なかなかラクにならないメカニズム

【なかなかラクにならないメカニズム74】「愛を選ぶ」生き方の難しさ

皆さまこんにちは♩

人間関係、家族との関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方のお悩みを聞く側に自然に変化した心理セラピストの浦松ますみです。

今日は、自我にとって知識ではよく知っている「愛を選ぶ」「愛に生きる」という言葉。この言葉の意味の深さと、ここに立ち返り生きることの難しさや、どうしてこれが出来ないことも多いのか・・など

一緒に「私を探る旅」をしていきませんか?

そもそも「私」=「自我」とはどんな性質?

私たちの苦しみや、悩みはそもそもどこから生まれているでしょう・・

人類全員が持っている共通認識として

「私」がいて・・・「私」の大切な守りたいものがあって、「私」はより良い私になりたくて・・いつも頑張っていますが

大切なものがなくなりそう・・良い私になるための何かを失いそう・・・役立つ私になりたいのになれない・・・出来ないから相手から、世の中から必要とされず、居場所がない・・・など・・・

私=自我とは?

基本ものすごい勢いで「私」を守るために動いています。そして、それが守れない・・と感じると同時に怖さ、不安に簡単に巻き込まれて、状況や相手をどうにかしようと頑張ります。

そもそも自分を守らないと・・という性質があるため、上手くいかないときには相手を攻撃したり、自分が罪悪感を抱えたり、孤独を感じたりするわけです。そして無力感や、絶望なども、色々な形で味わうでしょう・・

「守りたい私」の力を抜くことはとても怖いこと

自分が自分に対して「守る力」を緩めることは何を意味するでしょうか・・?

私の人生を諦めるように感じてしまうと・・・怖い感じがしませんか?

また、自分を見捨てている感じがしないでしょうか?

この私が怖くないように、惨めにならないように、安心できるように・・恥ずかしくないように・・・みんなに必要とされて、居場所を感じられて、愛されるように・・・力を抜くことを本当の意味では止めることは難しいですよね。→それが真実で、絶対にそうなる世界にいる状態なので・・。

ただ、この自我の性質通りにそのまま「守りを強化していく人生」は一見安心なようで、常に何かと戦って、比べて、競争に勝って・・をし続けることにもなります。

まずは「どうするか」よりも、今の自分がどのぐらいこの自我の性質通りの動きをしているかを認識してみましょう。

そしてそれ自体は何も悪くなく、ジャッジなしに「心強いわ」「ありがとね」と認めて感謝します。

起きている出来事にどんな自分が強く出ているかを知る

個の「私」として、恐れや不安ベースの自我をベースとして存在しているときに、実は色々な道があります。

①「私を絶対に助けたい」という恐れベースで、いかにそこから自分を守るか・・という生き方

②防衛を限りなく落として、相手や状況をまずは「理解したい」という愛や共感や繋がりをベースにした生き方

 

①と②にジャッジなしで、今の自分がどちらのエネルギーが強くなっているかの観察をまずはしてみます。

必ず理由があり①が強くなったり、相手によっては②の自分になったり、私たちは凸凹しているし、解釈も毎回刺激されるもので違ってきます。

父親が相手だと許せず責めたくなるけれど、祖父母だったら理解したくなる・・とか、相手の気持ちも聞く余裕があるなど

ここは自分という存在の中に無数の反応が生まれていることも知っておきます。

愛の立ち位置で好きなものを選ぶ

基本、個の私・・自我ベース、「色」としての私をどう生きていくかを大切にすることは全く良きこと。

ただ同時に常に戦って、自分を守り続けることに疲れたら・・一旦、深呼吸して、静かな場所で起きている出来事、自分の反応、感情や思いをフラットに眺めてあげます・・

例)

子供も大好きなお教室が色々な理由で無くなりそうになったので、地域の人々に協力を仰ぎ、生徒さんの集客、開催場所の確保など、ここ1ヶ月は先生に協力したのに、先生は結局引越しして、自分の好きな人生を選んだ。私の1ヶ月はなんだったの?子供もがっかりしている・・先生に裏切られた。怒りでいっぱいです。

 

静かに眺める方法

①自分にとって、このお教室にはどんな意味を乗せていた?ここで何を感じていた?

子供も先生が好きだったが、私がこの場や先生が好きだった。自分の心の休憩場所でもあり、ここに来ると安心や安らぎを感じていた。

②どうして直接頼まれていないのに、自分から色々集客や場所について動いたのでしょうか?

今思えば、「自分が」ここを失いたくなかった。先生にどうしても続けて欲しかった。

③私にとってここはなんだった?

自分の安心できる場所。私の子供が安らげて自分らしくいられる場所。

④ここがなくなると何を感じなくてはならない?

もう、こんなに素敵な先生と出会えない・・という恐れや、不安。また自分をわかってくれる安心な人との別れを意味していました。人間関係、家族関係でも色々な憎しみや、悲しみを経験しているので、よりここを失いたくなかったようです・・

⑤どうして、先生を加害者、自分は裏切られた被害者になって行ったのでしょう?

この不安、先生との別れの痛みを誰かのせいにしなくては耐えられなかったから、先生のせいにしてしまいました・・それだけ、私自身の中に孤独感や安心がないということですよね・・。同時に私が先生を必要としていたし、大切だったことが見えてきました・・。LoveからHateへの典型例でしたね・・。

 

もし、これが「愛」から先生と別れたら・・?見えている景色を想像する

自分の感情を相手に伝えることがいけないのではなく

伝えようとしている自分がどんな状態なのかをわかっていることは大事です。

「私が先生と別れるのが悲しすぎるから」「このお教室が私と子供のオアシスだったから」先生の決断が悲しい・・と先生に伝えたら・・・シンプルに恨みや怒りではなく、純粋な自分の気持ちを伝えたら・・?

想像してみてください。

自分が先生だったら、このお母さんの声を聞いて・・どんな気持ちが湧き上がってきますか?

「本当に、こんなにもここを愛してくれて、本当にありがとう」「私もあなた達と離れるのは辛いけれど、同時になんと素晴らしい人たちと繋がれたのか・・」感謝が湧き上がるのが止まらない感じはないでしょうか?

実際に教室は閉鎖。今までのようには会えなくとも、この別れには「愛」がベースにあります。

最初の相手に怒りがあるまま、自分の本当の気持ちに気づけず、「自我の恐れベース」のみで全身がみっちり埋まりきっていると、こちらの愛ベースからは対局の分離感マックスの状態なのでかなり苦しいはずです。

どちらを選んでも全く良いのですが、愛がベースだと本当にラクです。

癒しとは・・・愛とは、理解と受容。

相手のことなんか理解したくもない、受け入れて納得なんかしたくない!という気持ちが強ければ強いほど、自分の中に本当に感じたくない抑圧された感情や傷があるということでもあるので

こういったテーマこそ、ぜひみてあげると良いですよね。

私自身も①と②と両方経験しながら毎日自分を観察しています。そして①の時ほど、自分の声をしっかり聞いて理解という愛で自分を包めたら・・と思っています。

沢山の経験からの結論♡

愛を選ぶのが難しいことも十分経験しながら、愛の決断がどのぐらい温かいかも知っています。

だから愛の中で色々なことを決めたい・・思ってしまうのです・・笑

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。

あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。

提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)

 

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