皆さまこんにちは♩
人間関係、家族などとの関係で生きることが辛く、依存症・過食嘔吐・パニック障害など地獄のようなドン底6年間から抜け出て、職業も変わり、年間1000名の方のお悩みを聞く側に自然に変化した心理セラピストの浦松ますみです。
今日は、またケアラーシリーズのうちの「共依存」について、お話ししていきますね。
共依存は色々な人間関係の中で見かける姿。
私自身も家族などとの間で複数の経験がありました。
その最中は気付きにくい、また気づいても変えにくいものなので、まずは「共依存」への理解を深めてくことが=自分を客観視することがとても大事です。
相手の役に立っている必要とされている私
共依存かも・・と感じる相手は誰でしょうか?
大抵は「どうでもいい」「すぐに関係をすっぱり切れる」相手というよりは、どうしても見て見ぬ振りができない、相手が辛そうな姿が自分の苦しみになってしまうような相手ではないでしょうか?
パートナーかも知れませんし、親かも知れません。子供かも知れませんし、特定の情が深い存在かも知れません・・。
そうなんです・・二人の間には様々な「感情」「思い出」があり、いくら介護やケアが苦しくても「辞められない」と感じている相手。だから、共依存はある意味時間がかかったり、葛藤が生まれて、自分責めになったり・・・
「無理して続けていること」は何にせよ上手くいきませんし、実はとても不健康な形。
今、ケアをしている相手は自分にとってどんな人でしょうか?
私がいなくてはダメ
「相手に必要とされている」ことをひしひし感じていたら、当然、その私がケアから抜けたり、距離を取れば、相手に支障や、相手が落ち込んだり、もしかしたら生きていけない・・死んでしまうかも・・と感じませんか?
簡単に言うと特定の相手に必要とされていることや、依存されていること自体が自分の使命、存在価値になってしまい、この関係を維持し続けてしまう不健康な人間関係なのです。
実は相手の問題だけではなくケアする私が「この関係に何らかの価値、意味」を持っているため、辞めるとしたら相当な抑圧(我慢)をして、無理して辞めることになるため、難しかったり、変化させるのに時間がかかります。
無理して何かをすることは、もちろん、共依存関係が機能しているこのままで「行動だけ変える(離れる)」は無理です。(相当の抑圧が必要)
自分の中に、この関係にどんな意味づけを載せているから辞められないのかを探していきます。まずはここからスタートです。
そもそもケアしている私自身の自己価値は?
もし、ケアしている私自身が自己価値が高く、心の土台が安定し、大丈夫感、安心感、安全なスペースを持っていたり、誰かに助けてもらえる私、途中でできなくても責められなくて、理解してもらえる私・・がベースだったら・・
想像して見てください・・・相手を助けられなくても自分のせいだ・・この人は100%不幸になる・・はどのぐらい減るでしょうか?
また、相手を見ている眼差しに、相手への「信頼」や、相手の中の「強さ、大丈夫感」はどんな感じでしょうか?
相手が弱い人、脆くて危なっかしい、見張って助け続けないと大変なことになる・・的な眼差しで自分が見ていることが多くはないでしょうか?
そして、助けている時に、支えてそばにいる時に相手はすごい勢いで「自分を必要として、ホッとして、ずっとそばにいてね」というエネルギーを出していたら、献身的に自分はこの場所に自分から居てしまうでしょう・・
自分自身が実はこの共依存の関係で何らかのメリット=自分の価値を感じている=を無意識レベルで感じているため、この関係は「私は必要」でもあるのです。(ショックですよね)
※ここは見つけるのにはコツやスキルが必要なケースが多いです
自分を責めないで
私たちの中に誰かを責める声、自分を責める声が出てきたら、それは何かがうまくいっていなかったり、自分の思った結果や状態になっていない時。
また、相手からもっともっとと要求されても、それに応えられない時など、一生懸命やっている時ほど「こうあればいいな」と言う理想や期待を持っています。
いつも頭の中に理想や見本があると言うよりは何となく「こんな風に相手が感じてくれるといいな」など漠然とした先入観や固定観念があるかも知れません。
「本当はもっと優しくしてあげなきゃ」
「もっと時間をとって話を聞いてあげなきゃ」
「もっと待ってあげなきゃ」などなど・・・
でも、それがいい形で「出来ていない」と、私たちは自分を責めたり、相手を責めたりしてしまいます。
本当は限界もある、出来ない
一旦立ち止まって見ましょう。出来ていない自分、上手くやれていない状況をまずは眺める、そこにどんな自分がいるかを感じます。
「自分を責めているね」「逃げたいよね」
「上手くいっていないけれど、良くやってるよ」
「自分の限界超えて、良く頑張っているよ」
自分の頭をいい子、いい子してあげながら、背中を撫でてあげながらしっかり自分を抱きしめて、認めて、理解してあげるもう一人の自分を作ってあげます。
この人がどの位戦ってきたかを改めて理解するとともに、この人に必要なケアを考えます。
この人=ケアし続けてきた私は、自分ではどうにも出来ずに分からず動けません。この毎日は無理ですが、それしか知らないので他の考えや視点がないので、自分の中で色々な理由をつけて「親だから・・」「これは私しか出来ない役割だから・・」「みんなだって頑張っているから」「私よりあの人の方が辛いから・・・」などなど
色々な感情の渦から、この人を救ってあげることができるのはもう一人の私です。
「私ばっかり」から自由に・・
どれだけ今まで苦しんで、自分の限界以上に戦い続けたのでしょう・・この状態では「私ばかりが・・」と被害者意識の塊になっても当然です。
この目線では「どうして私ばっかり」から相手を見ているので、攻撃や非難で相手や、周りや社会を見ています。
この状態が一番辛いのは「孤独」で「誰も繋がっていなくて」「一人でやるしかないけれど、限界で(出来ない)」「自分では無理」と言うどん底。
先ほどの「この人の理解者」である私がまずはこの状態を察知し、受け止めてあげましょう。受け止めてあげましょう。助けが必要な状態なので「困っている」「倒れそう」「もう無理」と言うメッセージを上手に出すサポートを考えます。
絶望のあまり、もう生きていくのも辛い・・と言う状況も当然です。まずは、この気持ちを充分に理解し、「無理なことがあっていい」こと、「出来ないことがあっていい」こと、「逃げるのもあり」なこと・・・
今まで絶対にしてはいけないと禁じていたことも視野に含め、SOSを出す許可を教えてあげましょう。
まさか、そんなに思い詰めているとは・・とか知らなかった・・と言う言葉を聞きますが、おそらく、あまり見せないように抑圧し過ぎては伝わらないことや、上手に隠されてしまって周りに知ってもらえないことも・・
自分が上手にSOSが出せない時には
「それを出したらどうなりそう?」「SOSを出す自分はどんな自分だと感じるの?」「自分にとってSOSってどんな意味?」など
ジャッジなしで自分に聞いてあげることもヒントの一つです。
「今」の自分をしっかりと掴み、本当は助けを求めているのに上手に伝えられないのであれば、そこはしっかりともう一人の自分が気づいてあげられたら良いですね。
※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。
あゆかさんとのつながりは2006年ごろからで、講座、ロンドンコース、勉強会、非二元のお話会など、参加回数、アシスタント回数は一番多い方に入ると思います。
提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています(非二元(悟り)と自我の仕組みがベース)
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