なかなかラクにならないメカニズム

【なかなかラクにならないメカニズム76】何者かにならなきゃ病

皆さまこんにちは♩

人間関係、家族との関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、長年の職業も変わり、年間1000名の方のお悩みを聞く側に自然に変化した心理セラピストの浦松ますみです。

私も人生の要所要所で「何者かになろう(今の自分より良い自分になろう)」と何度も頑張った一人です・・笑

ずっと「誰かの役に立ちたかった」私

そもそも、どうしてこんなに生きづらいビリーフ・・・「誰かの役に立たなきゃ、そこにいる意味がない」とか「お前なんか要らない」と言われてしまう・・など

そんなセルフイメージなどを作っていったのでしょう・・

まず、出来事や周りの状況や、相手をどう解釈したかという【自分にとっての自然な受け取り方】や、その出来事の厳しさや、色々な要因はあるでしょう。

自我の基本的仕組み

私たち自我的には今日のこの後、明日が、1年後が安全なのか、此処にいて良いのか、絶対的な大丈夫がない限りは「分からない・確証もない」訳で、常にどこか身構えて、緊張したり、様子を伺って自分の居場所などのサバイバルをし続けています。

将来のためにも準備を無意識レベルでしていることもあるでしょう・・

子供時代の私はどうしたら親の役に立てて、自分が必要とされるか・・、どうしたら親が喜ぶのかは自分のサバイバルの中心だった気がします。子供らしい、私らしい反応です。

将来、何になりたいの?(これからどうするの?)

この言葉は、よく気軽に自分にも他者にも使う言葉ですが、この言葉自体が悪いとか、良いのではなく、どんな意味を乗せて使っているかに着目しましょう。

子供に優しい、存在そのものを受け入れている眼差しで、この言葉を使っている時・・・子供がどんな声を持っていたとしても、「今、それが大事なのね」「今、それに憧れているのね」など、肯定して、応援して、見守る体制で聞いていることでしょう。

また夢自体を温かい目で見守っている自分がいるでしょう・・(実際にそれになる、ならないかは横に置ける状態)

「そんなんで食べていけない」「その職業は昔と違って需要なんてない」「それで一旗あげられるのか?」など

ついつい、子供の将来が心配だったり、先回りしてこの子の安全を願うがあまり、こういった系の思いを(口に出さずとも)持った経験もあると思います。(自分が自分に言ったりも含め)

全て肯定することがいいとか、そう意味でもなく、「今のあなたのままじゃダメ」「今の自分のままじゃダメ」という気持ちが少しでもあるかどうかを眺めます。

 

「◯◯を試してみたい」「〜〜をやってみたい」「純粋に楽しい」「何だか幸せ」

将来それが絶対に得になる、お金になる、自分の身を立てる・・など確証がなくても、

今の自分の中に湧き上がる声を「どんな風に捉えているか」に着目します。

私たち、ずっと競争社会の中で生きています。他者と比較され、自分は同じぐらいか、より他者より優れているかを気にして、それが生きるために必要な大事なことだと教えられてきました。

そろそろ「本当はどうありたいの?」

ここにも留まって声を聞いてあげましょう。

常に「生きがい」が必要な時

生きがい探し、何のために生きているかが見えなくて、苦しくてセッションに来られる方もそれなりにいらっしゃいますし、私もよくこの問いを自分にしていた時期がありました。

やり甲斐や、目標、生きがい・・これを求めている時の自分に着目します。

この時に、うっすら(結構重くかもしれません)今の自分への否定がないでしょうか?そのままじゃ生きる価値がないよ、とか、みんなより出来ていない、今の自分には足りないとか・・・

何にもならない、誰も喜ばないし、認めてもらえない・・

こう言った時に、自分の中で何が起きているでしょう・・・

そこに他者との繋がり感や、社会との繋がり感、自分の中に十分な愛が満タンでしょうか?

心と身体に聞いて欲しいところ

自分の中に他者、社会との繋がり感があれば・・・生きがい、目標はどこまで重要でしょうか・・?少し感じてみませんか?

自己否定を隠すため「生きがい」を必要とする自我

自分のことが嫌いとか、自分を変えたい時・・自己否定が自分の中に大きな時ほど、「目標」「生きる意味」が必要になっていることに気づきませんか?

→今の自分ではない何者かになろうとしている時

実は自我そのものが、基本的には「何かが足りない」「何か怖い、不安」「幸せじゃない感じ」など、感じやすい存在なので、よっぽどベースが安心安全、周りに助けられたり、愛された経験が充分なければ(あっても)

「今よりももっと安心したい」「今よりも充実して幸せになりたい」など思うのが普通です。

「今のままでいい」という言葉ほど、自我にとって「好きじゃない」「落ち着かない」言葉でしょう・・笑(それで普通です)

常に私たちは今よりも「何かを知りたい」「何かを分かりたい」そしてもっと幸せに、もっと安心になりたいと願い、探し続けています。

何かで埋めようとしていますが、もし出来事自体にとらわれず、そこで起きたことを嫌う・否定する、変えようとする力が薄まることができたら・・どんな風な反応や自分でしょう・・

苦しみは「否定」から来ている・・とは本当ですね。そして、苦しい時には愛からも離れていることを・・つくづく感じます。

愛や感謝がそばにある時

自分の中に愛があるなぁ・・と感じられている時に、それが決して上手くいっていなくても、どこかでその不器用で、頑張りが実らなくとも、その自分自体が愛しい存在であるなぁと感じられている時=愛がそこにある時

何者かにならなくていい時こそ、真の安心・リラックスを感じていないでしょうか?

きっと他者もそんなあなたの存在が心地よく、自然に繋がりの中にみんながそもそもいることにも気付くでしょう・・・♡

隠れていた愛に気づくことは、本当にラクですよね。

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。

あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。

提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)

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