みなさまこんにちは♩
家族との関係で生きることが辛く、依存症・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方とセッションをするまで変化した心理セラピストの浦松ますみです。
今日は即、苦しみから抜ける方法はこれ!↓↓↓(これがすぐ出来たら苦労はないのですが)
「私」=「自我」から完全に自由になること・・・
これについて、一緒に考えてみましょう♩
※読者登録をPCでは右サイド、携帯からは下にかなりスクロールしたところになりますが、作りました。ここだけの限定・特別な情報などお知らせいたしますね♩
私たちの悩み・苦しみはどんな種類?
実は2020年に入ってから、私自身がまた色々な経験とともに、本当に実感していることは、悩み・苦しみは全てどこから来ているか?
ここに着目すると・・
「私」のパートナーが・・、「私」の仕事が・・、「私」の母が、父が・・・、「私」の子供が・・、「私」の友人が・・「私」のお金が・・「私」の健康が・・「私」の食べているものは・・、「私」の家族が・・、「私」の地域が、国が・・・
全部【私にまつわること】がいかに多いかです
一件、自分には全く関係のないAさんとBさんの争いに心が痛んでいても、結局は見つめていくと、自分ごとに絡んできています。
全部悩み・苦しみは「私」が関わってきています。
ここでの様々な拮抗(きっこう)
「拮抗」というワードを調べてみると、優劣がなく互いに張り合うこと・・とか、勢力がほぼ等しいとか書いてあるのですが、心の仕組み的に使っているのはどんな拮抗かと言うと
A:「私」が頑張って働かなきゃ、「私」がこの家族を守らなきゃ、「私」がお金を稼がなきゃ、「私」がこの人の面倒を見なきゃ、「私」がこの仕事の責任を持たなきゃ・・など
「わたし」がやるべきことが【外側、他者】に向いているケース
B:「私」の人生を私が守らなきゃ、「私」が私に愛を成就させてあげなきゃ、「私」が私に安心を、安全を与えてあげなきゃ、「私」は愛される存在だと私に感じさせてあげなきゃ・・など
「わたし」がやるべきことが【内側、自分自身】に向いているケース
AチームとBチームは「私」と言う存在は同じぐらい大事なようです。
どちらも「私」にとっては同じぐらいの力関係で、優劣が付けがたいもの。そしてケースによってどちらかを優先してみたり、悩んだ末、どちらかを選んでいるようです。
AとBを両方ともに上手く回そうとしている私たち
上記を見ていくと・・・Aを優先するとBがおざなりになるとか、Bばかりを優先するとAが悲しくなったり怒りを持ったり・・・
Bが「私を分かって!」「理解して!」「愛して!」「甘えさせて!」と辛くなったり、諦め切って心を閉じてしまったり・・・
またはAを大切にしないことで「社会から受け入れられない」「孤独になってしまう」「見捨てられてしまう」「上手くやれない」など・・・
私たちはこんなにも普段から大変なバランスがとりにくい中で生きていて、無意識にその中で疲れています。
どちらも「私」が生きていくとなると大切で、どっちかだけに肩入れすること自体が「上手く社会と順応できない感じ・受け入れられない感じ」とか「自分自身が良き人になれない」とか「穏やかな人生、安心・安全な人生を私が生きていない」など、100%のOKが得にくい感じです。
常にこの拮抗(きっこう)という自分の中での自分との戦い・他者と比べてOKかどうかで、苦しむ事は起こりがちです。
「私」はこんなにリアルだけど、本当にいるの?
私が存在していると、終わりなき様々な感情・思い・過去の記憶など出てきませんか?
そしてそこには未消化のエネルギーがあって、ましてやそこにトラウマなどあれば、いくらでもストーリーを生み出して、いつまでもその渦の中にいるような感覚はないでしょうか?
トラウマも「私」のトラウマです。(もちろんですが)
「私」が経験した「自分が解離したくなるような激しい心の痛み」は、そのままでは絶対に忘れることはできませんし(顕在意識上は覚えていなかったり、記憶を飛ばしています。辛すぎるから・・)そこに癒しが届いていない間は「実は居るし、在ります」
ただ、ここに非二元のエッセンスを取り入れてみると(悟り・ノンデュアリティー)確かに身体があって、身体という素晴らしい機能を持ったものが見たり・聞いたり、そこで体験が起こっていますが、
「私感覚」は確かにあるのですが、身体のどこを切り刻んで探しても「小さな私」とか「米粒ぐらいの人形みたいな私」とかは見つけ出すことが出来ません・・
不思議すぎませんか?
もし、ご興味があれば師匠の溝口あゆかさんがブログなどでも発信されています。欧米の非二元のティーチャーからの情報なども含め、心の仕組み、セラピストとしての言葉から、わかりやすく自我に伝えてくださっていて、私も非二元関連は2011年ごろから学び続けています。
アシスタントなどもほぼ、参加可能な限りお手伝いさせていただいております。
自分感覚=自我=私・・・
いない「私」なのに、「私感覚」がものすごくリアルに、あたかも「私」が居るように色々なものが、衝動が現れているのですが
私がいないとしたら、絶対にいるように見せているイリュージョン、全てが凄すぎませんか?
「私」の紡いでいるストーリー・自我・私感覚にハグしたくなります(ハグする私もいないのですが)
この現れ全てが凄い・・・感嘆なのです・・・。
非二元・悟りだけでは苦しみが終わらないのはなぜか?
実は、この言葉も矛盾があるのですが、本当に「真実」に留まると、苦しみ・ネガティブな感情の所有者がいないし、悩み自体も愛しい生命の現れであり、全てが「在って」全てが「ない」ことがより見えていることでしょう・・・
「分かっている人」「見えている人」もいないので、言葉の限界はありますが・・・
もし、何かしらの苦しみや、悩みがあればそれは「私」または「私感覚」が【自分のものとして感じているため】、自我の癒しは必要になります。
非二元の観点から見ると苦しみ自体も「在る・現れている」ものであり、それは最初から「ない」ものでもあります・・(所有する私がいない・不在)
自我の癒しが進み、ここでの「私のもの」が減れば減るほど、自由になります。
そうです・・・ありとあらゆる事象、現れに関しての捉え方・見え方が変化してきます。(ここも言語では難しいのですが捉える人・観ている人がいない。私もいないのですが、それがどういうことかが見えてくる。→見えている私はいない)
非二元に関しては師匠に聞くのが一番なのでこの辺で終わりますが
要は「個の癒し」「自我の癒し」「私感覚へのワーク」と非二元のアプローチが真実に近づき、苦しみや悩みから完全に自由になれるとつくづく感じます。
自我の【完全なる解体】に近づくほどより自由になります。
まずは「自我=私」の癒しから
ブログもほぼ
【自我についての私がいる、私が存在していて「私の苦しみ」としての観点】で書いていますし、セッションはまずここから始めていきます。
癒しが進んできた方には頃合いを見て
「非二元」のアプローチを取り入れたセラピーで真実をセラピーの中で感じてもらったり、自然に真実を見る瞬間が起こります。
自分自身もこのアプローチなしでは、大きなトラウマワークなどは乗り越えるのが難しかったかもと感じています。
でも、まずはどれだけ沢山の「私の癒し」に触ったかもポイントです。
※バイロン・ケイティーさんやエックハルト・トーレさん、アジャシャンティーさんなどの本やYouTubeもお勧めですが、日本語で、自我に分かりやすく何度も伝えてもらえるメッセンジャーとの繋がりは大切だと感じます。
「私がいない」という知識や情報で納得することは本当の意味での自由から遠くなってしまうし、拗らせてしまいます。自我を抑圧の蓋で(非二元の知識の蓋)抑えている状態に陥っています
(完全なる自由・ラクな感覚があるかどうかを目安にされると良いでしょう。悲しいかな、自分は誤魔化しきれません・・)
※実は私が何度も上記に陥っている経験者です・・笑。こうして繰り返し、繰り返し、自我の癒しとの両輪を続けております。
今回は訳の分からない内容だったかもしれませんが、要するに「私の癒し」をいっぱいしていきましょうということでもあります。そして・・行き着く先に「真実」がある・・というか
すでに真実(愛・赦し・全ての受容)のなかで苦しんでいたんだ=私のものではなかったということが見えた時=「自我」からの解放
きっと今までの私=自我では味わえない安堵が現れてくるでしょう・・♡
※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています。
▼関連おすすめ記事
▼心の仕組みについて関連リンクはこちら