なかなかラクにならないメカニズム

【なかなかラクにならないメカニズム88】血の繋がりを超えた家族があっていい

皆さまこんにちは♩

人間関係、家族との関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害などのドン底6年間から抜け出て、長年の職業も変わり、年間1000名の方のお悩みを聞く側に自然に変化した心理セラピストの浦松ますみです。

今日は、私たちの悩み、苦しみの形の一つである家族との葛藤について

「リアルな家族」を超えた自立している者同志の家族があってもいいのでは・・?

の視点で色々書いてみますね。

血の繋がりにこだわり過ぎると疲れませんか?

私たちはそもそも、生まれて初めて出会った、お世話をしてくれて、育ててくれた人々を「家族」として認識し、その人々の想念や常識が道標として、世の中や社会にデビューしていきますよね。

そして、その彼らに特別な愛着を当然感じ、その愛をずっと得たいし、感じられたら安心・安全や大丈夫と言う経験を増やしてくでしょう・・

宇宙ステーションが実家だとしたら、日常は広い宇宙の中で活動していても、「帰る場所がある」「必ず迎入れてくれて、休息や充電をする場所がある」ことは、私たちにとって必須ですよね。

そこでは肉体的疲労や、精神的緊張を緩め、自分を理解してくれて、また宇宙に飛び立っていく自分を笑顔で見送ってくれて・・・は本当に理想的ですが

過去の私も含め、家族との葛藤や、家族との関係から時間が経っても身体が記憶や感情を覚えていて、反応してしまったり(トラウマ)、遠くに離れていて全く今は影響されないはずが、ちょっとしたきっかけでトリガーがあれば、いつでも傷ついた記憶の私と繋がってしまう経験はあるでしょうか?

社会の常識・自分の中での常識やニーズを「観察」する

今まで当たり前すぎて、そこにむしろなんの疑念も持たずに血の繋がりや、最初に出会った社会を「家族」として認識し、そこで愛されないと・・・そこで十分な理解や受け入れがないと・・その人たちと上手く繋がりたい・・と思うがあまり

そこで上手くいかないことが良くないこと、不幸なことと感じ、自分が何か悪いから?嫌われるような私なの?家族にどうしても愛されたい、守られたい、受け入れられたい・・と

そこで色々な健気な努力を無意識に、当たり前にして来ていた私たちです・・しかも、心の穴が埋まるまでのエンドレスで続けています・・・

そしてそれが得られた・・と思うとやっと嬉しさが広がったり、親の笑顔が無意識に自然な自分の幸せだったり・・・そんな頑張った記憶もありますよね。

自然な衝動ですし、これ自体は一つの美しい形だと思います。

今、増えている新しいコミュニティーの形

さまざまな理由から、昨今、新しいコミュニティー、ファミリーの形が各地に増えていることはご存知でしょうか?

勿論、全員、なんらかの形で血の繋がった家族はいるのが生物学的にも当たり前ですが、全く血の繋がりではない同じ思想や、同じ安心感などを共有したグループが移住を含め、実際にできています。

家族単位での集まりや、個人同士の集まりや、そこで新しく子供が生まれ、新しいグループとして、みんなで子供を育てたり・・・

哺乳類としての自然な姿とは?

元々私たちはソーシャルアニマル、社会で繋がって生きていく哺乳類なので、一切、全てから分離して一人で生きるよりは、なんらかの形でのコミュニケーションがそもそもあった方が理にかなっている生き物。

勿論、自分の自由な時間やプライベート、プライバシーは守られつつも、大きな括りではなんらかのコミュニティーの中に存在しているって大切です。

そして、そこでは健康的な助け合いが自然にあり、自分ができることを自然に提供し、各人が自由であるので相手の自由も尊重し出来ることがポイントです。

ここに立ち戻る

誰か権力者がいて、その下で言う通りにしないとそこで生活しにくい・・となってしまえば、生きずらいリアル家族に似て来てしまいます。力のない弱い私のまま、相手に合わせる生活を続けてしまいます・・。(自分は無力・小さい状態)

自立した大人同士の助け合いとは?

健康的な境界線が引けている=相手を尊重し、相手に「イエス」「ノー」の選択を自由に与えることが当たり前ですと、負荷が減り、相手もまた誰かに何かを頼む時に同じように相手に選択権を与えることが当たり前になります。

自分が自由でなければ、相手に自由を与えることは難しい。

自分が自由で居られる=自由とは無責任な自分になることでは全くなく、自分の感情の責任は基本、自分が見るものなのだとナチュラルに分かっていることです。

その上で、「困っているの、助けてもらえる?」と相手に選択権があることを承知の上で頼めたら、相手が断ってもガッカリはしますが、相手を恨んだり、責めたり、怒る気持ちの責任は「自分にあること」が見えています。(これぐらいやってくれて当然という、どこかで感謝のない自分にならなくて済む)

こんな経験はありませんか?

感謝と離れている自分はよく感じてみると、不平不満や、恐れを持った、力のない自分になっていることに気づきませんか?(私の感情の責任をあなたが取って)

血縁にこだわりすぎなくて良い

どうしても「血縁」との関係を自分の理想や安心の形の変えよう、そうあって欲しいと思い過ぎると、それが上手くいかない時に失望したり、相手を怒ったり、恨んだり、自己憐憫に陥ったり・・

自分は絶対に呪われた家系だから、ここから出れないとか、幸せにはなれないんだ・・などいろいろなビリーフを作り、信じてセルフイメージを固めていってしまいます。

勿論、この「こだわり」には理由があるので、その理由を知って、理解して、自分を受容していくプロセスは別件でしっかりとホールドしながら、その上で新しいコミュニティーが見つかると良いですね。

またコミュニティーは一つだけとか、その決めたコミュニティーで何がなんでも上手くやらなきゃとなれば、人間関係自体に常に緊張や疲労感がくっついて行きます。

もっと自由に♡

この分野ではこのコミュニティー、この分野はリアル血縁家族、この分野はあのコミュニティーが心地よく、一番ベストなど、自分の形は自分で決めて良いのです。

それで実際に快く思わない誰かがいて、そこでは居場所がなければ、そこは本当の意味で安心ではないのです。

全部「自分が選んでいい」のです。そして、選ぶ責任は「自分」ですし、その自分が自分に安心を与えるのは他の誰でもないことも含め・・・

なかなか見つからなくてもいいし、お試しで体験していっても良いでしょう・・・

「決めてしまうと」それが上手くいかない時に、自分を責めたり、相手を責めたり、自己否定が増えていってしまいます。「こうあるべき」の姿はあくまでも「そうしたい私がいるんだね・・」と自分が把握しつつ、実際の行動や、実際の経験は「通り過ぎていくものの一つ」として眺められたら・・どうでしょうか?

ただし、先ほども書きましたが「自分のこだわり」はとても大切な秘密が隠されています。なので無かった事にしないし、より大事に見つめてあげることはポイントです。

私も生まれて初めて「移住」を決行しました。しかも・・・感覚で、計画も、確実な何かも無しで・・・笑(以前は確実な絶対大丈夫の確証がないと行動できませんでした)

東京以外でほぼ住んだ事がないし、気候も、周りの生活様式も、夜の暗さも違います。そして、今まで「当たり前」だったものも「当たり前」ではないことをしみじみ感じています。

病院や、タクシーが24時間いつでも自由に捕まえられる・・とか、夜中まで数分おきに電車が走っていて、街灯は明るく・・とか、こちらは(地方)それは不便かもしれません。

でも、くすんだ狭い空や、濁った空気が当たり前なのではなく、同じ空が、同じ空気が、同じ太陽が、同じ雨が・・全く違った生命の大きさとして毎日感じています。

そして、こちらで出会った人々との繋がりに感謝が自然に出てきます。

どこに住もうが、どのコミュニティーに所属しようが・・結局は「私」がそこにいるのです。

常に「私」と言う存在自体が安定していることは最も大切なポイントです。ここがあれば、あなたも私も、どこにいても大丈夫です。

 

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。

あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。

提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)

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