心の仕組み

ちょっと待って!「それ、自分で考えてる?選んでいる?」

こんにちは♩

心理セラピストの浦松ますみです。ちょっと待ってください!今、選んでいること、それは自分で「決めたこと」「選んだこと」「考えたこと」でしょうか?についてお話ししていきたいと思います。

私たちは人生の中で大小様々な決断の場面に遭遇します。例えば会社で自分の考えを伝える、プライベートで◯◯へ行く、△△さんに疲れているけれど電話をする、親が病気がちだからお見舞いに行くなどなど・・・

誰かと付き合う、別れる、転職、引越し・・・大小様々ですが、毎日何かしらの選択・決断をしていますよね。

それらは「自分で決めた決断」なのか、それとも「みんながそうしているから」なのか「大人としてするべきことだから(するべきでないから)」なのか・・・

些細なことのようで実は自分の人生を大きく左右する「自分で決めているか」「誰かの意見を丸ごと受け入れているか」を見つめていきましょう。

自分に力を取り戻すとはどういったことなのかを解説しますね!

行動自体ではなく「在り方」とは?

 

最初に書いてしまいましょう!私たちはすぐに「行動自体」をどうするか、辞めるか、続けるか、どうするか、何をするかに注目しますが、実は大切なのはココではないのです

 

同じ「誰かが黒と言っているから」自分も「そう思って黒を支持する」としていたとしても、自分がどう言った立ち位置でそれをしているか、していないかで「自分のパワー」の所在が決まっています。

みんなとお揃いが悪い、自主性がないとかではなく「どんな自分がそれを選んだか」で決まります。

みんなと外れる事が怖い自分・・・

一人だけ意見が違う自分・・・

大人らしくない自分・・・

自分勝手な冷たい自分・・・

優しくないとみられてしまう自分・・などなど

 

どんな自分がそれを選んでいるでしょうか?

人と違うことは自分にとって何を意味する?

人と行動が違うこと、人と思想が違うこと、行動が違うこと・・・

これは私たちにとって何を意味するでしょうか?

私たちは哺乳類の群で生活をする動物でもあるため、グループで協力して社会生活を維持したり、自分一人ではできないものをみんなの力で分担して表現したり、動物では一人では狩りが上手くいかなくても、グループの力で仕留めて、自分や家族の生命の維持を努めたり・・・

子育てだったら、雌のグループが協力して子供たちを守って育てたり・・・

もし、この中でみんなから受け入れられない存在、嫌われる存在、必要とされていない存在に自分がなってしまうと感じたら生きやすいか、生き辛いか・・と言えば分かりやすいでしょうか・・・?

そもそも、人からどう見られているかは無意識に重要なのです。

 

ここも人それぞれですが「人と違う私で在りたい」「私を分かって」と言う欲求とともに、社会というグループから弾かれていると感じると強烈な孤独感や繋がりが切れた感覚を受けないでしょうか?

自分の中で「ここはみんなと揃えなきゃ」と言う部分と「これは私らしさを絶対に尊重したい」と言う両方の部分があると思います。

 

※ここも探して自分が知っておくと言う事が自分への理解と愛情につながります。自己肯定感の底上げ部分。

自分で考えないメリットとは?

自分で考えて、自分で決めたいとは思うものの、無意識レベルではどんな事が起こっているでしょうか?

例えば、みんなで決めてと言ったことで結果、不利益が生じたとしたら・・・自分が決めていなかったら相手を責める事がしやすくなりますよね。

「だから言ったでしょう」「どうするつもり?」「責任誰が取るの?」と言える時は、自分は100%被害者側(悪くない)と言う立ち位置で、自分を正当化できる点があります。

例)隣のグループで管理している畑に強めの除草剤を撒くらしい情報を知った。私たちも、影響を受けるから話し合いたいと思ったが、関係を良好に保つため、今回は見守る形に決まったが、案の定、見事に自分たちの畑は影響を受けてしまった・・・。

私は話し合おうと持ちかけたが、多数決で決まったし、私も仲良しのいる隣とは、良い関係を保ちたかったので、そちらに結局は乗ってしまった。

今までの数年の努力が崩れた気がして、隣のグループではなく、「同じグループのみんな」に対しても怒りが収まらない。

 

ここで見ていきたいのは、結局従ったのは私だからと言って、「自分が悪い」に落ち着くのではなく、この怒りの所在を自分が知ってあげたいのです。

※この方の場合は、途中は端折りますが、集団・グループの中では「従うしかない」部分が出てきて、その中では「無力な私」をどうしても感じてしまい、ここの悲しみや無力感がどこにもやり場がなく、「怒り」としてたまたま同じグループの人に向いていました。

結局は「そんな自分に対するやるせない怒り」でした。【自分が自分に怒っていたのです。】

 

自分に力がある状態でダメージを受けていたら?

言われた事、決まったことに乗ることは、あらゆる点で一見ラクですが、同時に自分の力を相手に委ねてしまっている・・・ここも同時に起こっています。

自分にパワーがあるか、相手にパワーを委ねているか・・・

自分に力があるこの在り方であれば、行動がどうであれ、「自分が決めている」ことになります。自分にパワーがあれば、相手を責めるときに違う伝え方になってくる気がしませんか?

たとえ、今回の畑の大ダメージが「同じように起こったとしても」、力のある自分ならばどう言った行動に出るでしょうか?

隣のグループにも感情的に怒りをぶつけるのではなく、ちゃんと冷静な説明と被害報告、そして今後、隣同士はどうする方向が良いか?

自分は力があれば、今後の自分の畑をどう守りたいかの視点で、行動するエネルギーが自然と湧き上がってくるでしょう。それが困難な道であってもこのエネルギーで歩む事ができます。

反対に無力な私がメインであれば、どうしたら良いかの考えも狭い視野の中で「どうしよう、どうしよう」「相手が責任を負うべきだ」「もうダメだ」的なエネルギーの中でグルグルしてしまうでしょう。

→悩んでいるときの私たち。

 

【ベースがどんな自分がメインなのか】を自分が知ることは、大きな助けになります。

癒しのベースは自分に力を取り戻すこと

人生にはやはり「良いことだけ」「優しい人だけに囲まれる」「常に助けてもらえる」ことだけで埋まることは難しく(そう見えるようになることは十分可能ですが)、色々な困難も付き纏いますよね。

ではその時に何が一番自分を救ってくれるでしょうか?

それは「無力な何もできない弱い自分」から「自分に力がある私」へシフトしていくこと。

間違えてはいけないポイントは「無力な私」が悪いのではなく、変えなきゃいけないのではなく、どうしてその弱い私でいるのかの理由を探し、【自分への否定】をケアするだけ。

自ずと、弱いダメな自分でいる必要もなくなってくるので、シフトは自然に起こってしまうのです。

 

潜在意識にあるセルフイメージ・ビリーフを探すことも大切ですが、そこにある「未消化の感情」「支えている思い・思考」と対話をして、自分への否定、バッシングをリリースするセラピーは有効です。

 

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています。

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