皆様こんにちは♩
家族、自分と自分との関係などで生きることが辛く、依存症・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方とセッションをするまで変化した心理セラピストの浦松ますみです。
今日は「結果」から自由になるとは?についてですが
私たちはほぼ、全ての行動に結果を求めたり、期待を乗せたりしていないでしょうか?
これ自体は全く悪い事でもありませんし、この傾向が自分自身や社会にどれだけの恩恵をもたらせたでしょう・・
何かを研究し、目的を持ってそれを得るための行動があったからこそ、私たちがしっかりと守られてきた事象もあるでしょう。科学、医学などの発展もこういった私たちにもともと備わっている自我の仕組みが大いに役立っていると思います。
でも、もし、結果・期待がベースで、それが手に入らなかった時、私たちは何を感じてしまうでしょうか?
全部無駄だった・・・と感じる時
クライアントさんのお話の中でよく出てくる言葉の一つが「全部が無駄だったなんて感じたくない」「過去の全てが意味がなかったなんて耐えられない」「こんなに頑張ったのに・・」
こんな声が自分の心の中から出てきた経験はきっと1回や2回はあるでしょう・・ここにくっついている感情はなんでしょうか?
怒り?悲しみ?喪失感?無力感?怖さ?不安・・?それとも・・・
私たちは本当にここで感じてしまう感情を感じたくないために、ありとあらゆる方法でこれを回避したり、自分を守るための手段を探しています。
特に無意識レベルで自分の命よりも大切に思っているものが壊れる、失われる・・と思ったら、本当に全力で戦います。
そして「負け」と感じる事=全部が無駄で意味のないこととなっているでしょう・・
思考を超えたハートの声とは?
よく、本当の自分を探す講座などで「ハートの声」を探る経験はきっとみなさんの中に多いと思います。
ハートの声と思う1つ:思考の中で作られた「ハートの声」
純粋に、思考ではなくハートだけの衝動で現れるものと、分かりやすく説明のためにあえて分けてみましょう。
思考で作られた「ハートの声」とはどんなものでしょうか?思考が想像したハートの声とはどんな声でしょうか?
因みに思考の声が悪い、ダメという視点を抜いて、純粋にジャッジなしで書き出してみましょう。
例)今年中に絶対にこの試験に合格して、資格を持って就職したい。そして、母を喜ばせ、苦労を報いてあげたいな・・。この就職先は将来も安泰だし、きっと仕事がなくなるということはないはず。父のようにリストラにあって苦労した母や家族を見ると、二度とこのような心配はかけたくない・・。
これはこれで、切実な母を思う気持ち、将来の金銭的な不安を少しでもなくすための、自分が得たかった物が見えていて、全く悪いわけでもないですし、こういった視点で仕事を探す場合も多いと思います。
また資格や、学びも、それらに結びつくようなものを選んだり、それができている自分に誇りや安心を持つでしょう。
ではここで観ていきたいこととはなんでしょうか?
それが上手くいかなかった時、どんな自分になっている?
なんでもそうですが、順調で何も不安がなければ、それがどう言った経緯で選んでいても安定した自分でいられますよね。
思考で探した、想像したハートの声であろうと、「自分が平和な時はそれでよし」です。
でも、思った通りじゃなかった・・やっぱり本当はこれは自分がしたいことじゃなかった・・何か報われない感じや虚しさが常にある・・
こんな時に、きっと頭の中で駆け巡る声は「そもそも、父親がリストラで家族に苦労をかけるから、私がこんな選択をしてしまった」「あの時の母親の嬉しそうな顔に応えようとしたことが間違いだった」「自分が選んだのだ。だから全部私が悪いんだ」など・・
自分責めか、他者、状況責めでぐるぐるしませんか?
では・・純粋なハートの声に従っている時にはどんな反応になるのでしょう・・
ハートは結果を求めない
ハートの声は実は「損得」「人からどうみられるか」「誰かのために役立っているか」「絶対に安心・安全が得られるか」など
意味や結果を求めず、それがしたいという純粋な衝動に沿って、行動することで全てが昇華しています。そこでもう、完結しています。(ハートの目的があるとしたらそれをすること、感じること、感じたままに動くこと。以上。)
結果のための、何かのための意味を持った行動であれば、そこに沿わなければ、何かしらの否定感がくっついてきます。
自我は(通常の私たち)ほぼ「自分にとって安全か、安心か、怪我しないか、悪いことが起きないか」が装備されているので、結果はどうでもいい・・という状態とはかなりかけ離れています。
自我にとって、結果はとても大事なものになっています。
この結果で自分を肯定したり、否定したりしています。安心したり、不安になったり、将来に希望を持ったり、お先真っ暗になったり・・
自我の仕組みはとても生きていく上で大切ですし、一生懸命、自分に良かれを選び続けようとしています。
ただ、ハートの声は「無条件にただ、それがしたい」。以上。なのです。ここが大きな違いで、したかったことをしていること自体に無常の喜び、嬉しさ、輝きを感じて、そこで完結し続けます。
自我から見ると「それは理想だけれど・・」「そんなことばかりしていたら・・」そんな声が聞こえてきそうな気がしませんか?
そして、一見、無駄に感じたり、できなかった自分を否定したりする可能性があります。
ハートの声は自我にとってはある意味「保証がないもの」=「安心を必ず得られるかわからないもの
なので「自我」がハートの声を肯定できること自体が、非常に普段の自我活動とは違うものなっています。
愛があってもお金がね・・とか、なんと自我らしい発想なのでしょう・・笑
愛する人がいる、私がその愛を体験している・・に留まってそこで既に幸せ感覚や、感謝があったらとてもラクですよね・・
私は自我の声も、ハートの声も立ち上がるエネルギーの質がこんなに違うのですが、どちらも愛しい声に聞こえてきます。
ハートの声がいい、正しいも、全くただの自我の解釈です。
安心を増やして健康な自我を育てる
結果がとても悲しい物だったり、傷つくような物だったとします・・
一生懸命頑張ったのに・・・こんなに時間やエネルギーをかけたのに・・絶対譲れない物だったのに・・
この時に、傷つきすぎた自我だったらとても耐えられないでしょう・・
ハートベースで生きていくのに、一つ必要だと感じることは「健康的な安定感のあるデフォルト」が自分の中にどのぐらいあるかは大きなポイントです。
100%全てが満ち満ちている、安心が永遠に続くという保証は平等に誰もないですし、人生のいろいろな出来事で一喜一憂しながら生きているのが健康な私たちとも言えます。
もし・・そこに恐怖や不安があったとしても、そばにあるささやかな愛や平和を感じることもできていたら、真っ暗な闇の中にでも明かりを灯すことができます。
喜怒哀楽を充分に感じられ、今、自分を通り過ぎる感情たちと充分な対話や誰かとのつながりがあれば・・きっと自然に「ハートベース」の人生が増えていきます。
今、結果や意味をどうしても求めたい自分がメインの場合は、先にまずは「求める事」=「自分の中の愛の飢え」や「切実な理由のあるニーズ」を満たしてあげましょう。
利他が出来ている事もそうですが、自分の中が愛が充満してくると、自然と結果や意味よりもその瞬間瞬間の愛を味わっている自分になっているでしょう・・・
きっと・・・愛を生きるってそんな感じなのではないでしょうか・・
※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。
あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。
提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)
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