皆さまこんにちは♩
人間関係、家族などとの関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など、ドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方のお悩みを聞く側に自然に変化した心理セラピストの浦松ますみです。
今日は自我の基本的な動き、仕組み、反応をもう一度おさらいしながら、自分のテーマがここから観たときにどんな意味を持っているかを掴む練習をしましょう。
観る力が付けばつくほど、自我が「自分を良くする運動」「成長できる運動」「正しく生きる運動」に基づいた動きをしていることが見えてきます。
これが上手くいけば安心しますし、上手く行かないと不安、恐れ、取り残された感じ、社会で居場所がない感じ、お荷物の私・・迷惑を掛けて嫌われている私など・・
色々な私が生まれて来ませんか?
透明な目を持つとは?
透明な目=投影が無い視点=視野が広い目線=ジャッジなしの目線=・・などなど
この一切の「解釈・思い込み」を持たずに何かを聞く、感じる、観ることがどのぐらい難しいか、じっくり留まったことはあるでしょうか?
自分では「そうしているつもり」でも、実は自分の投影の中で「無色透明な自分」になった気持ちになっていたり、数分間はその目線を持てても、すぐにきっかけ(刺激されること)があれば、投影を持っている普段の自分として反応したり
とにかく「身体レベルで」持っているので(感情がくっついている)、反応として出てくることはむしろ健康な反応ができている私であるとも言えます。
投影は悪いこと、ダメなこと、偏っていることという意味ではありません。
全人類、もちろん私を含めて全員が何らかの投影の中で生きていますし、自我=投影なのです。自我から自由にならない限りは何らかの投影の中で「正しさ」「大丈夫感」を求めて頑張り続け、どうにかサバイバルを乗り越えるのが健康的な自我の活動なのです。
投影が軽いケース・重いケース
私たちは実は凹凸があって、どの自我にも「軽やか」な投影と、「重たい」投影が混ざっています。
そして、割合も人それぞれで「軽い投影が80%」「重い(苦しい)投影が20%」の方もいれば、逆もありで、本当に「その人そのもの」を解体して詳しく観ていくことが仕事なので、実体験としても本当だと思います。
セッションでは「投影の重たい・苦しい」部分を観ていくため、どうしてこの方は本来であれば違う反応もできる人がいるのに、今、この訴えをしているのか=どうしてこの反応が強く出ているのか・・?
この視点でまずは相手をお話を聞きます。自己ワークであれば、どうして自分がこの視点でしか反応できないかを観ていきます。
ただし、よく考えると、「その自分が感じている感情や思い」は自分の投影からの真実ですから、この自分の真実を綺麗に横に置いて自分を見ること自体がかなりハイスペックな事になります。
色々なケースの例
自分が気付かず参加していない時間、2時間の間にグループラインで200以上のやり取りがあり、とても盛り上がっていた。これを全部読むのも大変だけれど、すでに新しい計画が決まっていて、みんながとても楽しそうだった。
A:私が既読していないのに、すでに計画が決まり、私の意見や好みは全く関係なく進んでいる・・・みんな私なんかいてもいなくてもいいんだ・・。それに、盛り上がっている事自体が何よりの証拠。私が車を出す、交渉するときには私の方を観ているけれど、まるで透明人間のようだ・・悲しい・・みんなを信じていた私は愚か、馬鹿だ。
B:みんな、行動力があって、本当は自分たちで何でも決めれるし、私がいつも車を出さなくても大丈夫だった・・!良かった!私はこの計画に乗るだけで楽しい時間が過ごせそう。ラッキー!みんなそれぞれの得意分野が集まっているグループだった!嬉しいな。
C:きゃ〜、この日、この時間は私は用事があって外せない・・でも、途中参加、途中で抜けても大丈夫だから、そのようにして参加したい!丁度、私もいつかは行きたかったし、いいきっかけだ〜。良かったらまた別日に誰かを誘っちゃおう!(一人でもいいし、誰かでもいいや)
などなど・・
色々な人がいるし、色々な解釈=反応はあるはずなのですが、どうしてクライアントさんはAの反応だけが色濃く出ていて、しかも絶対真実として感情の渦にダイブしているのかを観ていきます。
普段、私たちはAの気持ち、Aの反応を共感することや、その話を鵜呑みにして、そこから「こうしたらいい」「あぁ言えばいい」を探しています。
まずはAの声に乗る前の準備運動として、こういったバラエティーに富んだ反応があることを前提に観ていきます。
※因みにAの反応が悪い、ダメ、だから変えなきゃではありません。
Aの反応の持ち主はどんな私?
Aの声を訴えている自分が心の奥にいるとしたら・・・その人はどんな表情、どんな姿勢、どんな場所で切々と訴えているでしょうか?
ちょっと胸に手を当てて、タッピングなどしながらでも良いですし、フォーカシングのように、落ち着ける身体の場所に手を当てながらじっくり「身体」に聞いてみましょう。
思考に聞いてもいくらでもコメンテーターが無数の声を言ってくるので、そこは一応聞いてあげながらも横に置いて、身体の声に集中します。
身体の声=潜在意識
頭の声(思考)=顕在意識
こう言った傾向があるため、頭の声を無視しましょうとかでは無いですが、まずは身体を感じながら身体が声を持っていたら何と言っているかを時間をかけて探ります。
身体の声は深いほど、実はシンプル。長々と説明したり、難しい言葉を使うというよりは、シンプルだけれど、とてもその声の持ち主を表している事が多いです。自分でも「しっくり来る」のでわかると思います。
また身体の声は何度も変化してもOK。
フェルトセンスは微妙な声になる以前の「こんな感じ?」「こういう感じなんだけれど・・でも・・」といったニュアンスであり、ここをしっかりと拾えるほど、シンプルだけれど「腑に落ちる」「辻褄がぴったり合う」声が出やすいでしょう・・
声の持ち主と声が掴めたら・・・まずはそれを観ている、理解している私はどんな感情や衝動でこの人を包んであげたいでしょう・・
ここから深い癒しが始まります。
※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。
あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。
提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)
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