【お客様の声:テーマ】
【年齢:職業】20代後半:中学校教師
両親も、親戚も公務員が多い家系で、小さい頃から公務員になれと言われて育ってきました。姉も公務員です。小学校の教師です。新しく配属された学校で初めてどうしても馴染めない先輩が出てきました。そこは今までの学校とは違い、先生同士の派閥も強く、最初に私がその先生の派閥に入らなかったからか、何かにつけて厳しい指導が入ります。
私自身は気を遣うタイプですが、今回の職場はことごとく上手くいかず、その先生は力があるのでその人に嫌われると本当に職員室は地獄です。「もっと積極的に動かなきゃ」「いつまでも学生気分でいたらダメよ」「私たちは体育会系だから」
リーダー的な先生にみんなついて行っているのですが、私はどうも「使えない奴」「気が利かない奴」としてみられている気がします。でも、自分でもこの人に認めてもらうことが難しい気がして、このままですと休職に追い込まれそうです。どうしたらいいでしょうか?
【セッションを終えて】
今までの学校とは雰囲気が違い、最初からつまずいてしまった・・・もう、ここでは無理かなと感じていましたが、そもそも、私がどう言った心の仕組みを持っていたかを探していただきました。実は当たり前のように選んでいたこの職業も「家族」から孤立しないための選択だったこと、そして家の中で自分が常に浮いていて、馴染めない感じを持っていた姿が出てきました。
姉はとても上手く行っているように見えたし、両親の期待に応えているように見えたし、姉のように生きれば、私も認めてもらえるし、ここの家に居てもいい感じがあったことは、セラピーをして幼い私の声を聞くまでは気がついていませんでした。あまりにも「当たり前」すぎることは気づきにくいですね。
家族・社会から本当は孤立している私・・・と本当は自分が自分のことを見ていたとは驚きました。だから「公務員」になること、教師という職業は私にとっては「社会」「家族」に受け入れられている証拠として必要だったわけですね。友達に相談しても、私が本当に悩んでいる深さでは誰も気づいてくれないし「贅沢な悩み」とか「優秀な家系でいいね」とか、どこにも救いがなかったのです。どこにいても不出来な私がずっといました。
彼にもこの部分では本当には分かってもらえていない感覚は、認めたくはなかったのですがありました。彼も親が気に入る人、家族が認めてくれる人基準で選んでいましたし、「私が不在」のまま大人になった自分をセラピーで感じた時に、私という人が本当に可哀想で、どうにか救ってあげたい気持ちが初めて自覚できました。ずっと自分は抑圧してきました。とても怖かったのです。
今回の最初のテーマの先輩との関係云々から、自分がずっと自分を抑えて、不在で生きてきた私が抱えていた「本当の声」を聞いてあげることで、初めて自分の今までの行動、選択が理解できました。そして・・・「私を見て!」と私に言われた時に、涙が止まりませんでした・・・。それはやっと私が私と繋がれたほっとした涙でもありました。
自分を見つめるとは奥が深いです。必ず全てに健気な理由があるということが初めて腑に落ちました。引き続き、長年抱えていたものですので丁寧に寄り添っていきたいです。ありがとうございました。
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