なかなかラクにならないメカニズム

【なかなかラクにならないメカニズム44】ハートの声は分離を知らない

皆さまこんにちは♩

人間関係、自分と自分との関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方とセッションをするまで変化した心理セラピストの浦松ますみです。

今日は良く質問される一つとして「ハートの声の見つけるにはどうしたらいいですか?」

そもそも、ハートの声をどうして私たちが求めるか・・

この視点からハートの声の本当の探し方を掴みましょう♩

自我の視点と、ハートの視点の違い

通常、私たちは気持ち的には「ハートベースで生きていきたい」「ハートに在りたい」と心から願い、一生懸命探している方も、それなりに多いと思います。

そして・・・これは「ハートからのメッセージだ」と掴んだ経験は、それなりに各人が持っていると思います。

一見、これがハートの声か、思考レベルからのハートっぽい声か・・は見分けも難しく、「◯◯って言っていることがそうだ」など、区分も難しいのですが

ハートの声をどこかで求めている理由を見ていきましょう。

ハートは見返りや結果に左右されにくい

もし・・・これはもしやハートの声?

ハートの声の簡単な見分け方の例

それが上手くいっても、結果的に自分が損したり、傷ついたことがあっても、「それをしたかった」私の思いは成就しているのでそれなりに満足や、嬉しさ、満ちた感覚などがあるでしょう・・・

そうなんです・・・ハートは「無償」「純粋」「在ること」「現れそのもの」にジャッジしませんし、否定もしません。

 

そう考えると、大抵の私たちはもちろん自我ベースが多いので、何かをするときに「上手くいくには」「(お金が)儲かるには」「損しないようにするには」・・などから行動した時に

相手が自分の行動や努力をわかってくれない場合には、怒り、嘆き、悲しみ、虚無など・・・色々な反応がくっついてくるでしょう。

もちろん、自我ベースも最高!自我ベースは生産的で、自分の人生を安心に安全に守るためにはちゃんと機能して欲しいものです。

大事なのは「今の自分はどちらで動いているか」を自分が知っている・・・これです。

どちらで動いていてもOK.

それぞれに理由や衝動の起こる意味もありますし、ハートが良い、自我ベースは云々・・・それ自体が「自我の解釈」です。

なぜハートを求めるの?

恐らく・・私たちの全員の中に自然に戻りたい、本質に還りたい・・・そんなニーズが顕在意識上か、潜在意識の中か、または強さもそれぞれでしょうが持っていることでしょう・・・

 

自分を社会の中で守って安心を与えるためには、何かと常に戦ったり、緊張してアンテナを張っていたり・・・

人の目を気にして自分は大丈夫か、変だと思われていないか・・・誰かと比べて劣っていないか、置いて行かれていないだろうか・・・

少しでも、みんなより優れていたり、出来ている感覚があれば、何かを持っている感じが不動であれば(才能、お金、健康・地位・・・などなど)ホッとしたり、警戒を持ち続けなくて良いでしょう・・

※人によっては充分に持っているけれど、いつ無くなるか、いつ誰かに抜かされてしまうかなどで緊張を解けない人もいるでしょう・・

 

苦しい時には「自然じゃない時」「何かが歪んでいる時」「何かが間違って見えている時」

 

それ自体が悪いのではなく、どこでそのような本質・自然なものから離れてしまったかを探してあげて、元に戻してあげれば大丈夫。

トラウマの渦中とは?

トラウマの中にいる方とは、それが何年前であれ、一番自然な状態、本質、ありのままから離れている状態。苦しさの最たるものであるため、長期のトラウマのケアは見ていくところ、アプローチに時間がかかるのはこのためです。(乖離、フリーズが長いため)

ただ・・生きていくための乖離・フリーズ、閉じる方向だったので、これ自体も自分を守る立派な現れなのです。

ハートベースって?

何も警戒や頑張りがない中で、純粋に「好き」「やってみたい」がメインの衝動で見つけたことは=ハートベース=それが上手くいっても、思ったような結果出なかったとしても・・・ガッカリ感や、他者へのネガティブな感情は出にくいと思います。

しかし、面白いことに、自分を守るための衝動が一番のベースでない時には、実は力が抜けていて、一番のパフォーマンスが発揮できていたり、結果的に上手く運ぶことも多いようです。

実は・・・セラピストになりたいと思って勉強をかなりしている人は「セラピストになって、毎月このぐらいの結果を出したい、セッション数は〜〜を・・」と目標を作って達成できないと、自分を責めたり、ガッカリして離れてしまうこともあるのですが

好きだから細々続けてきたら・・自分のセッションを気に入ってきれる人がいるから・・などの「好き」ベースで勉強を続けている方々は、結果的にずっと携わっていますし、仕事的にもゆとりや、ゆるりと本業になる方もいらっしゃいます。

最初からこれ一本でではなく、兼業でも「好きなこと」ができていますし、むしろ兼業だからこそ、ゆとりが生まれています。

いつも結果を重視しなければいけなかった私たち

誰だって「自分のペースで好きなだけ好きなことを」したいでしょうし、小さい頃から習い事をしたら、そこである程度の結果を親に求められたかも知れません。

また、同じ頃に始めた人が上のクラスに行ったり先生に褒められたりしたら・・悲しくなったり、自分には向いていないのかも・・など感じてしまいますよね。

周りの大人たちが「これがあなたらしさだね」「あなたの中にはこんな素敵なものがあるのね」などだけで成長できていたら・・

もっと私たちは今と違っていたでしょう。

競争することで向上したり、比べて研究することで飛躍的な成長を遂げたり、自我も素晴らしい側面があります。

またハートベースでも「より良くするには?」「もっとみんなが喜ぶには?」「楽しみが増えるためには?」など研究や頑張りが必要な時も在ります。

快適で力を感じている時、自我の苦しいストーリーは消えている

悩んでいたり、苦しい時、不安な時は「私」「あなた」「社会」など分離感が強まっているため、自分を守る必要が出てきますよね。

何かが上手くいって、自分自身が力を感じているときは「私が〜」「私が〜」と言う声はどうでしょうか?

私は上手くやれている?私は非難されていない?ここに居場所はある?

この必要がないゾーンに入っている時、他者は消えていませんか?(薄くなっている)

「あなたなんか関係ない」とか「変な突き放し」ではなく、あなたも頑張っているし、私も頑張っている・・「受容がベースのどうでもいい」感じの時には、周りや結果のことは考えていないのではないでしょうか?

そんな時には考えや選んでいるものが相容れない人でも、「あなたはそうなんだね」と認めて受け入れることが怖くないし、だからと言って自分が相手に合わせる必要もないですし

自分を守る必要が消えている時には、他者を意識する必要も薄くなっています。

最高の愛ベースの状態とは?

自分がどう在りたいかをメインに動けるときに、自分は自分に最大のパワーをくれて、愛がベースでの活動に没頭できるでしょう。→だからそう言った意味でも、ハートの声を求めるのは本当に理にかなっていますし、私たちの真のニーズでもあるでしょう。

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。

あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。

提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)

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