいる自分と対話する、声を聞いて理解してあげる、分かって受容していくツールとしてセラピーを使っています。
自分が自分の幻想に気付いていく、自分が自分の思い込みから解放されるときにとても有効なツールです。
自分が気づいていくこと、自分が目覚めて真実に寛ぐ方向に行った時に初めて真の安堵、絶対に無くならない、人工的な安らぎではなく「生命の安らぎ」へ溶けていけます。
溶けていく=自分が薄くなっている=自分が抗ったり、頑張る必要が薄くなっている
または
溶けていく=抗っていた自分を大きな視点で観ている=苦しがっていた自分を慈しんでいる目線
色々なパターンがありますが、
立派な私になる必要がなくなったときの安堵をぜひ体験してみてくださいね。
※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。
あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。
提唱されている「インテグレイテッド心理学」は全てのベースになっています。
お勧め過去記事(投影シリーズ)