皆さまこんにちは♩
家族、人間関係などで生きることが辛く、依存症・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方とセッションをするまで変化した心理セラピストの浦松ますみです。
今日は以前は溝口あゆかさんのセラピスト養成講座やJMETの講師としても何度か開催したフォーカシングについてお話ししていこうと思います。
身体を使って自分の中の気づきを促し、心を癒していくってどんなこと?
実はこれなくして、ワークが出来ないと感じるほど、毎日使っている手法であり、とても気軽に日常生活の中で活かせるものなのでシェアしていきますね。
上手くいくセッションって?
実は上手くいくセッションには何が起きているのかご存じでしょうか?
1960年代にフォーカシングを開発したユージン・ジェンドリン博士が、沢山の心理療法のセッションの音声など聞いて、分析した結果、上手くいっているセッションは・・・
実はセラピストのやり方というよりも,クライアントさん自身が自分自身とどう関わっていたかによるものだったという研究をしています。
どういうことでしょうか?
実は上手くいったクライアントさんは、自分の身体を通じ、そこから自分で感じられる感覚(これをフェルトセンスと呼びます)を見つけることができ、そこから自分の内側に=潜在意識を探りながら「どんな声を持っているか聞いてあげる」「眺めてあげる」「そこに合わせてあげる」ことをしながら
身体と上手に対話していることが見つかったのです。
ここまで読んでお気づきの通り、「思考」は使うのですが、
頭の中の声というよりは身体の声=潜在意識の声を拾うことが上手になればなるほど
深い成功したセッション(シフトが起きたり、受容が自然に起き、クライアントさん自身に安心や安堵が広がる、緩む)につながっていました。
これは本当に毎日のセッションでも私も実感しています。
自分自身の自己ワークもそうですし、他者にしていくセッションも同じく、どれだけ「こうかな」「きっと〜〜かな」と言った頭の声を横に置きつつ、
身体に集中しながら探るプロセスが上手な方ほど、良いセッションが訪れています。
フェルトセンスって何?
フェルトセンスとは、自分が向き合いたいテーマに意識を向けたときに身体で感じられている「言葉を持たないけれど、言葉以前のはっきりしない何か」のことなのです。
この言葉以前の曖昧な「何か」=「フェルトセンス」は癒しを進めてくれる非常に大切なものです。
こんなはっきりしない何かに、じっくり寄り添うこと自体を現代人はしていませんし、思考は早く問題解決したいので、「答え」を見つけようとしたり「すぐに判断」して予想して進めようとしてしまいます。自分の解釈で分析して、予想します。
思考で進めたセッションと、身体の感覚を充分に感じながら進めたセッションの違いは経験した方は分かると思いますが、「あぁ・・・そうだったんだ」という安堵や身体が緩む体験んが理解と共にくっついてきます。
深いシフト、深い理解された受容の中での癒しは格別です。
因みに、「あぁそうだったんだ」「あぁ、わかった」みたいなスッキリ感覚や安堵感を「フェルトシフト」と呼びます。
身体の変化を感じながら、身体の声を聞くこと自体が現代では稀で、慣れていないかも知れませんが、これは練習で誰にでもそもそも、感じる能力は備わっているので大丈夫です。
得意、不得意はあれど、全員の身体の中にそもそもあるものなので、眠っている能力を目覚めさせてあげたいですね。
そこに人がいる・・ということ
ジェンドリン博士の言葉の中で、私も大好きな言葉があります。
「Presence」/ そこに人がいるということ
私が言わなければいけない、最も大切なことから始めよう。
すなわち、人とワークすることの本質は
生きている存在として
そこにいること(to be present)です。
そしてこれは幸運なことなのです。なぜなら
もしも私たちが頭がいいとか、善良であるとか
成熟しているとか、賢明でなければいけないのなら
私たちはおそらく困ってしまうでしょう。
しかし、重要なことはそれらではありません。
重要なことは
別の人間と共にいる人間であること・・・
これはどう言った意味だと思いますか?
相手と共にいる人間であること=そこに全てを受容する存在があること
フォーカシングの著書の中で、池見陽さんという有名な方のコラムからの紹介です。
ジェンドリンの表現の中の「The person behind the Gaze」(瞳の奥のあなた)
この瞳の奥には生きようとしている人がいる・・目の前のこの人の中には表面的にはさまざまな表れがあるけれど、何かを必死で訴えている人がいる・・・
そんなイメージをしながらクライアントさんと共にいるというところです。
これは日常生活の中でも、セッションだけではなく、
私たちは「誰かが聴いてくれている、誰かが分かろうと側にいてくれている」と感じただけでも何か既に安心感が出てくる経験をしたことがあると思います。
誰かがいる・・というだけで内容までも変化する
自分の気持ちに触れることが難しい人、またはこのテーマに関しては向き合うことが怖い人など・・
気持ちを閉じ込めているロッカーがあるとしたら、それを開ける鍵になるかも知れないのがフェルトセンスを探れるかどうか・・です。
内側に秘めている宝の場所と言っても良いでしょう。
また逆に、強い感情を感じすぎる人にとってはその強さに圧倒されすぎたり、巻き込まれてしまわないためにもフェルトセンスに留まる、感じることは自分に安全を与えてくれるでしょう・・・
瞬間的な思考や感情で反射的に行動したり、答えを出すのではなく、自分の中の「知」「感情」「心の声」に間を取ることでより深い賢い場所から応答できるようになります。
一度、上手にフェルトセンスを見つけられるようになると、実はほとんど、どこでもできるようになります。
重要な会議の前などいつでも、自分の人生の中にフォーカシングを取り入れてください。
自分が自分の良き安全な聞き役になる
私たちは「誰かが聴いてくれている」からこそ感じられるフェルトセンスを上手に活かしながら
「理論で人生を理解する」から、言葉によって説明できる「理(ことわり)」を超えた、「生きていることそのもの」「存在、生命の声」に触れることができたなら・・きっとどう生きたらいいか・・という暗示を汲み取り、生かすことが出来るでしょう。
安全な聞き役がいるところで共に生きてもらっているという安心感を感じながら、頭の中で説明概念を駆け巡らせるのではなく、身体の中にある次なる方向性を信頼することが出来るでしょう・・・
フォーカシングは実際には体験や練習も必要ですが、一番身近な私が「私のセラピスト」として、「共にあなたといるよ」とただシンプルにそこに在ることが、何よりのギフトになると思います。
それで、上手くいかないテーマ、なかなかスッキリしないテーマは、誰かと一緒に探ることをお勧めします。
答えのある相談と答えのない相談とは?
明らかな答えのある相談、例えば税務署の書類の書き方であれば「明確な答え、正しい答え」は用意できますが、心に関する相談はどうでしょうか・・
⚫︎この人と結婚するべき?離婚するべき?
⚫︎転職するべき?
⚫︎人生が面白くない・・何をして生きたらいいの?などなど・・
この問いに関して本当の意味で「答え」はセラピストが出してあげることが出来るでしょうか?
「私自身の心の専門家」は自分以外には本来は難しいですよね。
専門知識や何かの情報の提供はもちろんできますが、根本的には本人が「感じていること」「心の実感」を根拠に答えを言い表したり感じたりすることから始まります。
フォーカシングは「ゆっくり聴いてくれる人」の前で自分にもはっきりわからない「心の実感」を「ゆっくり感じて言い表す」ことに大きな意味があると示しています。
そう言ったセッションがうまく行った実験結果、研究からも見えた通り誰が、どんな聴き手がそこにいるかで感じてくることや話題さえも違ってきます。
もちろんそれはカウンセラーやセラピストかも知れませんし、自分自身かも知れません。
「人を変えるのは人である」
故障したメカの原因を探すように原因探しをするのではなく、「あなたの考えていることはよく分かったよ」「ちゃんと聞いているよ」または「聴いてもらって、わかって貰えた気がする」というプロセスの中で癒しは自然に起きてくる・・・
そんな気がします。
※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。
あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。
提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)
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