なかなかラクにならないメカニズム

【なかなかラクにならないメカニズム18】コアな私はどんな私?

こんにちは♩

家族、人間関係などで生きることが辛く、依存症・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方とセッションをするまで変化した心理セラピストの浦松ますみです。

今日はなかなかラクにならない時の気づきたい場所・・それがそもそもの自分のコアなアイデンティティーを掴むことが自分癒しのプロセスでとても大切であること・・

ここを一緒に見つめて行けたらと思います。

思考のぐるぐるVS表層の症状の下にあるものとは?

例えばこのような例があるとします。

 

顕在意識:

女性はいつも損をする・・・私の母がそうだった。最終的には父の言いなりで、自分の意見は通せなかったし、所詮、食べさせてもらっているし、一家の長には逆らえない。自由になるとしたら一切、父親の世話にならなくても大丈夫になった時しかない。

ここにまつわる数々のエピソード、その時の感情、その時のイメージ・シーンを思い出して色々またエピソードを増やし、さらに「でも・・・父親に逆らえないのは当たり前だし、もう母もずっと諦めている」「従ったふりをしておけば安全」など顕在意識レベルでの解決方法を一生懸命探し、唱えます。

ここで本当に自分の心が平和であれば、それは全く問題がないですし、ここのレベルでも十分に自分の安心・安全を感じられるケースやそう言った方もいらっしゃいます。

自分の土台がそもそもが「安心・安全」から作られている場合などは、本当に1〜2回のセッションでスッキリは良くあります。

 

コアな私が健康的な方のケースの例

母がずっと諦めていても→私には力があるし、母を助けられる。父も母にしか威張れなくて可哀想・・・きっと会社でも辛いのね・・。

従ったふりをしていても→私自身が無力なのではない。相手をコントロールする必要が全くない・・・などなど・・・

コアな私=自分を作り上げている土台とは?

このケースですと、彼女がまだ小さい頃は当然ですが力では父親に勝てるはずもなく、小言が多い母親と違い、滅多にはなかったのですが、時々、馬乗りにされて全く体の自由を奪われた感覚を覚えていたり

叩かれた時の身体のショック・痛みを覚えていたり・・・

常に「誰に食べさせてもらっているか分かっているか」など言われ続けていたり

家のボスとして動物でもそうですが、ボスに気に入られないと、認めてもらえなければこのグループ、家族のなかに居場所がなくなる怖さなど・・・

またこういった方ですと恋愛のパターンも影響があり、相手が権力者と感じると「言いなり」にならなければと無意識レベルで感じるため、自分が望んでいない行為などにも普通のフリで応じるでしょう・・・

いつも男性の生贄になる・・・この方は完全に深いレベルで「無力感」を感じ続けていました。

知識で知ってる「無力な私」との違いは?

書物・講座・もちろんセッションやカウンセリングでも・・・

まずは頭の理解が全くない状態と、「知っている」状態では当然、知っている方が良いですが、こう言った「コアな私」「自分のアイデンティティー」「自分そのもの」を変容させて緩めたり、安心・安全を感じてもらうためには

身体を感じてもらいながら、頭の知識を超えた「体感覚」「潜在意識レベルの感情」を探していきます。

潜在意識レベルの感情と、顕在意識で知っている感情はまず実際に経験しないと分からなくて当たり前ですが、冷静に、理解できる感覚から、身体が震えたり、身体から湧き上がってくる感情を文字通り「経験・体験」します。

顕在意識との違い

顕在意識で過去の辛い思い出を思い出して「涙が出る」のと潜在意識からの気づかなかった想いや感情で「涙が出る」のは質が違っています。

同じそれが「悲しみ」だったとしても、同じ「怒り」だったとしても、体感覚を伴った気づかなかったレベルでの感情は自分に対しての赦しや受容が入ってくることが多いです。

まずは顕在意識から「無力な私」を知り、徐々に感じたことがなかった視点での「無力感で一杯でいるしかなかった私」を感情レベルで感じていきましょう。

ここはセラピーが有効ですし、セラピーとともに気づきの問いかけを掛け合わせながら進めていくことが多いです。

セラピーも一種類ではなく、その場に合わせたものを混ぜながら使っていくことが私の場合は多いです。

コアな私との対話が「癒し」そのもの

コアな私は「アイデンティティー」であるため、ここがどれだけ苦しくても、今まで「私」として守り続けていた姿であるため、ここが変わってしまう・・と感じると、大抵色々な形で抵抗が出てきます。

「私、本当に変わってしまうんだ」「私、本当に辛くなくて良いんだ」と感じるとき、これを望んで、それこそ時間とお金をかけて取り組んできた癒しのはずが、足踏み状態に入ることもたくさん経験してきています。

私自身も、クライアントさんの癒しのジャーニーも、共に同じです。

苦しくとも、嫌っていても「私そのもの」を守るために、サバイバルに潰されないために、苦労して、泣きながら頑張ってきた「私」を手放すなんて、簡単なことではありません。

コアな私に伝えたいこと

「今の私そのものが悪いから変える」のではなく、「より軽く、安心・安全に存在できるため」にケアしていること。繰り返し、繰り返し、何度でも伝えていきます。

同時に今までの「私」の苦労を労いたいから対話して、理解していきたいと思っていることを、コアの私に伝え続けながら、この「受容の場」で心の声の対話を進めて行っています。

同じテーマに何回も行き着くこと=コアに近い、コアそのものの大きなテーマ

沢山、関わることが相応しい場所なので、逆に上手く行っているという見方もできます。

自我の解体=私からの目覚め

自我の解体=私として頑張る必要がない究極の安堵

自我の解体=真実への視点へシフト

自我は「解体しないで」と叫びますが(コアに行けば行くほど)、その先にあるのは真の平和。自我の存続では体験できない真の安堵。究極の安堵。

非二元と癒しは本当に仲良しです。

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。

あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。

提唱されている「インテグレイテッド心理学」は全てのベースになっています。

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