こんにちは♩
心理セラピストの浦松ますみです。今日はある記事を読んで今の仕事を続けるか、転職するかなど悩んでいる方に(過去、そんな経験を持った方に)お届けしたく書いていきますね。
誰でも1度や2度は「この仕事は私にとって合っているか?」と真剣に考えたことがあると思います。そしてその度に転職を繰り返す方もいれば、「もう少し我慢して続けてみよう」と思い、ずっと一つの職業に付かれている方もいるでしょう。
仕事とは?のある一つの形をシェアしていきますね。
今の仕事、愛していますか?
この言葉に「うっ」と痛みを感じる方もいるでしょうし、「もちろん、これは私の天職」と心からおっしゃる方もいるでしょう。これを読んでくださっているあなたは・・・?
私は「仕事を愛する」という概念が全くありませんでした。それはどうしてでしょうか?
仕事とは「我慢」「するのが当たり前」のもの
ハイ、この題名通り、私にとっては小さい頃から家業を継ぐのは当たり前。そして仕事は歯を食いしばってでも絶対に続けるもの。利益を出し続けるもの。どんなに体調が悪くても倒れるまでは休んではいけないもの。選り好みをしてはいけないもの・・
こんな「呪い!」が分厚くかかっていました。
ではこの仕事に対する解釈はどこからきているかと言えば、身近な人を見て。私の場合は父親が自営業でしたのでその姿を見て「働くとはこういうことなんだ」。また、母親から常に聞かされていたマントラもあります。
一番大きかったのは「愛を得るため」に頑張っていた
これも私ごとですが、私の場合はどうして熱が39度でも仕事に朝、とりあえず行ってみんなが「帰っていいよ」と10回ぐらい言われるまで休めなかったかと言えば、頑張っている姿を見せれば「父に愛される」「母にも愛される」「(みんなにも)認めてもらえる」「受け入れてもらえる」「必要な存在になれる」と信じ切っていたから。
*ポイント*
逆を言えば、売り上げを伸ばす、みんながしたくない仕事を率先する、誰よりも気が利く、休まないなどをし続けないと「お前は必要のないいてもいなくてもいい存在」「愛を失った私になる」と本気で信じていたからです。
もちろん、途中から自分も精神的にもプライベートで色々な困難が続きまくり、結婚も、子育ても、本当に地獄のような日々になってしまいました。
そんな私に「仕事に愛を持って!」なんて絶対に無理ですし、言いたくないですよね。
激しい自己否定が減ってきてから見えてきたもの
自己否定・・とかくと、それぞれのイメージでの「自分への否定」がイメージされると思いますが・・・
自己否定は簡単にいうと「今の自分がダメ」「嫌い」「許せない」「見たくない」「気づきたくない姿」などです。しかも「気づかない潜在意識でのセルフイメージです」
もちろん、顕在意識上では真逆の時があります。
私も実際には「結構私は上手くやれている」「今月も頑張った」「子供も◯◯ができるようになった」「△△を手に入れることができた」など・・。美容院はカリスマ美容師(死後?笑)、デパートでは外商で好きなものを買い、見た目は幸せそうに見えましたが、自分でも気づかない心の中は穴だらけの愛に飢えているスカスカの姿でした。
この心の穴を埋めたくて買い物、ワークホリック、摂食障害(過食嘔吐歴25年以上)が止むことがありませんでした。依存先がなければ「心の痛み」を感じてしまうから。そして今回は割愛しますが、結婚生活も破綻し(相手も愛の飢えが大きな人だった)子供が離婚後いじめから不登校になり、自殺企図を繰り返し、とんでもない6年間が待っていました。
→これがきっかけで溝口あゆかさんへと繋がっていきました。
最中は自覚なし
残念なことに、その大変な最中というのは自分がどう言った状態かが全くわかっていませんでした。それなりに「依存先」があるので、苦しさをすり替えて、痛み止めを飲み続け、一見「過活動」な私は自分が「出来ている、順調」と錯覚していました。
大変そうな友人を助けたり、仕事もそれなりに成果も出ていたので自分がおかしいことにも全く気づかず・・・
ただ、振り返れば常に「緊張感」「疲労感」と「高揚感」「達成感」しかなかった気がします。それが人生だとも思い込んでいました。
今でこそ、安心・安全・平和・静けさの意味がわかってきましたが、当時は私の人生を止まらせる「悪いもの」「あんまりそこに止まってはいけない」とさえ思っていました。
また止まること(休むこと)がこんな私には許されないとも・・。
もし、気づいて誰かに助けを求めても「得られない」と思ったら、だんだんと諦めてしまうかも・・・写真のSHINeeのJYOGHYUNはこうして最後は自分からこの世を去ってしまいました。
愛する仕事と巡り会うために
愛する仕事と書きましたが、これは仕事だけではなく「愛する誰か」でもいいし、「愛したい何か」でもいいし、「愛する打ち込める目標」でもいいし、「希望」でもいいのです。
そしてそこにあるのは「(出来るだけ)無償」。
何かを得るためのしがらみや義務ではなく、純粋に「それが好き」だから自然に自分の中から湧き上がる衝動があるもの・・・そんな何かが見つかったらいいですね。
もちろん無償で動いた結果、何かが自分に与えられたり、勝手に起こってきたらそれは純粋に嬉しいと喜ぶ。でも何かを得るための、自分のニーズを埋めてもらうためのものは、やっぱり「愛することって難しい」
愛していても「愛するべき」になってだんだんと負担が出てきて苦しくなってきませんか?「べき」は愛を変えてしまいます。
一度、今関わっている「仕事」は自分は何のためにそれをしているかを書き出してみましょう。
生活のため?(お金)社会人として存在するため?親の安心のため?子供のため?何のため?それをして何を感じたいの?自問自答してみます。(それが悪い・ダメという意味では全くありません)
「無意識の義務感」からの行動と「喜び=愛」の自然な行動の違い
私たちはすぐに「どうしたらいいか」という行動そのものに目が行きがちですが、実は行動そのものは同じでも全く意味の違うことが多いのです。
この葬儀屋さんは、きっと自分の仕事が好きで、相手のことを考えて最高に良き時間を作りたくて、自然な行動、言動が出てきているのでしょう。
もし、同じように「出棺を10分早めませんか?」と言っても、行動自体は全く同じなのですが、「良い葬儀にするべき」「良い葬儀会社にするべき」「遺族に良き思い出を作るべき」と言うエネルギーで無意識に頑張っていると、この葬儀屋さんご本人が消耗してしまう気がするのです。
喜びからの仕事は【体力的に消耗しても心が愛で満タン】になっている感じ。無意識に頑張っている時は自分への喜びは回ってきにくい感じ。消耗感がある感じ。(一例として)
どちらが正しいとか、こうあるべきという話ではなく、【自分が今、どう在るのか、どうありたいのか】と言う視点で眺めてみます。
生まれて初めて出会った愛を持てる仕事
まさか、私は自分が心理セラピストになると思っていませんでした。なぜならば、元々の仕事を長きにわたりしていたし、それが収入的にも私を支えていましたし、自分が苦しくて苦しくて、ラクになりたくて心の勉強を続けていたからです。
それまでは仕事というのは大変で当たり前、お金は苦労して稼ぐもの以外の発想がなく、「楽しんで稼ぐ」なんていう広告を見ると怒りさえ湧きました。甘えるな、そんな夢物語あるわけない、きっと失敗する・・・なんて心の中で思っていたものです。
初めて人生で転職し、人の心に携わる心理セラピストに完全に転職し、開業届を出して・・色々なサポートの中、今に至りますが、生まれて初めて「仕事を楽しい、愛していいんだ」という感覚が芽生え、育ちました。
もしかしたら、一生知らなかった感覚。自分にそれを許すことがなかった一生だったかもしれません。
初めて体験して知ったのです。この歳になって仕事が愛すべきものであることを。
なので、全員が「愛を持って仕事をするべき」でもなく、これが正しいでもないのですが、愛を持てる仕事を知っていると、本当に人生が豊かで優しいエネルギーが増えていきます。
そのためにはまずは「自分」という存在を知り尽くすこと。私は何を望み、どうしてそれが欲しいのか?どんな自分になりたいの?誰に愛されたいの?それはどうして?
いっぱい自分を知っていくジャーニーを一緒に歩みましょう♡
※心理学、非二元、セラピーなどは全て「溝口あゆかさん」から学んでいます。提唱されている「インテグレイテッド心理学」は提供の全てのベースになっています。
▼おすすめ関連記事はこちらから
【保存版:本当の意味での境界線】人間関係の悩みのほとんどは、これで解決!
おすすめ心理学講座
今日から使える「心の仕組み」の基礎講座のお知らせ(インテグレイテッド心理学基礎講座)