なかなかラクにならないメカニズム

【なかなかラクにならないメカニズム53】永遠や絶対を欲しがる私たち

皆さまこんにちは♩

人間関係、家族との関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方とセッションをするまで変化した心理セラピストの浦松ますみです。

今日は人はどうして「絶対」「永遠」を欲しがるのだろう・・こんな疑問から

自我が本当の意味での絶対的な安心や、どこまで行っても受け入れてもらえる受容を知らないからだなぁと言うことを一緒に理解していきませんか?

全てに辻褄が合いすぎる現れを、温かく見つめていきます。

基本的にすぐに「不安」を感じる理由

実はこれも全部個人差があるのですが、今現在が「満たされ」「リラックスして」「順調そのもの」だったとしても、その場に留まってその感覚を満喫できる人と、すぐに「今はいいけれど、これが続くのだろうか」と不安になる人がいますよね。

今はパートナーとの関係が良好そのものでも、「いつまで続くのかな」「来年も一緒にいるかな」など、私たちはどうして先の不安を持ってくるのでしょう・・

そもそも、自我は基本的に「大丈夫感」「安心感」などから切り離された存在。【私とあなた】=分離が基本。

でも、ここが個人差なのですが分離が基本であっても「自分がその出来事を安心」と捉えやすい自我は全てにおいて生きやすく、周りに信頼を置くことも割と簡単に出来ます。

大切に待っていた約束が流れてしまっても「何かきっと大変なことがあったのね」「むしろ無理しないで断ってくれてよかった」「また会えばいいや」などの反応が自然に出てきます。

ところがそもそも約束が流れたという出来事を「私は選ばれなかった」「下に見られている」「どう扱ってもいいと思われている」などと解釈すれば、相手に対して、拡大すると人間に対してのネガティブな感情や、社会への不信感などを大きくしていくでしょう・・・

「私とはどういった人」なのか、特有の仕組みを知る

自分を見つめていくときにとても大切にしていきたいことは、「私」という唯一無二のオリジナルの「創られ方」は大雑把では把握しきれないこと。(かなり精密、精巧、複雑)

 

もちろん、人として・・・とか、哺乳類として・・とか共通のものもありますが、実際には微細な人生の経験や育った環境も大きな影響がありますが、一番は「それをどう捉えたか」と言う自分特有の解釈を知ってあげることです。

ここに「私らしさ」「オリジナリティー」があり、それが大切に尊重して、気づいていきたいところです。

大人として当たり前と社会からは見られている姿も、個人個人でそれが簡単にナチュラルにできる人と、とても抑圧して合わせなきゃ出来ない人がいるのは自然なことです。

そこに一切のジャッジを入れず、自分を見てあげることがポイントです。

ただ、これが言うほど簡単ではないことも十分知っておきましょう。どこかでいつも自分は自分に厳しくジャッジをしていることが多いです。

人生では「本質」の代替え行為をしている

大前提で知っておきたいこと

私たちが無条件の愛や、無条件の受容をなぜ求めるかと言えば・・自我自体がそれを知らないから。

自我は基本的に分離がベースなので「永遠の安全」「絶対に無くならない愛」を求める必要があるのです。

目の前の誰かが自分に愛を送ってくれていても、ふと何かの拍子に寂しさや不信感を持ったり、確かめ行為をして自分から去っていったり、その愛を壊してしまう人もいるでしょう・・

わざと浮気を繰り返したり、赤ちゃん返りのようなわがままを言って「こんなに迷惑をかけても絶対に裏切らないか」と言う行動は「本当に大丈夫?」「信じても傷つかない?」そんな声の現れ。

身体で訴えてくる場合もそれなりにあります。

心と身体の密接な連携に何度も驚かされます・・・人間の叡智を感じる瞬間です。

まずは「安心・安全」を自分に与えてあげる

もう、何はともあれ、自分の中に小さな不安を見つけたら、すぐにそこに話しかけましょう。

「何が怖いの?」「そうなったらどうなると感じているの?」

どうしても受け入れられない、抱えきれない苦手な感情や、状況はあって当たり前。それをまずは「自分にとって、どのぐらい無理なものなのか」を理解してあげましょう。

そして、実は無意識レベルではそこを一生懸命克服しようと「大丈夫なこと」にして元気に振る舞ったり、自分を鼓舞して思い込ませようとしたり、出来ない自分を許さないと叱咤激励して、出来なかったときに思い切り責めたり、後悔したり・・

自分の中で何か間違った「安心・安全の方法」を続けていないか探してみましょう。

間違った・・と言う言葉を使っているのは、無意識レベルの自分にとってはそれが正しくて、自分にとって安全だと「勘違いしたまま続けている方法」のことです。

例えば、自分が本当は母親に甘えて全部してもらいたいのに「私、一人で大丈夫だよ」と自立したお姉さんを演じている場合は

これもケースバイケースですが「一人で手のかからない子」を演じることでより母親に愛されると「勘違い」=「自分の中での安心の得方」を刷り込み続けてしまうと

もう、自分の本音を見せることの方が危険、愛されないこととして認知されていくので、ずっと抑圧に自分自身も気づかないまま大きくなっていくでしょう・・

大人になると「甘えている人」に対して羨ましさ、嫉妬、または怒りなど・・いろいろな形で感じるでしょうし、さらに自分を鼓舞して孤独な「できる私」を作り上げていくかもしれません。

また変に周りに心配をかけることで自分に興味を持ってもらおうとしたり、具合の悪い私でいれば愛されるなど、ねじれた形で現れることも十分にあるでしょう。

どちらにせよ、自分の「今の形」がどうして必要になったかという歴史を辿りつつ、深いレベルでのケアが必要です。

複雑性トラウマのケースなどもそうですが、時間がかかるのはこのためです。

でも・・このレベルでの自分への理解が深まれば深まるほど、現在の人生の表れにも今までとは違った反応が生まれてくるので、甘えている人を見ても前のような状態ではなくなっています。

とことん、お腹いっぱいに「甘えること」が出来てくれば、それは必要のないものになりますし、愛の飢えからの甘えではなくなってくるでしょう。シンプルな愛情表現としての甘えだったり、相手を慈しむ甘えに変化したり・・

苦しい自分が想像する「ラクな自分」とは少し違う、本当に自由で大丈夫感がそこにあるでしょう。

 

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。

あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。

提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)

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