なかなかラクにならないメカニズム

【なかなかラクにならないメカニズム142】隠されていた愛に気づく③

皆さまこんにちは♩

人間関係、家族などとの関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など、ドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方のお悩みを聞く側に自然に変化した心理セラピストの浦松ますみです。

今日も半年ほど前に書いた(!)過去の続きになる、「隠されている愛」について一緒に感じていきましょう。

自我が手っ取り早い方法

はじめに・・また一応お伝えしていきますが、今から書くことが悪いこと、いけない事、弱い自分という意味とかでは全くなく、あくまでも自我の仕組みを客観視して「知り尽くす」ことをしていきましょう。

大切な留まりたい目線

私たち自我は必ず瞬時に「これは正しいこと?」「間違っている?」「成長できるの?」「甘えているっていうこと?」「責められている?」「褒められている?」「大丈夫?」「危険?」などなど・・

必ずジャッジの目線で聞いいたり、観たりしがち。何故ならばいつも書いている事ですが、自我は「生き残るため」に全てが動いているからです。

この生き残る・・という言葉の意味も実は奥深く、自死さえも「これ以上の苦しみを味わなくて済む」という自我の究極の選択になっている場合もあるほど、とにかく私たちは常にサバイバルしています。

嫌なことがあると・・?

もし、何か面倒なことが起きたり、自分で困ったことや難しいことが目の前にあると、初めはどうにか乗り越えるための活動をするでしょうが、上手くいかないと思った時にやりがちなことは次のパターンが多くないでしょうか?

1:相手の合わないようにする。逃げる(逃避)

2:もう大丈夫、乗り越えた、気になっていない・・(抑圧)

3:相手や状況に攻撃する。戦う(なんでそんなことするんだ!)

4:権力ある存在に従う(媚びへつらう事でサバイブする)

このようなパターンの時には、本当は誰にも必ずある優しさ、愛情、繋がり・・を断つ方向に行っています。そして本来はお互いに持っている愛は隠されて、完全に分断の方向に行っています。(例え、戦いに勝ったように見えても、深いレベルでは分離・孤独・無力などに行きやすい)

また4番の媚びへつらうですが、これもかなりの頻度で自分も含めて使っていたと思います。「私はあなたの敵ではないですよ」と動物で言えば相手にお腹を見せて服従の証を伝えることで、自分の危険を回避しようとしています。

愛が隠されている例

Aさんはとても責任感が強く一度引き受けたら絶対にミスは許されない、間違いはあってはいけない・・その思いで毎日重圧を自分に掛けていました。
職業がお医者さんだったので余計にその思いは毎日感じざるを得なかったし、自分が上のポジションになるにつけ、後輩から聞かれたり、学会などでも前回より良いものを見せなきゃいけない気がして辛かったのです・・

見た目や、みんなの評価は「できる先生」でしたがご本人は毎回ギリギリで、いつ自分のダメなところがバレないか・・バレたら一気に周りの評価、患者さんからも、家族からももちろん職場での評価も全部が崩れてしまうと本気で思っています。

こういった投影のど真ん中に長い間生きている場合「そんなことないよ」「あなたは良くやっているよ、優れているよ」と言ったところで砂漠に水を撒くようなもの。

すぐに蒸発してしまいます・・

この方の中にあったのは、ミスしたら責められる、怒られる、居場所がなくなる・・そんな色々な形での「恐怖」から感情を見ていきましたが、幼い頃に何気なくお母さんがお父さんのことこんな風に言っていたよという記憶が出てきます。

お父さんとお母さんの喧嘩はよく知っていましたが、夕方の気持ちの良いベランダでの親子の会話の中で、自分が言った言葉から、一気に父親の顔色が変わり、そのまま下に降りていき、お母さんが叩かれて怒鳴られる・・という風景になってしまいました。

この子にとって全く自分の言葉でこんな風に展開していくとは分からず、お母さんの恨めしそうな目、後から暫く拒否されたように感じていたことなども思い出しました。

その後、このご夫婦が離婚するのですが、彼女はことあるごとに「あなたのあの言葉でお父さんと決定的にダメになった」「あなたは私の味方かと思っていたけれど、怖い子だ」など、お母さんの情緒が不安定なこともあり、傷つく言葉を何度も聞きます・・

私のせいでお母さんは傷つけられて、離婚になってしまった、私がこの家を壊した悪い子なんだという罪悪感は実はずっとこの方の中にありました。

こう言ったケースの場合、タッピングで感情が減らないし、流れない状況になることもよくあります。

問いかけの一つの例

「私は悪い子」「私はずっと罪を背負うべき」

この姿でいたら、何を感じなくて済む?この姿をやめたら(感情が解放されて自分が楽に自由になったら)何を意味する?

こんなことを色々な角度で聞いていくと「自分だけ絶対にラクになってはいけない」「お母さんもまだ絶対に引きずって傷ついているままだから、私は許されてはいけない」

こんな声が聞こえてきました。

隠されていた愛=お母さんへの愛

罪悪感というものを絶対に手放さないことで、お母さんへの思いを守ることができる・・楽にならないことで、お母さんを大切に思う自分を感じられる・・

罪悪感という名前をつけていたエネルギー(感情)は即ち、この子の母への愛情そのものでした。

感情=エネルギーなので、そのエネルギーにどんな名前をつけているかだけの違いで、もう一つの罪悪感の側面、役割を見つけた時に、初めてクライアントさんは自分がどうしてこの姿でいる必要ああったのかを知ります・・

もちろん、ケースバイケースであり、どんな問いかけでここが出てくるかは全員が違うのですが、一つの例として書いてみました。

いつもしみじみ・・♡

隠されていた愛に出会う時・・私たちは皆愛で苦しむけれど、許されて救われるなぁ・・結局愛で楽になるし、苦しみの終着点に連れて行ってくれるなぁと、どのクライアントさんのジャーニーを伴走していても感じます。

セッションは感動の連続です。

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。

あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。

提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)

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