なかなかラクにならないメカニズム

【なかなかラクにならないメカニズム67】どんなストーリーにも乗らないとは?

皆さまこんにちは♩

家族、自分と自分との関係などで生きることが辛く、依存症・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方のお悩みを聞く側に自然に変化した心理セラピストの浦松ますみです。

今日は去年あたりから目に留まった「ポリコレ」

ここから、自分の中の被害者・犠牲者の傷がどんな反応をしているかを探りたいと思います。

元々はどこから来ているの?

直訳では「政治的正しさ」とか「ポリティカル・コレクトネス」=特定のグループや思想などに対して差別的な意味や誤解を含まないように公正で中立的な表現をすること・・を指しているようです。

具体的には人種における表現や性別における表現など、または敬称などにも大きな影響がある様子です。

結構、皆さんが気を遣っていることが普通になりつつあるようで、うっかりここに触れる発言などした方が「配慮がない人」「悪い人」と周りでもされていないでしょうか?

例えば自分の性別に違和感を感じながら、女性として社会の中では存在していた本人が男性だと自覚し、名前を変えたり、自分を呼ぶ代名詞を「they/their」であると決めている場合、勿論ですが、うっかり「he」でもアウト。新しい名前で呼ぶのもダメ。「she」もダメ・・・

本人の希望を受け入れてtheyを使う人など・・分かりにくく、だんだん気を遣いすぎて無口になってしまうケースなど、非常に戸惑いながらも、私たちは一生懸命本人の気持ちを尊重しなければ・・と頑張っていないでしょうか?

「良心」「思いやり」「優しさ」から無意識に作られること

自分の発言や思いが「これってみんなから見たら差別になっちゃう?怒られる?」と感じたら、一度、周りの空気を確認したり、様子を見ながら出せる場合は出したり・・・またはそこにオープンな空気があれば、いろいろな説明も加えることができますよね。

でも、もし社会の空気、ニュースや周りの多くの人が「それ、ひどいよね」とか「〜〜が悪いよね」とみんながみんな、賛成しているようなものに対しては自分もいつの間にか巻き込まれて

あまり考えずに、「そうなよね〜」という流れで、何かを非難したり、何かを否定したりすることってないでしょうか?

一つの意見以外を認めない・・とか、一人の人の言葉にみんなが乗ってしまい、事実がどこかに飛んでしまい、一人歩きして「きっとその通りだ」「なんて〜〜はひどい奴なんだ」

深く考えずに起きていること

簡単に私たちは自分の中に持っている頭の中の「自分の正しさ、構図」でそこから物を見たり、聞いたり、判断していないでしょうか?

ワニは何色?

あるジャーナリストの方のお話の中で「ワニは何色か知っていますか?」と言う質問を相手に聞いていたシーンがありました。

相手の方は「みどり?」などと答えていましたが、実はアリゲーターは「黒」もしくは「濃いグレー」が学術的には正しいそうです。

私も「みどり」をイメージしていましたが、漫画や、雑誌、イラストなどで良く観るのは確かに「緑色のワニさん」

「ワニは緑なんだ」と無意識に刷り込まれているので、緑色のワニを思い浮かべて、その姿で話が進んだり、何かのイメージを紡いでいると思います。

こんな風に、例えば「こんな事をするなんて、どんな理由があっても絶対相手が悪い」など、もっともな人の発言などからも私たちは簡単に巻き込まれ、一つだけの方向に向かいやすい一面があります。

自分ごとになると、それが当たり前なので、もっとマッハの勢いで「あの人は私を快く思っていない」「役立たずと思われた」など絶対真実として身体の感覚とともに緊張したり、不安感を伴って感じています。

 

そもそも自我は「恐れ」ベース

投影の仕組みをもう一度思い出してみると、自分の中に「あるもの」「持っているもの」=ビリーフなどを相手に映し出し、相手と自分を重ねてみたり、相手があたかも「そう思っている、感じている」=事実かどうか未確認=それが立派な事実になっていく・・・

例)可愛がってくれていた先輩より先に自分が上司になった時、今までと違って先輩が自分のミスを指摘してきたり、ダメ出しをされた時に「人は追い越された人を受け入れてくれない」と感じた。今は、特に年上や経験者に絶対に上から目線にならないように気を遣いすぎて疲れてしまう・・

 

相手が快く思っていないは「自分の思い」であって、相手がその思いで自分を見ているかどうかは不明ですし、もしかしたら出来る上司になって欲しくて、敢えて厳しさで応援してくれているかもしれません。(要は不明)

投影はこんな風に「自分が持っているもの」で全てを判断し、相手を見るため、いつの間にか「相手がそう思っている」という相手の持ち物に普通になっていくところが凄いところです。自分では気づきにくい事とも言えます。

 

こんな仕組みがあるので、もし、どこかの誰かが、どこかの国自体が不当な攻撃を受けている・・とか、不当な扱いを受けている・・と自分の中では事実になっていたら

私たちはすぐに調べたり、事実確認する前に、自分の中の「正しさ」に従い、行動したり、思いを湧き上がらせ、ニュートラルから外れていきます。

それがいけないとか悪いと言うよりは、この「みんなが乗っている正しさ(ストーリー)」に乗らずに考えてみることが難しいと言うこと自体をまずは認識していきます。

不当な攻撃を受けた国が自分と重なり、可哀想、助けてあげなきゃと言う善なる思いから一様に敵は◯◯、悪いのは△△、被害者は・・・加害者は・・・

こうして事実確認は横に置き去りになり、ストーリーの中にいる状態が普通になっています。

「私は何にどんな反応をしているの?」

アメリカでは今はホリデーシーズンに「Merry Christmas!」とは去年あたりから?ほぼ使わずに「happy holidays!」

どうも、クリスチャンではない人にこの言葉を使うことが差別、とか、嫌な気分にさせているとか、クリスチャンに強制させられているように感じられるから・・など当事者の他の信仰を持っている方からの訴えは特にないのに、誰かの何かのきっかけで、アメリカ中に広まっている現象・・

日本では、例えば東京ディズニーランドやディズニーシーでは以前は「Ladies &Gentleman」が「Hello Everyone」

そうしないとダメ、そう言わないあなたは差別・・・こういった同調圧力がなぜ生まれやすいかといえば、もしかしたら、自分の中にも少数派の気持ちを考えてあげなくてはいけない、むしろ優遇してあげないとかわいそう・・

ここに正義があるとき

被害者側の気持ちを尊重してあげなきゃという「自分の中の被害者」の部分が反応して、一人歩きして、それが大多数の人に広まり、世の中の流れになっている時

改めて「自分はどうしてここに◯◯な反応があるなぁ」と気付いていくと、そこに傷ついた自分や、癒えていない心の痛みなどが見つかることが多いと思います。

分かってもらえない辛さ、気付いて認めてもらえなかった悔しさ、孤独感・・

みんなそれぞれの「私の傷」はあるため、反応もあって当然であって良いのです。

留まりたい場所は、その傷の反応で「今起きている現象」をあまり考えずに流れに乗ってしまい、大きなうねりの中に巻き込まれていないかどうか・・を客観的に眺めてあげることは、自分癒しに繋がっていくでしょう。

私の中にある「一番求めているものは何?」「大切にしたいことは何?」

ここを探してあげることが、自分が自分を救う大きなヒントが隠されています。

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。

あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。

提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)

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