お客様の声

私は決断できない人

【テーマ】

【年齢・職業】30代前半・会社員

自分の人生の大事なことから、ちょっとした今日は何を食べにいくとかどこにいくとか、誰かが関わると自分で決められない私がいます。前に進むことも怖いんです・・。早く決めなきゃとか優柔不断だと思われたくないとか、友人関係では自分が意見を言うことがなく利用されている気さえする時があるのです。これ自体が嫌なのですが、もう嫌だと感じていることさえ「抑えて」感じないようにする自分もいて、どうにもならなくなりセッションを決めました。私にとってセッションを申し込む自体がすごい決断だったのです。どうしたらいいでしょうか?

 

【セッションを終えて】

 

自分のことをひどくバッシングしていて、そんな自分を責めていて、人生で起こる様々な出来事は全部相手のせいだ、とか自分にはセッションを受ける価値がないとか思っていましたが、これが全部自分が刷り込んでいった思い込みだったとは最初はとても信じられなかったです。

あまりにもリアルで、感情も大きくて、それが真実ではなかったら私が悪いの?とさらに怒りや自己憐憫になってしまいそうなところを、何度も忍耐強く、引き戻してこのテーマを見つめることができたのはやはりますみさんに寄り添ってもらえたからに他なりません。

「一人でどうにかするべきだ」は実はうっすらとは気づいていましたが、小さい頃から私の中にあって、いくら誰かを頼っても結局は助けてもらえないし、どうせ裏切られるんだと心の中の傷ついている私を見つけてあげなかったら、客観的に自分を見ることなどできなかったと思います。

暗い空間で一人で膝を抱えていたイメージの私は最初は「優しい言葉をかけないで」「もう、私を放っておいて欲しい」「今更何を私にすると言うの?」など頑なな態度で自分の癒しを拒んでいましたが、「これでやめちゃったらこの子はどうなる?」とますみさんに聞かれたときに、初めて義務感でこの子を癒すのではなく、自分から向き合って救いたいし、分かってあげたい気持ちが湧き上がってきたのを覚えています。

自分が自分を癒す意味、誰かがどうにかしてくれるのではなく、自分が自分を理解したときに初めて力を取り戻していく感覚・・・

それまでは誰かに優しくしてもらう、誰かが私を気づいて助けてくれることが求めていることだと思い込んでいましたが、自分の気づきがこんなにもパワフルで、最初からこの力を持っていた私だったと自分が感じた時、生まれて初めて「安堵」がありました。誰にもこれは奪えないし、絶対になくならないものです。これは体験しないと実感もできないことですし、読んだり聞いたりしていましたが身体を通じて感じることとの違いも毎回感じます。

私にとって自分を見つめることが怖いことから面白いこと、興味が尽きない惹かれてやまないことへ変化したのも驚きです。最初はセッションなんて私には分不相応と思っていたのにも関わらずです。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。