なかなかラクにならないメカニズム

【なかなかラクにならないメカニズム21】自分の内側を観ることが怖い

皆さまこんにちは♩

家族、人間関係などで生きることが辛く、依存症・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方とセッションをするまで変化した心理セラピストの浦松ますみです。

オンラインショップで買ったお菓子が美味しすぎて・・1日で体重が2キロ増えて、落ち込んでいるところです・・笑

自業自得なのですが振り返っても「え〜〜(たった)これで??」と事実を受け止められていません・・笑

今日はこれまたよくあるケースなのですが、セッションを受けている方の中では「早く深いところにいる自分を(ちゃっちゃと)癒して、ラクになりたい」と思っているのに

進みが悪い、または本当はこう感じているのに違うことを勝手に口がしゃべっていて、違う話題へ持って行ったり・・・

深いところには受け止められない事実があるんだと自分が推測し、これ以上が怖すぎる場合など・・

色々なケースを一緒にご自身に当てはめて見ていきませんか?

 

YouTubeやブログをそのまま信じてしまっているケース

今は情報はさまざま溢れかえり、いつでもスマホで調べる事ができる反面、その情報が何を意味しているか、自分にどんな風に当てはまっているかを判断するのが「読んでいる自分」しかいないため、

純粋になんの疑いも持たずに「そうなんだ〜」

変に自分のネガティブなセルフイメージを育てている場合や、憶測、分析で自分はこうなんだと決めてしまって一時的には納得いくのですが、感情はそのまま蓄積されて残ったままのケースなど・・

相手が自分が尊敬している人、信じている人であればある程、そのまま「そうなんだ〜」と自分の中に取り込みますよね。

でも・・・当たり前なのですが、同じ人からでもAのケース、Bのケースで全く違う反応をする場合や、Aさん、Bさんが似たような状況を経験しても存在そのものが別なため、反応が違います。

人の心は本当に超、超、複雑でその度にきちんと「何をどう感じて、どんな意味づけをその出来事や相手に持ったか」その結果「どんな感情を身体に取り込んでいるか」など・・

毎日、毎回が「新しい発見」の連続なのです。

そして、潜在意識の深いところに行けばいくほど・・一見見たくない、知りたくなかった、無いことにしたい自分の姿が見えてくることも確かにあります。

が・・・

この姿が「どんな理由や経緯でこう存在するしかなかった姿」なのかを、【ジャッジなしで、】→当人がジャッジなしで見ていくことが難しいのもポイントですが・・

ただ何が起こったのかを寄り添いの視点から「教えて」「知りたいの」と探していくことで初めて受容の空間が生まれてきます。

受容の入口とは?

「その姿自体がどんな醜い自分」でも・・・「許せない自分でも・・」そこからそうなった経緯を理解するジャーニーが始まるのです。

例えば、老老介護でさまざまな葛藤の末に悲しい結末になった時、一方的に「加害者」だけを悪の根源として決めてしまい、罰することをするかどうか・・の視点と同じです。

見たくない姿は入り口にしかすぎないから大丈夫

もし、その相当悪くて、どうしようもなく嫌われている姿を見つける作業が癒しだったら・・・絶対に足がすくむし、自分が罰を受けてるようで、嫌ですよね。

この姿はある意味やっとテーマの深い入り口に来た証

この姿はいつも叫び声を出していた私

この姿はいつだって分かってくれる誰かを待っていた私

この姿は絶望し切って諦めていたとしても、内側では泣いていた私・・

想像していた悪い私とは?

「悪くて、どうしようもない私」というのは一方的な分析で見た片方からの観え方だけであり、自分の解釈で決まったままずっと一人ぼっちでいた私であるのです。

私が私を救う

いつまでも別れた彼を忘れられないなんて、私は執着しすぎだとか(よくない私)

面接官の前では非常に受けが良すぎて、実際に働き出すと「違うね」とがっかりされる私は人を騙している私とか(悪い嘘つきな私)

本当は自分が金欠で返品したのに「推しが強くて買わされた感じだ」と店員さんを責める形で返品した私とか(自分を正当化するのに必死な私)

私たちはどこかで自分を責めて、自分が自分を許していない、自分が自分を見張り続け、この行動はよかった、この発言は良くないなど・・・

常に自分をジャッジしているところがありませんか?

これが起きているだけ

私たちの行動・言動は全てちゃんとそれなりの「観えないけれど、ちゃんと仕組み上の正当な理由」があるのでそれが人生に表れているだけ。

それを表面上の「行動・言動だけ」を切り取って、こういう人は危ない人、受け入れてもらえない人、邪魔な人など決めてしまうのはあまりにも自分が可哀想です・・。

厳しい自分の視点で、分析し、決定して刷り込みを続ける前に、自分だからこそ、経緯や細かい見落としていた心の中の声を聞いてあげて、ジャッジから外れた視線で自分を理解していくことが自分を助けることでもあります。

 

言い換えれば自分と真っ新な眼差しで繋がる、自分を理解して抱きしめる、愛するなどなど・・

これこそが癒しそのものという感じがしています。

必ず健気な自分が見えてくるから大丈夫

憶測で決める前に・・・分析で決める前に・・・

どうしてその私になってしまったのかという「気づいていなかった理由・経緯」をまずは聞いてあげませんか?

ある方は自分が飼っていた大切な自分そのものであるようなワンちゃんの寿命を伸ばすために、苦しい治療、苦いお薬、通院・入院を強いてしまった後悔、自責の念で苦しんでおられました。

●「すごく自分勝手でエゴであの子を苦しめてしまった私」

●「あの子のいない生活が耐えられない弱い私」

●「どうして早くラクにさせてあげられなかったの?」

罪悪感と後悔と、その子の遺影をみたり、外でいつもの散歩仲間を遠くに見た瞬間に胸が苦しくなっていました。

丸印は全部「自分が(勝手に)分析し、決めた自分像」なのですが、これが真実としてそのかたの身体の中心に居座り続けているため、きっと時間が経っても、この私はこのままでは消えないでしょう・・・

でも、ここをしっかりと観ていくと・・・あの子を失いたくないという声はどれだけあの子を忘れたくない、特別な存在と思っているかの愛情でもある事が見えてきました。

隠されていたもの

罪悪感(という名前で呼んでいた感情、エネルギー)=愛情(という一つの形でも間違いなくあること)

苦しんでいる自分=どれだけあの子を愛しているかという自分でもありました。

そして一切の罪悪感や後悔がなくなる事=あの子に対しての愛情が薄い私、思い出を忘れても大丈夫な私になってしまう(だから、罪悪感や後悔の苦しみを手放したくない)

こんな一面も見えてきました。

怖がらずに、ジャッジなしで自分を見て行った時に出てくる健気な経緯に出会った時に、そこで起きていた全てを本当の意味で受容できるでしょう♩心配しなくて大丈夫です。

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。

あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。

提唱されている「インテグレイテッド心理学」は全てのベースになっています。

Googleさんからの良く読まれている記事としての紹介

【保存版】「境界線を引けるため」の大切なポイント

「トラウマ」と「依存症」の関係

【バウンダリー(境界線)】の正しい使い方

【バウンダリーとアサーション】自他に優しい健康的な人間関係


心理カウンセラーランキング