なかなかラクにならないメカニズム

【なかなかラクにならないメカニズム64】隠れてしまった愛に気づく

皆さまこんにちは♩

人間関係、家族などとの関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方のお悩みを聞く側に自然に変化した心理セラピストの浦松ますみです。

今日は「隠れてしまった愛」って何?こんなことを一緒に感じていきませんか?

人生には起きてほしくない事がありますし、何でこんな事に・・とか、なんで私だけがこんな目に・・と感じた経験は大なり小なりありますよね。

そこに本当は見えないだけで既にある、隠されてしまった「愛」に気づいた時、魔法が解けるように、同じ風景や状態をどんな風な眼差しで見ている私が出てくるでしょうか?

自我は「現象」「行動」が大切

私達は例えば

*お金がない

*彼と別れた

*信じていた人に裏切られた

*病気になってしまった

*リストラにあって理不尽な退職を余儀なくされた

*家族が常に争っている

*どの人間関係も破綻してしまう・・

などなど・・

人生の中で「起きてほしくない」ことをいろいろな形で経験しています。

自分はなんて可哀想で辛い悲しい人生を送ってきたのだろう・・そんな風に自分を憐れんだり、後悔や自分責め、または誰かのせいだと相手を責めたくなったり、怒りが沸々と湧き上がって種火が消えたことがないなど・・・

こんな時には思考では「どうしたらいい?」

行動レベルでの解決策を本気で真剣に探すため、色々な情報を得ようとしたり、助けてくれそうな人を探したり・・・

また苦しい時にはセッションを受けられる方も多いですが「どうしたらいいですか?」と開口一番にお話しされる方も普通です。私も勿論、過去に同じセリフを何度口にしたでしょう・・・

「可哀想な私を癒す」から「どんな思考の嘘」がここにあるかを見破る

「起きたらいけないことが起きてしまった」・・・これは一見正しいようですが

「起きてはいけないこと」とは誰がどんな基準で決めたことなのでしょう・・

誰かの正しさ、社会の正しさ、私の正しさという「解釈」を伴って、必ず「良い。悪い」のジャッジがここにくっついています。

例1)

飼っていた猫のみーちゃんが死んでしまった・・。20歳だった・・。

Aさん:大往生だね。幸せな子だったね。

Bさん:獣医さんも素晴らしい最後だったと褒めてくれても、悲しすぎて耐えられない・・私なら、暫く腑抜けになってしまう・・。

私:あの時、もう少し早く連れていっていたらあと1ヶ月は一緒に居れたかも・・。でも自分のために長生きさせようなんて、私はなんて自分勝手な酷い飼い主なんだろう・・。

 

全員がそれぞれの「正しさ」の中で判断して感じています。

例2)

3歳の子が病気で亡くなった。

Aさん:親がかわいそう・・。私だったら気が狂う。耐えられない。怖い。

Bさん:生まれてから8回も手術を繰り返し、家に帰れたのも数日。もちろん可哀想だけれど、親の経済的、心理的負担や不安を考えたり、子ども本人の辛さを考えたら、良かったかもしれない・・

私:辛すぎて、どうしてこんな不幸が自分に訪れたかを恨んだり、時には子どもの看病も疲れ切ってしまい、早く終わりたいとも感じてしまった・・。一生自分を責めそうで、苦しみはこの子が生きていても、亡くなっても終わらない・・。

 

起きた出来事をどう感じるか、どう解釈し、どんな感情を刷り込んでいくかは、それぞれの正しさで起きていて、ここに善悪、ジャッジを付けずに眺めることがどれだけ難しいことか・・と感じます。

みんなの正しさ、社会の常識には巻き込まれやすい

上記の例のように20歳の猫ちゃんは大往生、とか、子供の死は耐え難いもので悲しいなど・・どうしても心の中に上がってくる当然の感情はありますし、この感情を「苦しいから」と言って、ネガティブを消してポジティブに変えるのは

ある意味自然に逆らっている・・という事とも言えるでしょう・・

自然な感情は留まってみる

この「どうしても、どんな理由があっても悲しい」と言う感情は生命の愛からくる共感であり、変えようのない動かせない感情です。

愛があったから・・こその「悲しみ」であり、愛するがあまり、別れが辛いから「最もらしい正しそうな思考で」自分を納得さたくなったり、諦めさせたり・・

ここに隠されているもう一つの意味

純粋に湧き上がってくる「大切なものとの別れ」と言う悲しみ=感情=エネルギーはレッテルは(呼び名は)悲しみでも、同時に「愛している」「忘れたくないほど別れ難い」と言う感情=エネルギー=呼び名(レッテル)でもあります。

その感情をどう呼ぶかの違いだけで、そこにあるのは紛れもなく「愛」ゆえ。

愛があるから悲しい

愛があるから怖い

愛があるから・・・

そうです、そこにあるのは愛なのです・・・

 

生命の美しさでもあり、生命の純粋な感情(エネルギー)は性質として「愛」「共感(受容)」「平和」「自由」など

呼び名が違うだけで、それで満ち満ちているのだと感じます。

悲しんでずっと自分を責めている親御さんの姿や、飼い主さんの姿はもちろん悲しいのですが、同時にどのぐらいの愛を注いでいたのかという姿でもあります。

「私のせい」という苦しみを解体する

今、自分が抱えている辛さや苦しみは、別の言い方をすると「私の中での(間違った)思い込み」により造られたものとも言えるのです。

間違った・・と敢えて書き記している意味は、そこが自分に優しいポジティブな解釈であれば同じ状況や風景でも「自分を責めたり、憎しみを感じる誰か」がいない世界となるからです。

何が正しく、何が正義で、何が良いかは全てがそれぞれの解釈が生み出しているとしたら、苦しみも悲しみも・・・全部ある意味「自分の中」では正しいだけで、他の人から解釈されると同じ感情や思いになることの方が少ないかもしれません。

同じ感情だったとしてもその感情の強さ、濃さも違いますし、微妙な支えているニュアンスも違います。

私の愛しい大切な世界観(ストーリー)を気付く

自分の中にある「こだわり」はなんでしょうか?

 

絶対にここだけは譲れない、変えられない、それを無くした自分にだけはなりたくないなど、セッションの中でもそれぞれ、みなさん、必ず持っている大切な世界観は聞けば聞くほど、またその世界観の成り立ちや生い立ちを知るほど

「それは大切だよね」と共感しか生まれません。

それがあるから苦しいのだ、それを早く無くしたい、消して終わらせたいと思って最初はご自分のテーマを取り扱うのですが、最終的にたどり着くのは「苦しみの姿」の理由、真の訳が見えてくると・・

その姿の自分を癒している方の自分が受け入れて、大切にしてあげたい慈しみの眼差しになってくることが多いです。

そしてその時には最初に持っていた「嫌悪感」「恐怖」「不安」「後悔」「悲しみ」などは「在る」のですが最初と同じ身体感覚ではなく、変化しています。

体験として感じてほしいところ

不思議過ぎますが、苦しい時の自分は「それが無くならないとラクになれない」と思っていたはずなのに・・同じ出来事はどう見えているでしょう・・

思考というよりは身体が握りしめていた「感情」やトラウマレベルでの刷り込みが生み出した「信念体系」などを見つけ出し、身体を通じてシフトが起きた時、【本当の目覚め】が自然にそこにあるでしょう・・

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。

あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。

提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)

 

おすすめ記事はこちらから

【保存版】ストレスと仕事、心の専門家から見る根本的な解決方法

【復職したのに体調不良】なぜ起きる?心の仕組みを明瞭解説

【母親が嫌い】好きになりたいのに好きになれない

【保存版】「鬱は甘え?」判断する前に知っておきたい鬱の仕組み