なかなかラクにならないメカニズム

【なかなかラクにならないメカニズム85】事実と自分の価値観(解釈)

皆さまこんにちは♩

人間関係、家族などとの関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方のお悩みを聞く側に自然に変化した心理セラピストの浦松ますみです。

今日はある方の記事を読みながら、とても大事な事でもあるし、伝え方が上手で分かりやすい・・と感じたのでシェアしたいともいます。

環境活動家であり、社会問題や自己肯定感について発信されているTakahisa Taniguchiさんの記事から

事実と自分の価値観が普段、どんな風に区別されずに混ざっているか、そして自分の価値観が正しいになり、自分の正しさ以外を知らず知らずにジャッジしがちなこと

ここを、例を用いて見ていきましょう。

スウェーデンでは小学校の教科書に・・!

なんと、スウェーデンでは小学校の教科書に「事実」と「価値観」を区別することはとても大事です・・と書かれているそうです。

これはどういう事かと言うと

例)日本の年収の中央値は399万円(事実)統計上の数字

だから、これより下は負け組。馬鹿にされる。劣っている。(自分の価値観)=(自分の解釈)

私たちは常に「事実」と自分の価値観=自分の解釈をごちゃ混ぜにして、自分の価値観をあたかも正しいことのように感じ、その正しさで相手や社会を見たり聞いたり感じています。

またそれに正しいか、間違っているか、得するか、損するか、かっこいいか、情けないかなどジャッジしている・・・

もちろん、「これはあくまでも私はそう思っているだけで、あなたはどう思う?」など一言、加えながらの会話がナチュラルに出て来る人もいますよね。

この一言があるかないかで、相手は「自分の意見をちゃんと尊重してくれている」「自分は相手の価値観にジャッジを受けていない」と感じ、それぞれがお互いに自由でいられる感じです。

いろいろな価値観は自分を豊かにしてくれる

もし、世の中が、全部自分と同じ価値観で、その考え以外が皆無だったら・・少し想像してみましょう。

争いや喧嘩は減るでしょうが、なんともつまらなさや、新しい世界が広がる・・とかはないですよね。自分はAと思うけれど、あなたは〜〜だからBと感じるんだね・・という考えの違い自体は、決して悪いことではなく

むしろ、豊かな発想や、自分だけでは得られないものを見ることができますし、「創造」と言う視点からではとても大切。

ではどんな時に嫌な気持ちになったり、自信を失ったり、自分をダメだ・・と感じてしまうのでしょうか?

自分と違う価値観の押し付け

先ほどの例ではないですが、昔の親(今でも同じでしょうか?)などのお悩みの相談に、親からの価値観の押し付けで苦しかった・・と言うテーマもかなり多いです。

親が就かせたい職業や、進路。自分がやってみたい進路やなりたい職業が年収が低いとか、または年収に結びつきにくいなどの相違があると、子供という立場上、親に説得させられてしまったり、自分を押し通しけれど、のちのちすごい苦労だけして、自分は上手くいかないのか・・など

また親だけではなく、友達の一言や「それってみっともない」などもあっという間に自分のパッションが消えてしまったり、相手に怒りを感じたり・・・

誰かの価値観を強く勧められて、夢を断念したり、自分が自分の信念を守ることに自信がなくなったり・・・

自我の特性

私たちは自我の特性として「他者と比べる」ということを無意識に自然にしていて、比べて同じぐらい・・とか、少し上、または人によってはかなり上であれば安心したり、自分の選択が正しいと感じることができます。

他者と比べて自分が「下」の場合は、焦りを感じたり、劣等感を感じたり、自己卑下、またはそれを感じたくないから逆の行動をしたりして、「明るい自分」「出来る自分」「すごい自分」として振る舞ったり、まるで気にしていないかのような行動をしたり・・

私たちは元々、自分の安心・安全は自分が創れたら一番いいのですが、自信がない時などは、また比べた時に良くない結果を感じると、他者からの価値観に知らずに巻き込まれ、自分が自分を否定したりするようになってしまいます。

思い当たるところはないでしょうか・・・?

ジャッジは相手を大切にしている?

私たちは殆どが、きっと相手から「あなたってこうだよね」と決めつけられることに対してそれが自分の見方と違えば、反抗したり、言い返したくなったりしませんか?

それが自分が何もいうことないほどピッタリであればともかく、「そうじゃないのに」「ここにこんな理由があるんだよ」と伝えたくなりませんか?

でも、あまりにも挫折感や、どうせ言っても無駄だ、人には自分の気持ちは伝わらない、結果が出ていないのに言い返す資格がない・・などビリーフとして出来上がっている場合、また、出した時に、誰かに非難されたり、笑われたり・・などあれば、そのまま自分の感情や思いは外に出さずに、身体や自分のフィールドに残って蓄積されています。

抑圧(落ち込み)の増え方

そうした蓄積が増えていくほど、抑圧が増えているという意味なので、ストレスとして自分が落ち込んだり、やる気が出なかったり、よく眠れない・・などの症状として現れます。交感神経も「閉じる方」が増えていくでしょう・・

ストレスは目に見えないですし、取り出して見せることもできないので、相手の価値観で「そのぐらい、みんな持ってるよ」「それは大したストレスじゃない」「こうすれば大丈夫だよ(でも自分はそれではラクになれない)」と言われてしまうと

その後には何も言えないですし、自分が自分に「そんなものかも」など思うようになり、ますます、無自覚のストレスが蓄積されていきます。

自分が自分をジャッジしてしまっても・・・相手からの愛のないジャッジをされた時も・・・ともかく私たちはとてもストレスを感じます。

人と違うことに罪悪感を持つ必要があるかどうか

そもそも、みんなと同じが良いこと、人と違うことは変なこと、ダメなことと言われた経験はないでしょうか?

特に日本の教育現場(昔はそうだった気がしますが)では、親も◯◯ちゃんはこれができたのに、あなたはどうしてできないの?とか

先生が「これを解ることが普通」「できないと困るよ」「これを正しいと思うことが正しい」・・とか、そういった個々の違いをヨシとしてくれた先生は少なく、給食も食べる時間内で食べられないと「反省」させられたし、絶対に苦手な教科も「しなければいけなかった」ですよね。

みんな違ってみんないい・・みたいな事が「普通のこと」として広がっていたら・・またスウェーデンの教科書のように自分の価値観と、事実は違って、混ぜて自分の正しさとして相手に押し付けないことを自然に教えてくれていたら(知っていたら)

大分、わたしたちが大人になって抱える苦しさも違っていたかもしれません。

自分から「こうしたいな」「これが出来るようになりたいな」は守りたい声ですし、それがみんなと近い、同じようなことという場合もあるでしょう。

自分が誰かや社会と比べて「普通じゃない」と感じていることは、本当は「間違っていること」ではないし「悪いこと」「劣っていること」でもないし、「恥ずかしい」と感じる必要もないし、「隠さなきゃ」いけないことでもないかも・・・

「治さなきゃ」いけないこと?「変わらなきゃダメ?」

開き直って言うのではなく、こんなことをもう一度自分の本当の声につながって、確認したり、対話することはとても大事・・と感じています。

※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。

あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。

提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)

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