なかなかラクにならないメカニズム

【なかなかラクにならないメカニズム77】自分の根っこを安心に変えるとは?

皆さまこんにちは♩

人間関係、家族との関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、長年の職業も変わり、年間1000名の方のお悩みを聞く側に自然に変化した心理セラピストの浦松ますみです。

今日は自我が直ぐに求めてしまう「状況を変えること」の意味と、本当に自分が大丈夫になるための「根っこの安心」の違いをお伝えしようと思います。

例えば・・鬱っぽい時、または気分がどうしても落ち込んで笑えない、人生が楽しめない、灰色に見える時、希望が見出せない時など「どうしたらいい?」と思いますよね。

大切な誰かを助けたい時も同じく・・「何をしてあげられるかな」

本当の意味で「どうしたらいい?」はどこをどんな風に安心させている事なのかを心の仕組みから見つめていきましょう。

根本的な心の仕組みを知る

私たちは、何か困ったことや、避けたいこと、悩みを解決したいときにまず最初に自動的に出てくる言葉は何でしょうか?

口からでも、頭の中でも・・どちらでも良く使っている言葉の一つに「どうしたらいいだろう」

思い当たるところはないでしょうか?

客観的に観察すると・・

どうしたらいいかという「やり方」「解決策的行動」は実は心の仕組みから見ると、虫歯がかなり侵食しているけれど、表面に出てきている「症状」をどうしたらまずは抑えられるか・・という視点と同じなのです。

もちろん「痛み止め」は場合によっては一番欲しいもの。

まずは何とかして一息つくために、冷静になれるための痛み止めとして用いるのは必要でしょうが、あくまでも痛み止めなのです。

薬の効力が切れたら「虫歯自体は存在したまま」

痛みはまた出てきますし、キッカケが強ければ前よりも強い痛みとして出てくることもあるでしょう・・・

見ていきたいのは「虫歯の痛み」を作っている根本の状態そのもの。

 

どうして痛いのかという理由がわかっても「虫歯」が口腔内にある限りはずっとビクビクですよね。

私たちの心も同じで、どんな思いがあって、どんな心の痛みがあるからこの症状としての状態が表れているのかを探します。なので「どうしたらいいか?」は痛み止めのイメージとして捉えてみましょう。

状況を変える=行動を変えるとは?

私も小学生の頃、どうしても苦手な女子がいて、その子とは小3〜小6の間4年間一緒でしたが、「クラス替え」すればいいとか、少し休んでその子のことを忘れてのんびりすればいいよ・・というアドバイスは

一見、自分にとって良さそうな案だったとしても「この子が苦手」な私はそのままですよね。→ここに気付きましょう

鬱の人に「会社を休めばいいよ」「少しのんびりして旅行でも行ってみれば」は確かに煮詰まった空気からは離れることが一瞬できますが、根本的には職場や、仕事や、人間関係などに何がしこりを持った私はそこにいるままです。(苦手な物がある私は変わらず、そのまま)

もちろん、こういった時間を持つことで回復できる場合はあります。

それはどんな状況かと言えば、そもそものその人の心の根っこが健康で安心・安全があるケース。たまたま、何かをきっかけに落ち込んでいいたことで、こういったリフレッシュや、誰かが自分の味方であることを身体を通じて感じることができたら

それで十分回復できる人もいます。

意識的に「元気になった」と感じても、また復職して辛くなるとしたら、職場に対しての何か痛みを抱えた自分はまだそのまま「居る」し「原因もそのままある」場合でしょう・・

こういった場合には「状況を変えるアドバイス、行動」はその場の痛み止め、応急処置となり、再びきっかけがあれば、再燃します。(それが悪いという意味ではない)

繰り返す問題や、長年抱えているテーマなどは、根っこからの改善、癒しがマストです。

 

私はどんな自分?=セルフイメージの根本を癒す

先ほどの私の例で言いますと、結果的には6年生の3学期に、4年間続いた彼女との関係が良くなり、親同士も子供からお互いの悪口を聞かされていたほどでしたが、お互いの家に行って遊ぶような仲になりそのまま卒業を迎えましたが

根っこの部分では「好きじゃない相手」「今は良くても必ず裏がある相手」として緊張感を持った「仲良し」のふりをした最後でした。

私の中でその後ずっと持ち続けた自分像は「クラスで必ず孤立する」「みんなに受け入れられない私」など、そういったセルフイメージは大きく人生に影響を与えました。

学校自体の卒業後の生活や、人生の中で周りも大人になり、成長し、表面的にはどの人とも普通に付き合えたり、仕事が営業職が濃かったのでむしろ人付き合いは得意と【勘違い】していましたが

このセルフイメージは本当にその後長く長く私の中に根付いていました。

子供のリトルリーグでのキャプテンの親として活動しなければならなかった時も、PTAの役員をしなければいけなかった時も、ずっとこのセルフイメージは残っていましたし

何か人間関係での苦手な人がいれば、「私は上手く行かない人」としての目線で全てを見て、感じて解釈して、どうにか頑張っていただけで(ただそれだけでしたね・・)

根本はずっとこのままでした。

人間関係は危険がつきもので、いつも先回りして相手が何を望んでいるかを察知して、トラブルが起きないようにが普通になっていて

「一人がラク」と常に思っていました=私の世界観がこの症状を真実にしていただけでした。

私は常に人が怖いし、苦手で、信用出来なくて、なるべく深く関わらない状態のままだったことは今だからわかるだけで、当事者、当時の私はこれを知る由もありませんでした。

偏ってしまった自律神経からの回復=本物の回復

まずは自分ではどうにもコントロールできない自律神経が、逃げるか闘うかという戦闘モードや閉じる方向に多く止まっている状態から、人を信頼する・・とか、人との繋がりに身体ベースでの安心を感じられるまで

自分の中の怖れや不安、ネガティブなものを見ていったことは大きかったと思います。

こうすることを繰り返して、やっと身体ベースの「大丈夫感」が自律神経レベルでも育ってきて、大脳の動きも良くなり、健康的に考え、健康的に見えて、視界が偏らず、さまざまな可能性や発想も生まれ

狭い自分だけの世界から、広がることを経験できたことで、やっと少しづつトラウマからの回復が伴ってきました。

どんな世界観の中に住んでいるからこそ、緊張や疲労感が抜けず、また生まれてくる思考もその世界にマッチしたのであり、より、その目で相手や状況を解釈してしまう循環にはまっていたかが

今だからこそ見えるわけで

本当にここは歴史が長ければ長いほど、言い換えれば「大丈夫」「信頼」「愛」から離れていたか・・という証でもあるので、根気よく自分をケアしていく必要がありました。

徹底的に自分が「無力だ」「小さくて弱い」でも「誰にも理解されない」「守ってもらえない」世界から目覚めることは、人生の大事業ではありますが自分への愛溢れる作業であり、生きる意味を含めた素晴らしい時間になるでしょう・・

結局はここに尽きます♡

本当の意味での狭い偏った苦しい世界からの目覚めには、ある意味知識も必要ですが、一番は「私」という人生の軌跡に愛と好奇心と慈しみと共感を持って、理解したい・・と伴走することだとつくづく感じます。

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。

あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。

提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)

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