心の仕組み

どんな愛も健気で素晴らしいのは「理由」があるから

みなさまこんにちは♩

家族との関係で生きることが辛く、依存症・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方とセッションをするまで変化した心理セラピストの浦松ますみです。

今日はある曲を聴きながら、本当にその通りだなぁと思ったこと・・・それは

「どんな愛も素晴らしい」こと。

綺麗事でもなく、スピリチュアルなメッセージでもなく、シンプルに「そこにある本当の意味に気付けば、ただただ感嘆してしまう」・・・そんなことを書いて行きますね。

 

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「愛」とは?

定義が大きすぎて、幅も広すぎて、軽く一言では言い表せないような「愛」ってなんでしょう・・・

 

一般的にはどんなイメージがあるでしょうか?恋愛系?それとも親子の繋がり?全ての人間関係の中で生まれる様々な感情がありますよね。

 

あるSNSの記事より

90歳のおばあちゃんが去年、90代のおじいちゃんを見送って、一人で普段は田舎に住んでいるのですが、最近、めっきり無気力になり、おじいちゃんの元に早く行きたいとか、認知症の症状も出てきていると、訪問看護の方が言っていたのですが

近所の人がお盆の前日におばあちゃんに家の前で会うと、まるで別人のようにイラキラした眼差しで家の前のお掃除や、何か忙しそうに動いているので尋ねると

「明日、急に息子が来るのよ、もう、人使い荒くて私の都合も考えてくれなくて・・!」

でも明らかに嬉しそう。明らかに生き生きしています。

人は、もちろん、自分自身のために動いて、自分が自分にさせてあげたいこと、体験を与えてあげることも大切ですが、こうして、誰かのために、大切な存在のためにこんなに元気になれてしまうほど、変化できるってすごいと思います。

それも自然にその衝動が身体から、心から出てきていて、誰にも止められません。

 

「愛」は本当にすごいエネルギーだと感じます。

 

奪い合ったり、憎しみあう愛

絶対に自分に振り向いて欲しい、私を一番にして欲しい、見捨てないで欲しい、他を見ないで欲しい、私だけを愛して欲しい、私だけ、私だけ・・・

もし、このエネルギーが自分を支配しているとして、そのそばにいて欲しい相手が自分以外の人へ愛を向けていると感じてしまったら・・

「どうして私から奪おうとするの?」「酷い、信じていたのに」「(相手の)あなたさえいなかったら、私のもので永遠にいてくれたのに、許せない」「どうしてこんなに私を苦しめるの?何か私、悪いことした?」「ずるい」などなど・・・

相手や、相手を奪ったと感じる存在に、様々な愛憎のエネルギーをむけてしまうでしょう・・・愛にも様々な形がありますよね。

そして、その中で真剣に感情を感じて、本気でそのストーリーの中で生きています。

なんて人間らしいエネルギーの一つなのでしょう!

 

そっと見守る愛

そばにいつもいて、なんでも手取り足取りしてあげて、いつもすぐに応えてあげる愛とは対照的に、距離を実際にとっているし、なかなか会えないし、繋がりをもっていないようでも、その対象への愛情をずっと持ちつつ、【見守る愛】もありますよね。

分かりにくくて、もちろん愛情の向かっている当事者自身も「知らずに」いることもあるでしょうし、自己満足だけの愛もあるでしょう・・でもここには

「見返り」「条件付き」ではない無償の愛を感じます。

若い時(あっ、これも私の解釈ですが)は「見せ合いたい、分かりやすい、常にそばにある愛」をお互いが求めて、そしてそれが得られていない時に悲しくなったり、寂しくなったり、怒ったりしたかもしれませんが

それもどうして怒るかといえば「恋しいから」「愛が欲しい相手だから」「好きだから」という理由があるからこそです。

こんな愛も・・・本当に美しくて素晴らしいと感じます。精一杯、本気で生きている感じがします。

 

傷つけ合う愛

一緒にいると、すぐにお互いが無意識レベルで傷つけ合ってしまう場合もありますよね。本当はそんなこと思っていなかったのに、「ダメだし」をしたり、「もっとこうするべきだった」とか、認めてあげないし、批判めいたことを言ってしまったり

本当は大切で、上手になって欲しいからとか、将来の心配をしてとか、良かれと思って厳しい言葉を言ってしまったり、心にもないことを口走っていたり

わざと相手を傷つける様なことを言ったりもありますよね。(自分の気持ちに気付いてほしくて)

感謝を示すのが恥ずかしくて、逆の態度をとってしまったり、過去にされたことを覚えていて許せないことから素直になれなかったり・・・

でも、どちらにせよ、本当の本当は【何を感じたかったの?】【何を得たかったの?】ここに戻れば大丈夫!

 

成就できない愛

 

理由があって世間や身近な人や、大切な人に報告できない、知られたらマズイと感じている関係だと、添い遂げることができなかったり、世間的に受け入れられる形として残せなかったり・・・

ここに切なさや、悲しみや、気持ちが完了できないという絶望や、様々な感情があるでしょうが、ではやめればいいのに、それでも続けているのはどうしてでしょう?

そこにはどんな意味づけがあるでしょうか?

 

人それぞれでしょうし、同じものは存在しないでしょうが、刹那的で幸せが得られなくても、一瞬でもいいからそれが自分の中にあることを感じたいのであれば、これも立派な理由です。

結果や利を得られなくても全然後悔がないという、無条件に相手の幸せを願う愛は本当に美しいと感じます。なかなか難しいですが、素敵だと思います。

 

また成就できないことでネガティブな苦しい感情が出てきてしまうのも、それだけこの愛が手放せない意味の大きなものだからでしょう・・・(苦しむ自分を充分にわかってあげたいですね)

 

自然や大いなるものへの愛

時々、発作のように「自然に触れたい」とか、大地に抱かれたいとか・・そんな衝動が起こることはないでしょうか?笑

また土いじり、農業や、何かを育てること、星、空を眺めること・・

森林浴や誰も人がいないところで静かに過ごしたくなることはないでしょうか?

自然って「無条件に自分を受け入れてくれる」感覚がありませんか?

どんな私でも・・・それこそ、悪いことをたくさんしたり、人を傷つけたり、騙したり、攻撃したり、何かを壊したり、裏切ったり、期待に応えなかったり・・・いい人ではない私を一度も「ダメ」とか「拒否」したことがない存在ですよね。

「不変の大いなる愛」を感じます。

 

愛は常にそばにあって一度も無くなったことがないもの

こうしてみると、私たちは常に何かしらの「愛のストーリー」のなかに自分がいて、それが十分満たされていると感じると幸せで安心ですし、ない、欠けている、足りないと感じると途端に不安や怖さの中に取り込まれます。

「この愛はOK」

「この愛はNG/NO」

こうなっているから、苦しみや、悩みが発生するのですが、実はどちらの愛にしても「愛」はそばにいつもいるんだなぁと感じます。

この愛はいらない、この愛は変えたい・・・この時に「どうして?」「本当は何が欲しいの?」「それさえあったら良いのと思うものは何?」「教えて・・」

この心の深いところでの対話から自分の真に求めているものを探してあげると・・愛の渇望感は落ち着きます

 

「それが欲しくて探していたんだね」「それが得られなくて泣いていたんだね」

ここを自分が自分に気付く愛も(自分への愛・自己愛)増えれば増えるほど、安心・安定が育ち、ブレにくく、余裕を持って色々な事象を眺めることができる私を構築してくれると思います。

 

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています。

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